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人生に乾杯!

紫雲山 葛井寺

2021-09-18 | 西国巡礼

西国第五番札所 葛井寺に行く。ご開帳が毎月18日。先月は、大雨のため見送った。昨日から、またもや台風が心配だったが無事に参拝。

商店街をぬけると、四脚門が見える。この門は、豊臣秀頼が寄進したもの。正式な参拝ルートは南大門から、だそうだ。

何よりも、十一面千手千眼観世音菩薩会いたさに訪ねた。

ホームページより:葛井寺の千手観音坐像は、文字通り゛千の手”と”千の目”を持つ千手観音様です。
頭上に十一面をいただき、錫杖や宝輪、数珠などをもつ「大手」に、孔雀のように拡がる1001本の「小手」、そして正面の合掌手を合わせ「1041本」の手を持ちます。 さらに、掌にはそれぞれ眼が描かれております。
  日本では、千手観音は四十二手とされるのが一般的で、実際に千手をあらわすのは我国では唯一と言える遺例のひとつです。 端正な顔つきに、のびやかな肢体、そして千手という超人的な姿を自然な調和をもってあらわした像容は天平彫刻の粋を集めた観音像です。

ご本尊は、725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代にわたり制作された。行基菩薩により開眼。 脱活乾漆造(粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しい)。

 葛井寺ホームページより

千四十一本の手が見事に調和している。考えてみると、千四十一本もの手がある姿こそ言葉は悪いが奇妙なはず。でも奇妙どころか厳か、かつ活気まで感じられて、いつまでも見ていたい気持ちになる。手から声が聞こえてきそう。これは何だろう?

南大門。

 


書寫山 圓教寺

2021-09-12 | 西国巡礼

西国三十三所第27番札所の円教寺に行く。康保3年(966年)、性空の創建。前回、閉門時間に迫っていたため、ロープウェイのチケット売り場で入山を断念した。一乗寺から歩いてきたので、それなりに諦めがついた。再訪。

標高371mの書写山。4分間のロープウェイ。

ロープウェイ山上駅から、ゆるやかに登る参道を歩き始める。

ところどころに観音像がある。

何気なく写真をとっていたが、ふと、これは、西国三十三所の観音さまだと気づいた。(あとで解説を読むと、山上駅から仁王門へ至る参道は「西国巡礼の道」と称され、左右に、西国三十三所の各札所本尊を表した銅像が設置されている、と記されていた。)

なんだか、彫刻の森の美術館を歩いているみたいだ。

摩尼殿までは30分くらいと聞いた。

仁王門。

参道が下り坂になり、摩尼殿の縁下に着く。

緑の美しさに目を奪われた。

摩尼殿 マニとは梵語の如意のこと。天禄元年(970)創建。

本尊は六臂如意輪観世音菩薩。この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻んだため、岩山の中腹に舞台造りの建物となった。本尊六臂如意輪観世音菩薩は、1月18日に開扉される。

少し歩くと。3つの堂がコの字型に建っている。圧巻!

似ても似つかないのに、ポーランドのクラクフで訪れた旧市街の広場を思い出した。写真を確認すると、全然似てない。でも、コの字型の3堂は、確かに広場を作っている。このすごさは写真では表せない。

大講堂は、2重1階、入母屋造、本瓦葺。桁行(正面)7間、梁間(側面)6間。下層は永享12年(1440年)に、上層は寛正3年(1462年)に建造され[13]、文明年間(1469年 - 1487年)に全体が整備された。正面の食堂は長さが40mもある。日本の近世以前の仏堂建築で、このように長大かつ総2階とするものは他に例がない。

これは、クラクフ。。。

さすが、西の比叡山とも言われるお寺だ。

奥の院に進む。ツクツクボウシが鳴いている。それなのにとても静か。

開山堂。圓教寺開山の性空上人をまつる堂。現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作。軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。

護法堂 奥之院の開山堂前にある二つの小さな神社。向かって右が乙天社、左が若天社。書寫山の鎮守で開山の性空上人に付き添って仕えたという乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子をまつっている。

展望公園の方に進む。金剛堂がある。室町時代の建物、三間四方の小堂でもとは、普賢院という塔頭の持仏堂であったと言われている。内部には、仏壇を設け厨子が安置されていた、天女の天井絵があるそうだが、閉まっている。

 


竹生島 宝厳寺

2021-09-11 | 西国巡礼

明け方の雨が気になったが、予定通り、西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所の宝厳寺に行く。

竹生島行きの観光船に乗る。

中央、小さくみえるかまぼこ型の島が竹生島。琵琶湖には4つ島があって、2番目に大きい島だそうだ。三角の石碑には、琵琶湖周航の歌が刻まれている。この歌を知っている人は、そのうちいなくなっていくだろう。。。

