ケースワーカーうぐぐ日記~生活保護~

生活保護ケースワーカーの愚痴スペース

「孝」の朝鮮人 「忠」の日本人 ~民族性の問題~

2005-12-28 00:37:33 | 「外国人」と保護を愚痴る
在日1世の母親について、生活保護の申請手続をしに事務所を訪れた焼肉屋経営の長男(62)の話である。
前回の続きですね。

さて、最初その長男とは上司と2人で面接していたのだが、外国人への生活保護は「日本国の義務ではない(=在日外国人の権利ではない)」ため、少々イレギュラーであり、いくつか出てきた確認事項を解決すべく上司は面接室から離れた。
後は長男と僕との二人きりである。

「在日韓国人・朝鮮人」問題に興味を持ち、半島ウォッチャーでもある僕
彼等の日本政府・日本人への不満は「的を得たもの」もあるが、「恣意的な曲解」や「無知ゆえの誤解」が非常に多いのだ。突き詰めて行けば、論理破綻・矛盾だらけである。
彼等在日半島系人が何を不満に思い、何を誤解しているかのポイントは押さえている。
そこで、今回は彼等への同情的スタンスを採り、長男と生活保護云々とは直接関係ない話をする。
僕は彼等の言う「歴史問題」に興味を持っており、大学時代には在日半島系人の知人も身近にいた旨伝えた。
と、長男は相好を崩し、「我々の歴史に興味を持って頂いてありがとうございます」「お若いのに珍しい」などと言いながら、少し頭を下げた。
それからお互い年齢差はあるものの少し打ち解けて来て、日本人と朝鮮人(半島系人)の違いを長男が語り始める。
日本で生まれ、日本で育ったとは言え、親から朝鮮人として受け継いできたものは抜けないし、そのことで日本人との絶対的な違いを感じるのだという。

それは、

「日本人は『忠』を重んじる。我々朝鮮系の人々は『孝』なんですよ。」
ということらしい。
確かに正解である。的を得ている。
日本人は「忠義」を重んじ、ときとしては「親族」よりも「主従関係」などの社会的な繋がり・立場を優先する。
「公」を大事にするのだ。
対して、朝鮮人は「孝行」を重んじ、社会的な立場などよりも「親族」「身内」を何より大切にする。
朝鮮人が有する「孝」の理念においては、常に親孝行が求められ、子が親に逆らうことなど考えられない。
長男自身、片脚を失い障害者となっていた父が死ぬまで怖かったという。
アジア的な非常に良い話ではないか。
かつての日本もそうだったのであろう。

しかし、

「親族」優先・「身内」優先の社会は非常に厄介だ
「身内」の範囲は場面や状況によって、コロコロ変わるからだ。
例えば、日常生活においては親や兄弟が「身内」であり、これら親族を大切にするという美談レベルで済む。
これが韓国国内という範囲で捉える場面となると、「身内」は同郷の人々すなわち「地域」であり、熾烈さと根深さで有名な「地域対立」という政治・経済面で深刻な事態を生じている。「○×道出身者と△□道出身者は気が合わず、仲が悪い」などといったレベルでは済まないのだ。
さらに国内問題を超えると、「身内」は「国民」「自国」となる。
「身内」である「国民」「自国」優先なのであるから、「外国」を理解しようとする動機付け・スタンスは非常に弱いものとなってしまう。
その「外国」が「日本」であった場合は、なおさら「身内」たる「韓国」が優先され、「日本」に対しては何をしても良い…といった極端なスタンスになりかねない。
彼等は「日本」がただひたすら「朝鮮人」を搾取し、「朝鮮」の発展を阻害したと学校で教わり、強固な共通世論となっているからだ。
馬鹿馬鹿しい話である。
なお、結果として日本人の方が遵法意識が高く、韓国人は低いということにも繋がっている(最近の日本人は韓国人に近づいているかもしれない)。

長男は「日本人は『忠』の精神が強すぎます。逆に韓国人は『忠』の精神が薄いので、ドライですよね。会社から会社へ亘り歩くなんて、普通ですよ。」「顔もよく似てるんですけどね、民族性というのは抜け切れないですよ。」とまとめていた。
長男の分析(誰かからの受け売りかも知れないが…)は正しいが、その「違い」「民族性」は上記のような由々しき事態の根源を担っていたりするのである。

民族性というのは確かにある
そして、島国住人である日本人は、その重大性・影響力に対して、余りに想像力が乏しい。
同じ東アジアであっても民族性の違いは現に存在する。
マスコミや政府などに、そのような観点・切り口が余り見られないのは恐ろしいことである。