ものみだか日記~平井堅のことばかり考えるまいにち(仮)~

ものみだかい私が、ふなふな書いております。
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[生観]今年も『エリザベート』観てきた(東宝版/1回目)

2016-09-26 11:19:19 | ものみだか生日記

時間経っちゃったけど、すごく感動したし、
自分の記憶として残しときたいので
9/21夜の『エリザベート』。

去年、行きたかったのに日程が合わなかった
花總まりさんのエリザベート。

いやあ…すごかった…。

『エリザベート』、特に東宝版は
史実の方が、かなりエゴい性格だったんだろな…てこともあり、
魅力的で、観客の共感を呼ぶ人物にしようとすると、
どこかしらに不整合が出るというか。
(子どもを姑から取り返したのに、ほったらかしとか)
それは不可避で仕方ねーなーと思った上で、
各キャストが、自身の個性と相まって描く
「エリザベート像」を楽しんできたのですが。

いや、びっくりした。全部しっくりきた。

生き生きとした少女時代から、
宮廷に入って、自由を奪われてからの葛藤。
幼くてがむしゃらに自我を通そうとして(と見えた)
敗北の中から、戦略的な生き方を身につける。
でもいつも自分のことで精一杯で、民衆の心もわからず
ついには夫や子どもとすら分かりあえない、孤独な魂。

いや、思えば、演技として(ついでにルックスでも)
「ああ、エリザベートって、こういう人だったんだな」
って役者さんもいたんだけど、
いかんせん歌唱力が壊滅的でな……

花總さんは、歌での表現も、しっかり演技してるから、
そこで気が削がれることもなく。
というよりむしろ、歌だからこそ、聴く側の心情にストレートに共鳴するとこもあり。

ほぼ歌で進んでいく物語は、
こちらが歌詞をだいたいそらんじてることもあって
言葉がただするっと流れていってしまう怖さもあるけど
(だから逆に、キャラと言葉に不整合があっても、
ん?って思うくらいだった、てのもある)
今回は、改めて意味を持って、すぱすぱ心に刺さりました。
(特に、裏切られた!と思って、
自分の中からどんどん夫の存在を排除してく過程…・涙)


セリフも含めて、演技全体としても、
「ああ、ここのこのセリフ(演技)って、
こういう心情から出たものだったのかー」
と、目からうろこポロポロ。

花總さん自体が、私は舞台は初見なので、
彼女の演技力の賜なのかどうかは、判断できないけど
「いやーこれが当たり役というやつか!」
とは、思いっきり見せつけられたわ。
さすが日本初演エリザベート。

YouTubeで、宝塚時代の『私だけに』観たときは、
ちょっと表現が感情的すぎるというか、
あとファルセットも尖すぎるかなーと思ってたんだけど、
今回初めて自分の耳で聴いたのは、
むしろかなり高い音域まで地声
(に聴こえた。最後の「♪私にー」の「に」くらいかな、ファルセット)
で、感情は表に出すより、
穏やかだけど強く、身体の中に内包してる気がして
かなり好みの『私だけに』でしたわ。

で。

タイトルロールがきっちり描ければ描けるほど、
その影、闇も濃く映る…ってことで。

城田トート閣下ですわ。


個人的に歴代トート閣下の中で(近年は見てない方もいるけど;)
いちばん好きなトートで、
初回の冷徹な美貌の貴公子、
再登板の昨年の荒れ狂うロックテイストなトート
どっちも好みだったけど、今回は……

いやあ、きもかったきもかった(笑)。

↑と言っても、これは本当に賛辞。

「人間ではない」ことを感じさせる、イケメンすぎる立ち姿に
序盤はボーッとなるんだけど、
(登場は、ちゅうもーく!してたら黒い羽生やして降りてくるので、
やっぱ笑う・笑。
あと、花總シシィすげー小柄なので、一目ぼれするとこのトート閣下、
ちょっとロリ入って見える・笑)
話が進んでいくにつれて『最後のダンス』辺りではすっかり
「うわ、なんかこわい。なんかきもい;;」

そのあとはもう、板付きでスーッと出てくるたびにこわい。
子ルドとの場面なんか「そいつ友達じゃねー!逃げてー!」って(笑)。

なんというか……こういうと語弊がありそうだけど、
言動に、エリザベートへの愛を感じないのですよ。
目つき、表情が爬虫類ぽくて、
ところどころ、正統派オペラみたいなテノール入れてくるのも不気味。
「早くあの美しいおもちゃが、自分のところに来ないかなー」
と楽しみにしながら、弄んでいる感じ。

(でも要所要所でイケメンパワー全開にして、ドヤる)

ただ、私の勝手な見え方なんだけど、
初めて、トートが本当に『死』の概念そのものに見えた。

本来、元祖にあたるウィーン版のトートは、これ↑らしいけど
(来日公演で観たマテさんが、かなり衝撃だった)
日本は、宝塚が初演で、トートを『黄泉の帝王』にキャラ付けしてるから、
やっぱ「トートがエリザベートを愛する」って形式になるような。

それが物語を膨らませているけど、
私はウィーン版の解釈が腑に落ちたほうなので、
今回の城田トートの役作り(いや、私がそう見えただけだけど)は、
本当にぞくぞくした。

トートは、シシィが少女時代に死にかけた時に観た(と思ってる)
『死』のイメージの象徴で、
その後の人生でつらいことがあって、死の誘惑に揺らいだときに現れる。
「まだ俺を愛してはいない」と拒絶するのも、実はエリザベート自身で、
強烈な自己愛とプライドの高さが、死を彼女に選ばせない、と。

(ルドルフにとってのトートも同様で、
寂しさから常に「死」=トートは深層心理下にいて、
挫折したときに現れた。あのトートだったら、むしろルドルフにとって最後に観るのは
やっぱドレス姿のトートだろなあ…と)

って、こう書くと、エリザベートが主、トートが従、って風に思えるけど、
実際には、陰と陽、両方が強く引っ張りあうから、
こういう見え方もできるのではないかと。
(実力ないシシィだったら、あんな思い切ったトートにしたら、演技で対抗できないし)

むしろ、後半に向かうにつれて、どんどん「2人ひと役」に思えてきた。
そう思うと、演出意図かどうかわからないけど、
トートとエリザベートが対峙する場面で、
エリザベートが完全に後ろを向いていて→客席に正対してるトートの表情で
彼女の表情を想像するしかない、って箇所が何回かあって、
(ルドルフの棺の上に現れるところとか)
たまたまそうなのかもしれないけど、
より「実はひとつの存在」って印象が深まった。

最後の抱き合うシーンも、恋愛の成就というより
「ああ、ようやく相反する魂が、一体化したのね」って感想を持ちました。

エリザベートへの愛を描くのも、この物語の醍醐味だけど、
彼女という人物を、輪郭くっきり描くには、
これだけトートが「影」に徹する解釈も魅了的だな、と。



とはいえ、終わってから初めてネットでの評判を見たら
城田トートは試行錯誤中なのか、結構観る回で印象が変わるそうで(笑)
次回も予断を持たず、新鮮な気持ちで対したいと思います。


しかし何回も観てて、話もわかっているのに
「うわー、このあとどうなっちゃうのかな!」とかドキドキしてしまうという
不思議な感覚でしたわ。


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