2013年10月10日(木)、11日(金)
今年も恒例?となった北海道旅行の時期となった。一般的な観光地ではない北海道を巡る旅、今回で2年連続となる。いろいろ旅をしてきたが、道北、道東の大自然とグルメと廃墟、廃線跡にすっかり旅心が魅了されてしまった。飽きるまで毎年、通い続けようと思う。
昨年と同じく木曜の仕事帰りに羽田から札幌へ飛ぶ。そのままススキノでジンギスカンとビールを味わう。夏に食べたら最高の組み合わせだが、今の時期でも、もちろんおいしい。札幌で食べるジンギスカンの味は東京と桁違いである。なぜだろう。
東京はまだ暑い日もあるが、夜のススキノは東京から来た身には十分に寒い。しかし、いつ来てもこの町の若さあふれる活気に変わりはない。都市を年齢で表すと札幌は永遠に19,20である。
ふと、札幌と同じような地方中核都市の印象を考えた。福岡はどうだろうか?札幌と同年代のような気がする。青年期、季節は夏が似合う都市である。一方、仙台、広島は壮年期のような気がする。季節は秋が似合う都市だと思う。人口100万人規模の地方中核都市はどこもそれぞれ特色があって好きである。逆に嫌いな都市を考えるが、思い浮かばない。嫌いになるには何らかの理由が必要である。それが無いだけである。
住んでいた当時、嫌いだった名古屋も今では好きでも嫌いでもない。今となってはどうでもいい。関心が無い。
札幌の夜は長い。明日以降の道のりは長い。ほどほどに切り上げて、寝ることにする。
1日目終了。
翌日は車を借りて旭川へ行く。今更ながら、旭山動物園を見ることにする。最後に日本の動物園に来たのはいつだろう?思い出せない。久しぶりの動物園は雨のせいか華やかさはなく、寒々しい場所であった。夏に来れば楽しいのかもしれない。
来る季節によって動物園の印象も変わるのであろう。また、機会があれば来るかもしれない。けど、動物には基本興味が無い。
夜は層雲峡温泉にある今、躍進を続ける話題の野口観光のホテルに泊まって豪華な夕食を食べた。ここは社員教育がよくされている。また、若い従業員を中心に構成された活気あふれる大ホテルである。また来たいと思う。一時期は瀕死の状態であった温泉旅館も若い力で変革を迎えようとしている。ここはまさにいい例である。
日本の観光資源の豊富さは本当に世界屈指だと思う。残念な事に気が付いていない人が本当に多すぎる。しかし、最近ようやくムーブメントが少しずつスローに起きてきている。この国が変わる時はいつの時代も外国の力によるものだ。
2日目終了。
10月12日(土)
昨日の雨模様と違って今日は風の強い晴天である。層雲峡は道北のさらに標高の高い場所にあるので、紅葉も終わりに近い。朝から落ち葉舞い散る光景は一種異様な世界観である。昔、こういうシーンの映画を観たような気もするが、不確かな記憶でしかない。
層雲峡から峠を越えて十勝へ向かう。
国鉄士幌線の終着の十勝三俣駅の周辺は現在は無人地帯である。かつて林業で栄え人口が1500人いた町が1977年には14人へと激減し、鉄道も糠平までの18kmの区間は廃止となりバス代行になった。現在は完全な廃村地帯である。
しかし、鉄道の遺構は残っている。
廃止後35年以上になるが、この場所に立っていると、なぜだか、今にも列車がやって来そうな気がする。
糠平~帯広間が廃止になったのは1987年のことである。開通が1925年、全線開通が1939年。士幌線の使命は果たしたのであろうか?と多くの人は思うだろうが、廃止になった今でも使命は続いているような気がしてならない。
十勝は日本を代表する穀倉地帯である。広大な平野が延々と続く。
