以前、炊飯器が瀕死状態と書きましたが、なぜか、その後彼は復帰し、いまだに動いてます。どうしてだかまったく分かりません。「もう捨てるしかないか、…」という声が届いたのでしょうかねえ。最期の踏ん張りを見せてます。
息子曰く「蝋燭の炎は燃え尽きる時に、一番明るい…」……そうなのか? 炊飯器君。
で、今度はコンポのCDプレイヤーがうんともすんとも言わなくなりました。
ひょえ~、これは買ってまだ三年なんだぞ~! まだお釈迦になる年齢じゃないじゃん。
動きません。CDを吐き出すこともしません。
おい! 食ったママのCDをせめて吐き出せよ~。ってことで、色々試しましたがダメです。
確か、四枚は入ったままです。
この頃まったく聞かなかったから、だはんこいたか! お前っていう感じです。
もっぱら、PCで聴いてというか、メモリーに保存して聴いていたので、コンポの存在を忘れていて、ま、たまに聴くかなあと思ったら、これでした。
スピーカーから大音量で聴きたいと思ったら、ポータブルのCDプレイヤーを別に繋げれば、なんとか聴けますが……。
喰われたCDは……どうしよう……の世界に成り果てました。とほほ。
電化製品がとても便利になって、複雑化し、しろうとではどうしようもないっていうものが氾濫してますね。昔のものは単純で、その分長持ちしていたんだろうと思います。昔、映らないTVをばしばし叩いて復活!! っていうことが、あったりしたりしたけど…。
今はそういうわけには行かないんですよね。
しかし、どうにも原因が不明です。どうして突然動かなくなるのか……。脆弱な物の存在が腹立たしいというか、なんというか。メーカーに文句でもつけようかっていう気になったりします。
便利になって使い勝手がいいのはもちろんいいことですが、あまりに繊細な、あまりに脆弱な物が氾濫してきたら、手に技術のない一般人、凡人には対処のしようがありません。
せめて、五年はもって欲しかった……。
コンポを新しくしようと、壊れた物を前に思ってません。思えばきっと彼は動き出すような気がしたりするんですけど。(なんか、物に魂を求めている発言ですね)
実は、物に魂があるような経験って炊飯器君が初めてではなくて、なんとなく、そんな気分になってしまうのです。
まだ使えるものを、ポイポイと代えて、死に行く物を省みないってのはなんだか、切ないような気がしませんか?
そう言えば、昔はよく働いてくれた物品を供養する習慣があったなあと思います。
物も長く生きれば転じて妖怪にも神にもなるそうで……。
……、CDコンポが神に転じることはなさそうに思いますけどね。
コンポが壊れて中に入ってるCDが出てこずCDもおシャカに・・・ってよくあるみたいですよね。
ウチも前のコンポがそうゆう状態になって困った事があります、そのときはしばらくほっといて電源入れたら治ったのですが
その後も同じような事が何度となくおこったので買い替えました。
ところで、「モノにも魂がある」って感じします私も。
たしか、タイかどこかの国では家中の全ての物にひとつずつ毎朝お供え物をささげる習慣があったハズ・・・、そこまでしなくてもまだ使える物をポイポイするのはどうかと思いますね。
まあ、本体を分解する気があれば、多分CDは取り出せるだろうとは思うのですが…(前にPCも分解した私、けっこう、そういうの好きだから)
まだ、スピーカーは大丈夫だし、ラジオも聞けるし、…ってことで、心底、分解しても…って思ってないんですよ。
物に魂があるなら、そこのところも通じているのかもしれませんね。
ランディさんの本に、物も人も出所はさかのぼれば、すべて一緒の根から出ている的な文章があったんですよね。
石油製品ももとは植物。
植物と動物もさかのぼれば、一緒の根っこなんですから、魂もあっていいような気がします。
できれば、粗大ゴミにならないようにしたいなと思います。
しかし……、不用物がどんどんたまっていく……、てのはなんとか解消しなければならないんでしょうね。
複雑な気分です。