今津港から竹生島まで約25分。直線で竹生島に向かう。湖岸からは6キロ。周囲2キロの島。船が着く時間だけ人々が往来し、島内には民家は1軒もない。不思議。

島に着くと、すぐに入島料を払って、境内に入っていく。

祈りの階段と呼ばれている階段(165段とか)を上ると、

いきなり本堂。

目を見張るくらい、すがすがしく建っている。本尊の大弁才天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」の一つ。この本尊は、開山時(七二四年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したもの。内陣の壁画は、荒井寛方画伯によるもので正面の壁画「諸天神の図」、側面「飛天の図」があるそうだが、よく見えない。もちろん、本尊は、60年に一度開帳の秘仏。次は2037年らしい。お前立はうっすらと見える。

階段をのぼると、三重塔。朱色が新しい。解説を読むと、平成12年5月、江戸時代初期に焼失した「三重塔」を、約350年ぶりに復元したとのこと。

すぐそばに、もちの木がある。この木は、1602年(慶長7年)、豊臣秀頼の命を受け、普請奉行の片桐且元が観音堂、唐門、渡廊下を移築したときに、記念にお手植えされたもの。片桐且元は豊臣秀頼の後見役。

そして、階段を降りていくと、唐門と観音堂が。

カラフルな建物。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構。ご本尊は、十一面千手観音。秘仏。お前立をしっかり拝する。

舟廊下。千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く渡廊・舟廊下。 舟廊下は朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから、その名がついている。

都久夫須麻神社。

竜神拝所では、かわらけ投げをする人がいた。投げると願いが叶うそうだ。

 

もし、宝厳寺がなければ、竹生島に行くことはなかった。なにがご縁になるかわからない。そういえば、今日読んだ本に人と出会う確率は0.0006%だと訳のわからないことが書いてあった。でも、そのくらい、出会いを大切にしなければならないということか。


霊麀山 行願寺

2021-09-06 | 西国巡礼

西国三十三所観音霊場の第十九番札所 霊麀山行願寺 天台宗

行願寺という正式名より、皮堂や「こうどうさん」という通称で親しまれている。

寛弘元年(1004)に行円上人が一条小川(上京区)に創建。

出家前は狩人だった行円は、子を孕んだ母鹿を射止めてしまった。鹿のお腹の中で子が生きているのを見て、殺生を悔いた上人は仏門に入った。上人が常にその皮をまとって鹿を憐れんでいたことから、人々から皮聖と呼ばれていたことから、革堂と呼ばれるようになった。
以後、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の災火により寺地を転々とし、宝永五年(1708)の大火の後、当地に移された。
現在の本堂は、文化十二年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝えられる本尊千手観音像を安置している。
本尊は、2.5mの千手観音。お前立はもう少し小さい。毎年1月17日18日に開帳されるそうだ。境内のハスの緑が美しい。

奥に行くと、寿老人神堂があり、七福神の石像が並んでいる。

 


正法寺(岩間寺)

2021-09-06 | 西国巡礼

西国三十三所第12番札所、正法寺を訪れる。正法寺、別称岩間寺は、滋賀県と京都府との府県境の一部をなす岩間山(標高443m)南麓の標高390m辺りに位置する。

途中、お昼休憩。瀬田川を眺めながら、薬膳をいただく。

滋賀県は、空と雲がきれい。水面が広いせいかも。

岩間寺の標識がある。ぐるぐると山道を登っていく。

標高400mからの眺め。

山門はなく、この二体の仁王像がお出迎え。あ・うん。

参道を進むと、ぼけ封じ観音と佛足石。

さらに進むと、圧巻の銀杏の木。樹齢450年。

その先に本堂。

Wikipediaから引用。

縁起によれば、元正天皇の病気平癒祈願に功のあった泰澄が養老6年(722年)、岩間山中の桂の大樹から千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻んで、元正天皇の念持仏である金銅千手観音像をその胎内に納め祀ったのが当寺の初めとされる。

本尊の金銅千手観音立像は、上述の元正天皇の念持仏で、当初の本尊の胎内仏とされたもの。像高は4寸8分(約15cm)。現在は本堂の三重の厨子に納められ、秘仏とされている。毎夜日没時に厨子を抜け出て百三十六地獄を駆け巡って人々を救済し、日の出とともに岩間山へ戻る際には汗みずくとなっていると言われ、「汗かき観音」とも呼ばれている。1990年(平成2年)に365年ぶりに開扉されたほか、2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけて花山法皇一千年忌を記念した「西国三十三所結縁御開帳」の際にも開扉された。

お前立の千手観音をしばらく見つめる。脇士は、等身大の吉祥天(大弁功徳天)と婆藪仙。婆藪仙は、千手観音の眷属である二十八部衆。まったく異質の彫刻で違和感があったが、迫ってくるものがある。

そして、観音堂を通り、池を見る。

この池は、蛙池と呼ばれている。江戸時代に松尾芭蕉が当寺に参籠し、「古池や蛙飛びこむ水の音」の句と詠んだといわれている。

本堂の右手には、不動堂。

奥の谷には、桂の大樹がある。

手前に、西国三十三所お砂ふみ道場

があった。三十三所を順番に巡った。

白姫龍神。

桂の木。