足寄に到着したのが、11時。池田から北見までを結ぶ地北線の中心だった町である。地北線は1989年に廃止になる予定であったが、長大路線であったため、地元自治体が第3セクターとして存続させたが、2006年に結局廃止となった。
足寄駅は巨大なSLの形をした立派な駅舎である。今ではバスターミナル兼物産展兼松山千春記念館となっている。
足寄が生んだスーパースター松山千春の実家。
鈴木宗男も足寄の出身である。メジャーリーグに挑戦した西武の三井投手も足寄の出身である。道東のこの辺鄙な田舎町に個性あふれる人物が輩出されたのは特筆すべき素晴らしい土地柄である。日本一厳しい寒さの自然環境の土地で育った人間の強さを感じる3人の生き様である。
足寄の街中にあるウッディーベルで巨大バーガーを食べる。焼きあがるまでに30分かかったが、これほどおいしいバーガーは生まれて初めて食べた。11時30分前に入店したので良かったが、後から来た人たちは1~2時間待ちとなった。
北海道のグルメにも新しいムーブメントが起き始めているようだ。
ひたすら車を走らせて阿寒湖コタンに到着。アイヌの集落である。土産物屋の人たちの顔は心なしか彫が深く色が黒い。現代でもアイヌの血を引き継いでいるのだろうか。
阿寒湖から摩周湖へと車を走らせる。2年連続となる摩周湖だが、昨年同様に雲一つない晴天である。霧の摩周湖として有名である。
晴れている摩周湖はめったに見えないので、もし見えたなら人生の幸運を使い切ってしまい女性は婚期が遅れ(ウワサによると一回見えるごとに3年)男性は出世を逃すなどというジンクスもあるようだが、実際に霧の季節は夏の一部であり、晴天の方が圧倒的に多いらしい。恐らく霧で摩周湖が見れなかった観光客向けのなぐさめのジンクスであろう。
摩周湖から先は昨年と逆の道のりで開陽台へ行く。もう道も覚えた。
ここの風景を見るために毎年、道東まで来たいと思う。人の心に突き刺さる風景はその人の考えや生き方までを変えてしまう。そんな風景にいくつ出会えたかでその人の人生は豊かで深いものになると思う。まだまだ旅は終わらない。
そして、そんな風景が日本にあるのは日本人に生まれて良かったと思う瞬間でもある。
道東の大都会?中標津で今年もジェラートシレトコのアイスクリームを食べる。
今日は中標津のペンションに宿泊することになった。なんでも子供たちのサッカー大会があって中標津のすべてのホテルが満室になってしまったそうである。
このペンションは近所の仲のいいおばさん同士が趣味でやっているような雰囲気でアットホームである。料金も採算度外視と思える料金である。夕食は道東の家庭料理といった感じで高級食材は使用していないが、素朴で体に優しい料理であった。
3日目終了。
10月13日(日)
中標津を後にして、別海を東へ車を走らせる。別海の有名人といえば、練炭で交際相手を次々に殺害してセレブな生活をしていた木嶋佳苗さんの出身地であるが、そんな猟奇的な人物を輩出したとは思えないほど、日本一のどかで広大な町である。
釧路・根室方面には湿原が広がる。鶴は気高く気品がある。鶴の恩返しのように擬人化されるにふさわしい生き物だと思う。
日本最東端納沙布岬。ここに来るのは1998年以来である。北大の文学部に進学した高校時代の親友と一緒に北海道を周遊した。
季節は11月だったが、当時と同じく訪れる人も少なくひっそりとしている。周囲の風景は何も変わっていない。
失われた北方領土は目の前である。
マスコミは中国、韓国との領土問題ばかり必要以上に騒ぎ立てるが、本当の領土問題はここにある。
現在のマスコミは何も報じない。ロシアへの不安、恐怖心、反感は昭和の頃は相当なものがあったが、現在はむしろ親ロシアに近い。
