先日来の暖かさで奈良公園の馬酔木(あしび)の花が盛りとなりました。
万葉集にも歌われる馬酔木、奈良には普通にある木なのですが、奈良公園の花の時期は3月から4月にかけての比較的短期間で意外と見過ごす年が多かったような気がします。今年はしっかり意識して花を見ています。
この馬酔木、たぶん中学生の時だったと思いますが、国語の教科書で読んだ堀辰雄の「大和路・信濃路」の中の「浄瑠璃寺の春」の印象が今でも鮮明に残っています。
「この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木(あしび)の花を大和路のいたるところで見ることができた。
そのなかでも一番印象深かったのは、奈良へ着いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英(たんぽぽ)や薺(なずな)のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅人らしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸(やっと)たどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。」
そのなかでも一番印象深かったのは、奈良へ着いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英(たんぽぽ)や薺(なずな)のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅人らしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸(やっと)たどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。」
という書き出しで始まる短い文章です。
太平洋戦争の最中のことですが、奥様と二人での奈良への旅行の様子が描かれていました。
なんか、まったりした雰囲気が心地よい作品だったような気がします。
「どこか犯しがたい気品がある、それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ。云わば、この花のそんなところが、花というものが今よりかずっと意味ぶかかった万葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、それらのどの花にも増して、いたく愛せられていたのだ。」
信濃路編には、列車の車窓から見つけた白い花(こぶしの花なのですが)についての夫婦のやりとりのエピソードがあって、これも中学校か高校の時の国語の教科書で読んで、辛夷(こぶし)の花というものを初めて知った記憶があります。
「青空文庫」で「大和路・信濃路」をiPodにダウンロードしました。改めて読み返してみようと思います。
浄瑠璃寺に咲くあしびを見てみたいです。
関東はまだ気温が低いようですね。
>浄瑠璃寺に咲くあしびを見てみたい....
春にお越しください。いいですよ。