『博士の本棚』を読んだ。
で、すごく感じ入ったところを抜粋したい。
その一
言葉がぐさっと胸に刺さった時は、かつて私の口から吐き出された言葉によって傷ついた誰かに向かい、心の中で謝ることにする。あの医師から受けた冷酷さと同じものを、私もどこかで誰かに浴びせ掛けたのだと思い、本当にすみませんでしたと、頭を下げることにする。
小川さんの息子さんがおたふく風邪になって、不安でたまらない時に言われた医師の心無い言葉に、わが身を省みた彼女の言葉。ささいな言葉がもたらす、気持ちのゆれを相手を貶めることでなく、昇華しようとした言葉かなあと思うのだ。
その二
秘書室を辞めたあと倉敷の田舎に引越し、小説を書くのに没頭した。『中国行きのスロウ・ボート』は、もしかしたら自分にもいい小説が書けるんじゃないだろうか、という錯覚を呼び起こした。錯覚と希望を混同するくらい愚かにならなければ、誰も小説など書けないだろう。
「錯覚と希望を混同するくらい愚か」
これって、なんか、すごい言葉だなあと思いつつ、そうかも、、、、と妙に納得してしまったのです。
多分、どの分野であれ、どこか、自己陶酔の錯覚なしに、希望を語れないような、、、、気がします。
自分をとことん肯定しなきゃ、偉業の達成は絶対にないだろうから。(偉業の重さは人それぞれ・・・だけど)
偉業とまでもいかなくても、自分がやっていることがいつか日の目を見るって、信じる心がなきゃ、というか、盲目的に信じるような一見、「愚か」と思える信念がなきゃ、
ダメなんだろうなあ。
と、小川さんのこの本を読んで思いました。
彼女は、好きな作家さんの一人です。
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