本当の狙いは領土問題なんかではなく、国民世論を反中・反韓に染め上げる事なのかもしれない。その先にあるのは政治のコントロールである。対外投資の冷え込み、国内への投資促進、雇用確保、対外資本への警戒心育成、結果、日本の独自性・独立を死守する。
日本政府は中国・韓国以上にマスコミコントロールに長けた狡猾な政府なのかもしれない。国民世論も操作しやすい国民性である。これほど統一性のある民族も他に無い。
日本という国が羊の皮をかぶった狼のような存在である以上、中国、韓国政府の警戒が解ける事は決してないだろう。
今日も返還の炎が燃え続ける。目の前にある失われた島はあまりにも遠い。
根室から先は荒涼とした風景が続く。中標津や別海のような計画されよく整備された明るい酪農地帯とは違った光景である。離農者が多いのであろうか。
釧路に行く前に、厚岸のかき祭りがちょうど開催中なので、立ち寄る。厚岸のかきは間違いなく日本一の大きさ・おいしさを誇る。このかきを食べてしまったら、三陸産・広島産はかすんでしまう。
かきでお腹いっぱいになって幸せな気持ちに包まれて、釧路に向かう。漁協前の広場でも収穫祭がおこなわれている。焼きたてのさんまが食べ放題でふるまわれている。こんなに脂がのったつるんつるんのさんまを食べたのは初めてである。焼きさんまなのに刺身のようなつるんとした食感なのだ。満腹にも関わらず3匹をあっというまに平らげてしまった。
15年ぶりの釧路は新しい商業施設もあり、眠ったような根室と違って活気がある。
釧路の夕日は世界三大夕日で有名である。幣舞橋からみる夕日はピンポイントで釧路川河口延長線上に一筋の光を残しながら太平洋に沈む。
マニラのダイヤモンドホテルの最上階の他に誰も客がいない広いバーでサンミゲルを飲みながら見た夕日。バリのクタビーチに面した宿泊客が誰もいなかった古いホテルのバルコニーで見た夕日。そして今見ている釧路の夕日。
心に突き刺さる光景をもっとたくさん持ちたい、出会いたいと思う。
夜は名物の炉端焼きを堪能する。昼間においしいものを食べすぎたので、少しだけしか食べれられないと思ったが、結構食べてしまった。全ては北海道の食材のせいである。
4日目終了。
10月14日(月)
今日は釧路から一気に南下して襟裳岬を目指す。行きかう車もない道を相当なスピードで走る。
広尾から先は海岸線に沿って走る。あまりの建設費の高額さからついた名前が黄金道路である。しかし、行き交う車は非常に少ない。とりたてて有名な観光地を擁しているわけでもないので、工事車両が主である。
襟裳岬に到着。森伸一の歌通りに何もない岬であるが、眼下にえりもの町があるので、納沙布岬のような寂寥感は無い。
襟裳岬の近くの牧場で名物の赤毛短角牛の牛丼を食べる。和牛でも脂身が少なく噛めば噛むほど滋味があるおいしい肉である。
黄金道路を引き返して広尾まで戻る。
広尾はある意味で最果ての町だが、広尾高校は甲子園に出場した事がある。グランドには甲子園出場記念館があった。市街地はそれなりの繁栄ぶりである。中標津の1/3くらいの町の規模である。人口は7000人とのことである。こんな田舎町の公立高校が甲子園に出場するのは私立高校の商業主義、生徒集めの広告塔と化した現在の高校野球では考えられない出来事である。
廃線となった広尾線の終点の広尾駅は市街地から少し離れた場所に現存しているが、あたりは何の変哲もない住宅街である。
広尾から競走馬で有名な大樹町を通過して、花畑牧場に行く。
夏は大勢の観光客で賑わうのだろうが、連休中にも関わらず今は閑散としている。カフェでソフトクリームを食べていると、おしゃれな革ジャンを来た大柄なおっさん?お兄ちゃん?が駆け込んで来て、店員と何か話をしていたのだが、社長の田中義剛であった。近くに来るまで全然気が付かなかった・・・。
