ものみだか日記~平井堅のことばかり考えるまいにち(仮)~

ものみだかい私が、ふなふな書いております。
柔軟剤はダウ●ー、料理は卵かけごはん。
そんなマスターに今夜もズキュン!

[生観]朗読劇「幻色江戸ごよみ」@京都・醍醐寺

2012-03-24 12:01:42 | ものみだか生日記

お江戸のみに飽き足らず、京都にも行ってしまいました…。

世界遺産劇場第十八回-醍醐寺-醍醐の宴
【第一夜】朗読劇『幻色江戸ごよみ』

チケ代に拝観料含まれてたのに、着いたの拝観時間過ぎちゃったよばかorz。

こないだ帰省したときにPARCO劇場で観て来たんですが、
今回は醍醐寺さんのイベントの一環だったようで
普段の劇場への観劇とは、かなり違った雰囲気でした。

醍醐寺さんの関係でいらしてる方も多そうだったなー。
開演前に、お寺の方とか、お客さん同士で談笑してて、
しかも家族で来てたりして(お嬢さんはお着物)。
「おお!京都の社交!垣間見ちゃった!!」って感じ。
「白足袋族って最強なんだよな!?」とか(笑)。
蔵さんのお父様と弟さん(TVで拝見したことある)もお見かけしましたわ。さすが地元。

東京公演のアフタートークかなんかで(私、行けなかった回だけど)
「京都では仏像に囲まれて(笑)」って言われてたらしく、
てっきり冗談かと思ったらマジか、マジだったのか、オイ……!!

会場が、国宝や重文を納めた宝物殿(霊宝館・建物自体は新しい)の
中のホールだったんだけど、
国宝の薬師三尊像がどーん!といらっしゃるのを背にした舞台!
客席左右のガラスケースの中には、これまた国宝・重文級の仏様が
ずらっと鎮座ましまし。
(中の写真はここのサイトに載ってた。平成館の大展示室だったらしい)

いや、あんまし現実感なくて、会場入った瞬間に
「ふははは」とかつい笑ってしまった。←罰当たり

東京公演の時は、『幻色江戸ごよみ』所収の短編の中から
日替わりの1話+「神無月」「紙吹雪」の3編だったのだけど、
今回は冒頭に醍醐寺の僧侶の方達のお聲明(しょうみょう)がありました。

# 20人ほどのお坊さんが、声を合わせながら列を為して会場内を巡るんだけど、
 「やっぱりお坊さんって声いいよなー。」
 「清少納言も、イケメンお坊さんの読経にキャーキャー言ってたらしいもんなー」
 「うちのお寺さんも真言宗で、住職さんもさいけど、声イケメンだもんなー
 発声法とか修行の中身とか、聞いてみようかなー」
 とか、さらにバチあたりなことが頭をよぎる…(でも手はつい合掌←条件反射)

 途中から、僧侶の方達が、手に手にはらはらと仏様の絵入りの紙をまいて
 (たしか蓮華の花を模してる。『散華』っていうんだっけ?)
 本当にそれが欲しかったのだけど、私のとこには落ちてこなかった…
 こないだライブで飛んできたギターのピックも取れなかったしな……(多分、一緒にしちゃダメ;)

僧侶の方々が退場された後、照明が落ちて、舞台上に3人が静かに登場。
後方の薬師三尊様に一礼してから着席。
  ↑
といっても、私のとこからは、お辞儀したのはわかったんだけど、
どっち向きだったかはわからなかった…。

それというのも、

薬師三尊様がライトに照らされて、金色にまばゆすぎた…!

