ROUCHE’s ROOM

バイク乗りのKAORI(ROUGE)の日常記録です。
防忘録も兼ねております(^^;

入院顛末記

2010-08-25 19:37:00 | 体調・病気
実は20日から少しの間、入院しておりましたase2
今から思えばその2日まえから貧血に似た眩暈はあったのです。
朝起きるのが辛くて起きられなかったり。

でもまぁ、「いつもの事」と気にしなかったのですが
20日、朝から実家へ行き、家事を済ませ
父と昼食をとった後に世界がグルグルと回り出しました。
・・・って実は回っていたのは私の目だったのですが(爆)

「ごめん、具合悪いから横になる」と
リビングで横になりましたが1時間経っても治まらないばかりか
どんどん酷くなる一方で・・・
父が「布団に寝た方がいいんじゃないか?」と
布団を敷いてくれて移動しようとした刹那、
猛烈な吐き気が襲って来ました。

どうやら体動があると吐き気が出るらしく
身動きが取れないまま、ボウルを抱えてうずくまる始末。

そのうちボウルを抱える手も痺れて来て
回転性目眩に吐き気に抹消麻痺って脳じゃないの!?
「これはヤバイかも」と救急車を呼んで貰いました。

救急車の中で酸素マスクをして貰いましたが
ちょっとした動きで吐いてしまうので全身吐瀉物まみれ
最悪の状態でした。
しかも、既往歴を言うと何処の病院でも敬遠するのですよ。
要するに「膠原病」という難病を抱えた患者は手に負えない。
全身の病気だしリスクが高いし受け入れたくないのです。
頼りのJ医大も(多分専門医のいない日だったのでしょう)
「ベッドが満床です」と断られて、暫く救急車の中で
いわゆる「たらい回し」を経験しました。
朦朧とした意識の中で
「ああ、こうやって幾人もが亡くなるんだな」
・・・と現代医療の歪を感じました。

やっと受け入れてくれたのは実は母が亡くなった病院dokuro
「うわっ。縁起悪い!しかも脳の疾患の疑い濃厚なのに」
(※母はクモ膜下で運ばれても何もして貰えず亡くなりました)
しかし、昼間だったのが幸いしてか、救命医は誠実な対応で
すぐにまず吐き気を止める処置をしてくれ、
やはり最初に疑ったのは小脳。
色々な検査を行なってくれて、どうやら脳は大丈夫そう?
多分、三半規管の異常でしょうとの診断でしたが
ただ依然目眩は続いているし、膠原病の特性からして
血栓が出来易い事などから、脳梗塞の可能性も高く
目が離せないとの事で入院する事に。


救急で搬送されての緊急入院だったので
取り合えずという事で宛がわれたのは老人病棟
いわゆる認知症の患者のお部屋でした。
しかも普段はベッドを置いていないスペースに無理やりだったので
TVもライトもカーテンも無し。
途中で替えて貰えましたが、とにかく賑やかな部屋でしたase2
誘拐されていると思い込んでいる方、
私を看護士と間違え何度も起こしに来る方
一晩中独り言を言い続けて眠らない方など・・・
「認知症の介護って大変なんだな」と
改めて思いました。

救急車には父が付き添い、その後ダーが早退してくれて
入院に必要なものを持って来て貰いましたが
見当ハズレなものばかりで不自由でした(^^;
男性ばかりなので仕方ないですよね。

こんな風な救急車で運ばれての入院も何度か経験がありますが
全て母が生きていた時の事・・・
改めて母の有難みを感じました。


そんなこんなで
実は大して良くなってないのに退院しちゃいました(爆)ase2
理由は「これ以上ココに居るのが耐えられない」
という私の我侭もあったのですが

病院サイドも脳疾患で無い事が確認され、
あとの治療法は目眩と吐き気のコントロールと
ひたすら安静を保つだけという事で自宅でも出来るとの事で
退院許可を下さったのでした。

って事で自宅で療養しておりますが
正直、退院した事を悔やむ位、大変です。dokuro
何しろ動けない、食べられないですから(^^;
ちょっと動くとグルグル目が回るので
来客があっても玄関先まで行くのが一苦労。
ただただひたすら横になっています。

やっと今、こうしてPCに向かえるようになりましたけど。
やっぱり長時間文字を見るのは辛いかな・・・nose4
原因と言えば・・・
多分、疲れが出たのでしょうね。
実家と自宅の往復で、ただでさえ私の体力では
オーバーワーク気味だったのに加え
父の入院や手術、ティムの看病、今年の異常な猛暑、
そして・・・こんな事があったせいで
精神的にも相当に参ってしまっていたのだと思います。
食事も屍を連想してしまうものは一切受け付けられなくなっちゃったし。
(元々、肉魚などは苦手ですが余計にダメになってしまった)

まだまだ目眩は続いているし、身体の回復と共に
心に受けたダメージも少しづつ回復して行くと思います。
多分。