最近、テレビであまり見かけないと思ったが、牧場経営で大忙しのようである。経営者としては相当に有能な人である。牧場を始めるときに借金が10億円あったそうだが、とっくに完済したのであろう。日本の農業は実質的に世襲制である。新規参入には莫大な資金がかかり、個人で創業するのは非常に困難である。他に世襲制の仕事を考えてみる。政治家、歌舞伎役者、大家さん・地主さん、オーナー企業の経営者、世間的に見ればかなり恵まれた職種に映る。サラリーマンこそ、生かさず殺さずの現代版農民であって、農家は実は現代版士族なのかもしれないと思う。
そんな事を思いながら、十勝の広大な良く整備された農業地帯を見ながら、車を東へと走らせる。
昭和の国鉄時代末期に一大ブームを巻き起こした広尾線の幸福駅跡。昭和の昔に確実に廃止になったはずなのだが、どういう訳だか駅を新築している。
廃止になった後に駅を新築するなんて、幸福駅くらいなものだろう。駅名通り幸せな駅である。しかし、駅舎というより待合所、物置小屋といったほうが似つかわしい幸福駅だが、このささやかな感じが幸福の名にはふさわしいと思う。
駅前商店?では今も変わらず愛国から幸福ゆき220円のきっぷを販売している。相当に商売繁盛しているようで、観光客がひっきりなしにやって来る。中国人や台湾人観光客も多い。同じ漢字文化の国なので意味が分かるのだろう。
駅舎の新築工事や綺麗に整備・塗装された気動車が停車中の幸福駅を見ていると、ここが廃線跡とは信じがたい気持ちになる。今にも気動車が走りだしそうな気がする。広尾線の全線開通は1932年、廃止は1987年であった。
観光客で賑わう幸福駅から11km先に愛国駅がある。愛国から幸福への切符のもうひとつの目的地の駅だが、ここは観光地化されておらず、ひっそり佇んでいる。しかし、駅自体は待合所しかない幸福駅と違って駅員がいて、側線があり、きっぷ売り場のある北海道のローカル線としては標準的な中規模駅であったようだ。人家もまばらな幸福駅と違って、帯広に近いこともあってか周辺は工場と住宅街である。
線路の先に新しい住宅がすでに存在している。今後、幸福発愛国行の列車が走ることは無い。広尾線がまだ現役だった時代、その時代に乗れた人は幸せだ。
夕暮れの愛国駅を後にして、帯広市街地へ向かう。
駅前の豚丼有名店のぱんちょうでどんぶりいっぱいに広がる炭火の豚丼を食べる。
17時という夕食には早い時間にも関わらず店内は満員である。入店して間もなく外は行列となった。
最近、東京でも帯広豚丼の店を見かけることが多くなった。
北海道グルメは日本はもとより、アジア諸国での日本食ブームに乗って、海外進出も盛んである。
豚丼でお腹いっぱいとなって、今回の旅の北海道グルメは終了となる。
帯広空港は市街地からかなり距離があるが、北海道の距離感であるのと渋滞が無いので、すぐに到着してしまった。
レンタカー屋以外に店舗が無い。ガソリンスタンドすらない。
帯広空港で食事をするような場所もないので、市内で全て済ましてくるのが正解だろう。
昨年は女満別空港、今年は帯広空港から、1時間30分で東京に戻ってこれる。飛行機の威力によって北海道旅行は支えられている。
学生時代、青森からの夜行列車の狭い座席で窮屈な一夜を過ごして、朝に札幌の駅に降り立った時に感じた北海道特有の空気は今でも何となく記憶にあるが、そのうち忘れてしまうような気がする。
海外が主戦場となった今となっては北海道はあまりも近い場所である。
でも、これほど魅力にあふれた場所はどこにもない場所である。
5日目終了。
終わり。