ケースワーカーうぐぐ日記~生活保護~

生活保護ケースワーカーの愚痴スペース

母はかつて日本人だった~在日1世~

2005-12-26 23:17:52 | 「外国人」と保護を愚痴る
在日1世の女性について「生活保護」の申請を受理した
その女性は40年来リュウマチを患い、特にこの20年間は入院生活を続けている。
関節という関節は人工関節で、常に介護・見守りが必要な状態。
大正15年生まれだが、頭はまったく呆けていない。
貧乏な家庭を支えるため学校に行かせて貰えず、日本語の読み書きは全くできない。

実際に申請手続をしたのは長男(62歳)である。
その長男は焼肉店を営み、かなり繁盛している。
しかし、10年程まえに中華料理店を出して失敗。1億円の負債を抱える。
今は何とか負債を6千万円にまで減らした。

兄弟全員で母であるその女性の面倒をみて来たが、兄弟は皆経済的に苦しく、それを悟った母の希望で「生活保護」という選択肢を採ったということらしかった。
聞けば、10年程前に亡くなった父親も片脚のない障害者だったという。
高給を求めて働いていた工事現場で事故に遭ったという話であった。

長男は62歳という実年齢よりは5歳以上若く見える。
家が貧しくて中学校までしか出ていないというが、生真面目な紳士である。
父も母も懸命に働いて来たし、自分も懸命に働いている。
だから余計に「お国の世話にはなりたくない」と彼はハッキリ言う。
その文脈で彼はこう続けた。
「日本人というのは本当にムゴイ民族ですよ。我々やお父さんお母さんがいかに不当な差別を受けてきたか、いかに苦労してきたか…」

「ええときだけ、それもいっときだけ日本人扱いして散々おだてといて、戦争に負けたら僕等は外国人扱いですか!?」
今回長男である彼は兄弟の代表として「生活保護」の申請に訪れている。
そのような嘆きは「生活保護」には関係なく意味がない。
彼も頭脳明晰な常識人だけあって、そのことはよく分かっている。
しかし、在日1世である父母の苦労を見てきているだけに言わずにはおれなかったようだ。
在日1世は「日本人」であったのに、戦後数年にして「朝鮮民主主義共和国」か「大韓民国」に属する在日外国人となり、差別は単なる「民族差別」ではなく「国籍問題」にまで発展し、さらなる苦汁を味わってきたのだ。
そのことを我々若い人間にも知っておいて欲しい、とにかく聞いて欲しい…そんな雰囲気が感じられた。

だが、

「日本籍」を日本政府によって奪われたというのは誤解である
日本政府は当初、「台湾」・「朝鮮」出身の在日者に対しては、人道上・国際法上の観点から「中華民国籍」・「朝鮮籍」か「日本籍」を選択できるように配慮すべきと考え、国会での政府答弁でもそのようなやりとりがなされている。
にもかかわらず、戦後成立した「朝鮮民主主義共和国」と「大韓民国」がお互いに対抗意識を燃やしつつ、南北両政府が「朝鮮半島出身者における日本国籍の放棄」を日本政府に一方的に宣言したのが真実である。

これに対して日本政府は朝鮮半島の両政府に抗議したのは勿論であるが、正論にもかかわらず無視されたのであった。サンフランシスコ条約締結・発効の前であり、厳密に言うと「無効」ではあるが、敗戦国であって国際的な発言権がないに等しい当時の日本に「正論」を押し通すだけの力はなかった。
南北政府はメンツにこだわり、半島出身在日者の立場を真剣に考えていた訳ではなかった。
このような無法・無慈悲を働いた片翼である韓国政府が「国交締結時の対日賠償権放棄」に対して「無効」であったなどと語るとしたら、呆れるほかない。

今の「在日」問題にまで思いを致したとき、半島出身在日者の状況を真剣に受け止め将来を考慮に入れるといった観点の殆どないままに、ただひたすら南北の張り合いの中で「メンツ」にこだってしまった未成熟な南北両政府の姿勢はより責められるべきであろう。
その責任は「朝鮮民族自身の未成熟」にあったとしか言いようがない。

ハングル教育に選挙権、そして被選挙権
これらは戦前の朝鮮半島において、間違いなく保障されていたものである。
「台湾」では「現地語」は公的に認められていなかったにも関わらず、「朝鮮」では「現地語=朝鮮語」が学校教育をはじめとする公的な場面で認められていたというのだ。
「その証拠に朝鮮総督府編纂のハングル教科書があり、日本内地にて刷られた国政選挙のポスターにハングルも併記されていた」という事実がある。
しかし、そのような歴史的事実をもって、在日1世の人々に対して「違和感」を覚えるのは酷である。
朝鮮併合により我々には到底推し量ることのできない鬱屈を半島の人々や半島出身の人々は感じたに違いない。
いずれにしても、一般の在日1世達は、南北両政府のお陰で「日本国籍」を奪われたなどと知る由もなかったのかもしれないし、それを知っていたところで「その意味を理解し、その事態に抗う術はなかった」のである。

「すぐに国に頼ろうなんて発想は我々の世代にはないですよ」
長男はそう言う。
民族・国籍云々は関係なく、日本の最近の若者へ反感があるようだ。
にもかかわらず、自分達が「生活保護」という国の制度に頼ろうとしている自己矛盾が歯がゆいらしかった。
なかなか興味深い人物・事例であり、今後も投稿することとする。