連日の震災の報道をみていると被災にあわれた方の悲しみを思うと心が痛みます。ここで、お悔やみとお見舞いを申し上げます。
対して、首相、東京電力、原子力安全委員会、大学の教授の言動をみていると非常に腹立たしく感じてしまいます。責任を負うべき人々が自己保身に汲々としています。
昔は陰で悪いことを行わないように「おてんとうさまが見ている」ということが言われました。その言葉を信じている部分がありました。
社会と自然は分離しているのではなく、人間社会でおこなわれていることはお天道様が見ていて賞罰が顕れると感じていました。個人においても普段のおこないはすべておてんとうさまが見ていて自分の良心に恥じない生き方が大事であるとの考えがありました。
現在このような「おてんとうさまがみている」ということを言おうものなら個人の感想ととらえられるだけです。
1.今回の天災は、今の日本の政治動向や社会の動きと関係のない自然現象である。
2.個人個人は法律に触れることがなければ、自分の欲望を追求していけばよい。(個人主義の追求)
3.仕事は金銭を獲得するための手段である。
これら3つの考え方が問われています。
今回の震災で思い出されるのは、阪神淡路大震災です。阪神淡路大震災は社会党の村山富一首相の時に起きました。社会党が政権をとった時にびっくりしたことがあります。それまでは、「自衛隊は違憲である。」「安保反対」と叫んでいました。しかし、政権に就いた日から「自衛隊は合憲」「安保賛成」に主張を変更しました。この主義主張の変更も手品を見ているようになんの脈絡もなく突然行われました。また、創価学会つぶしに狂奔しました。
今回の震災でも、民主党は次々と国民との約束であるマニュフェストの実現をやめていきました。民主党の創設者の一人である小沢一郎つぶしを進めてきました。現在の政権には「何故このような人が大臣?」と首を傾げざるおえない人が中心にいます。
おかしな政治家がおかしい人を上に抜擢して悪政を行えばおてんとうさまは黙っていないと考えます。
最勝王経には王様が「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨、皆時を以って行われず」とあります。
今では、「おかしな政治家が政治をおこない、録でもない人がブレーンになると、地震、台風、つなみ等の大災害おこる」ということになります。この経文の内容は今から数千年前の人が書いた迷信と笑えるでしょうか?わずか数百年の近代化で自然をコントロールしたように考えている我々に迷信と笑えるのでしょうか?自然には意志はない。人間が意志を持ち自然をコントロールするという考え方が合理的と考えていますが。何故自然から生まれた人間だけが意志を持つのでしょうか?何故自然に意志がないと考えるのでしょうか?人間の思い上がりと考えます。
自然に対する思い上がりを反省すべきときに来ています。