朗読が始まってからは3人にも照明があたったんだけど、
登場時は逆光だったんですね。


やっぱり場所柄、東京とは全然違った雰囲気の公演でしたねー。
Team申恒例のお茶目な開演前アナウンスもなし。今回は当たり前か;)

正直、あんまり演劇をやるには良いコンディションの会場ではないですよ。
お客さんも「東京の倍」(とあとで亀さんが言ってた)で、
しかもフラットな床だもんだから、後方の席(私…)からは、
ヒトの頭の隙間越しになんとか舞台がチラッと見える状態。
亀さんに至っては、全然見えなかったよ~(T T)。

朗読なので、声が聴こえれば良いか……とも思ったけど、
動きがない分、表情が大事になってくる気もするし。うーん。
肉声でなく、マイク利用だったのも残念でした。
(なんだか場所が場所だけに、お坊さんの講話と同じマイク使ってるのかなーと。
演劇用の、息づかいやニュアンスまできっちり拾うマイクじゃなくて、
普通の拡声する機能だけのヤツに感じた)


でも、こうゆう場所でやること自体が特別で、『ごちそう』みたいなもんだしねー。
開場まで居場所がなかったり、トイレが全然足りなかったり、
快適さを考えると、そりゃー劇場のほうが良いに決まってるけど、
「それも含めてイベントとして楽しもう」っと思って座ってました。

#でも、演劇として集中して観るには、やっぱりPARCO劇場のほうが数段環境がいいので、
 「東京で観といて良かった…」とは、正直思った(笑)。


私は、東京公演は、上演期間のちょうど真ん中らへんに観たのだけど、
それから半月以上たって、結構変わっていたのに驚いた。

もともと歌舞伎の世界で老若男女を演じている亀治郎さんは、声色が巧みで
その素養が朗読でもイキイキしているんだけど
『神無月』で蔵さんも、登場人物の畳職人の“市蔵”の台詞を読むときに、
ちょっとしゃがれさせてたのですわ。

私の記憶だと、東京公演の時には、
そんーなに地の文読むときと差を付けてなくて
“市蔵”を演じるときも、普段の蔵之介さんの声だったかと…。
で、それがリアリティを感じさせて、胸に迫ってきたので
「なんかかえって芝居っぽくなって、残念かも…」
と思ったんですね、最初は。

でも、ちょっと引いて聞いてみると。

私の場合、東京でも観て(聞いて?)来たから、どうしてもそこと比べてしまうけど、
今回劇場仕様じゃない大きな講堂、しかもあまり良いマイクじゃない、
とすると、そのくらい大げさにしないと、
確かに伝わらないんだろうなあ~と思いました。
普段のままスッと読むと、ナレーションと台詞の差異がなくて平板に聞こえそう。

蔵さんの舞台の演技って、普段から
「どっかで自分を客観視してるんだろうなあ」
と思うことが多いんだけど(すごく間や動きのバランスや緩急がいい)
朗読でもそういう、場によってどういうふうに伝わるかって、
やっぱり意識してるのかなー。

と思ってたら、アフタートークの時に
「今回はマイクを通してだから、肉声の時よりも
伝わりにくいところも、伝わりやすいところもあって…」

と話されてて「あーやっぱ気にするんだなあ~」と思いました。

んん??蔵さんの言葉だったと記憶してるんだけど、
あれ?もしかして亀さんが言ってたっけ?…う。うろおぼえ…;;

その亀さんはというと、この方はもう、
声色を使っている、とも感じさせないような、
体への“芸”の染み込ませ具合(?)で
(言うても蔵さんの“作った声”は、ちょっとぎこちなかった・笑)
場所?マイク?はぁ何ソレ別に??って感じで、まったくの揺るぎなーし!
なんだろね?これが芸の力かなあ、すごい。

#芸の力といや、これもアフタートークのときに
 朗読だから、聴く人ひとりひとりが、
 登場人物をどんな“市蔵”か、どんな“おぎん”かを想像して…という話になり、
 蔵さんが、亀さんが「紙吹雪」で読んだヒロイン・おぎんちゃんを
 「いや、そうとうかわいいやろ」と誉めたら
 「直前まで居酒屋の親父をやって、そのすぐ後に可愛い女の子をやって…(苦笑)」
 と言ってて笑えた。でも、あー言われてみれば…って感じで、
 どっちもするっと物語に入れちゃうのがすごい。

佐藤くんは、声が陽性で渋い役は合いづらいというハンデもあるけど、
マイクだと、かえって間の取り方とか息の抜き方(?)のアラが如実にわかっちゃって
そこがつらかったかな。でも良い精進の機会だったということで、今後に期待。


個人的には、東京公演が、セットも含めて「闇」を感じさせるものだったのと、
物語の舞台が『江戸』なので、なまじ東京で観てきた分、なんとなく
薬師三尊様の輝きに包まれて朗読
というのがちょっとミスマッチ?と感じられて、
聞いててなかなか腹に落ちなかったのだけど、
(いや、それはそれでイベントとして面白いなーと思ってたし、
1公演だけでも関西でやってくれて、とてもありがたかったです。
当初は、醍醐寺の公演だけ行くつもりだったので。)


アフタートークで
「この仏様は、その当時の市井の人達の営みも見てこられたわけで」
的な話を聞くと、ああそうだわな~と思ったり。
でも、この話は江戸だから遠くね?とやっぱり思ったり(笑)。
(そういえば『家守綺譚』の舞台は京都(もしかして滋賀?)で、
これは場所的にもキャラ的にも(笑)違和感なかったなー)


2編ともハッピーエンドではない、弱い立場の者がやむにやまれず罪を犯す話なので、
「だだ、大丈夫か、仏様の前で…?」と思ったりもしたし、
物語の中で救われるわけでもないので(あえて言えば「人」が救うのか?)
その意味でも、仏様の前で読むこととのつながりが、
するっと腑に落ちるわけではなかったんだけど、
もう少し、舞台が見える座席だったら、
物語の中に“仏のまなざし”を感じられたのかなー。ちょっと残念。

しかし最後の「紙吹雪」は
夕焼けの中、屋根の上から証文を破った“紙吹雪”を降らせたぎんが、
先立った家族のもとへ旅立つ想いでつむぐ「西方浄土というところへ」
って言葉で幕切れなのだけど、

その演出効果として、
1500年の時を経た国宝の仏様たちが茜色のライトに包まれて

ちょっとヤバいそれ、西方浄土すぎる…!
はわわわ;;;

哀切きわまるシーンだというのに、その迫力のものすごさに、
ちょ、ちょっと笑えた…………。


しかし、その後もアフタートークでも、演者さん達みずからも言っていたので、
私ひとりバチあたりというわけでもあるまい(笑)。
(でも「我々まったく見えないんですけどね!」とは亀さんの弁・笑)

でも舞台上で朗読する側としては、
最初は緊張したけど、途中からだんだん見守られている気がしてきて
意外にやりやすかった、と口々に。
(でも「僕は普段から国宝に囲まれて仕事してますんで。動く国宝ね(笑)」とか、亀さんがやけにおもろかったな・笑)

蔵さんが
「朗読劇の時は、全身を使った劇の時以上に、」
終わった後にファンの人も友達も、熱く感想を語ってくれるんですよ」

って嬉しそうに言っていたのが印象的。

そうなんだよなー。もちろん芝居の蔵さんもいいんだけど、
朗読だと、自分の頭の中に、自分だけの物語世界が息づくから、
それを伝えたくなるんだよなー。

朗読劇は「またやりたい」とも言ってくれていたし、
また次の機会が待ち遠しいです。

次はべったべたのドッロドロの恋愛地獄とかね(笑)。
…え?そしたら相手、亀さん?
(いや、すごい聞き応えあると思うけど;)




余談)
 この日の朗読劇は、もちろんほとんど動きがないんだけど、
 この翌々日、同じで行われたのは「朗読劇 一期一会『MACBETH』」
 (またこれも、仏様の前でやるにはバチあたり演目だけど、逆に業が深そうでいいな…)
 あれも「朗読劇」って銘打ってるけど、あっちはもう、たかお走り回りだったよな、去年大阪城でやったとき;
 ダンサーさんとか津軽三味線の吉田兄弟とか、大人数だし;;;
 確か国宝の収蔵って規定が厳しくて、免震とかはやってると思うけど、
 あんな仏像ぐる~りのとこで走り回ったのか?たかお…
 『幻色―』の感想文書き終わってからチェック仕様と思ってたんだけど、
 ああバクバクする;
 まさか本火とかは使ってないと思うんだけどー!

 (『幻色―』だって、壁にじかに掛かった鎌倉時代の銅レリーフ(重文)の前に
 スピーカー置いてあって、こわかったんだよぉぉぉ(泣)!!!)


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