備忘録 主にBotticelli

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バロック教会関係はnote

ドイツでの生活、バッハ関係はアメブロへ

バルディ祭壇 ベルリン絵画館 240609

2024-08-29 17:51:00 | ボッティチェリ

ミュンヘン近郊教会巡りをすると
このような配置の祭壇(木製彫刻)多いと感じる。

サヴォナーラに影響されたと言うことも頷ける
私は影響も受けた絵画も好みです
(最大に好きな絵画はチェステッロの受胎告知 Annunciazione di Cestello)


足元はボッティチェリの絵画で好きな部分

お花🌺もモチーフ化されている
プリマヴェーラのお花と同じ!
素敵

授乳🤱の聖母は他の作品にもあります

あらこんなところでとびっくり


工房作品?今どちらに?

ミラノのアンブロジアーナ絵画館
(受付でスペイン人と間違われた2007年頃訪問)



2人のヨハネのうち右側のイエスお気に入りの弟子福音記者ヨハネは老人に描かれているのが珍しい、…時空を超えた不思議な構図
祭壇ですから


フィレンツェのサント スピリト大聖堂の家族礼拝堂のためにアーニョロバルディからの依頼を受け、1485 年末に完成。

💻美術館ホームページより
 

この構図は、聖母マリアと幼子キリストが玉座に座り、聖人たちに囲まれている様子を描いたもので、特にフィレンツェで発展しました。

特にこの様式は、15世紀半ばのフラ・アンジェリコによって古典的な多翼祭壇画を近代化する試みとして始まりました。

このスタイルはすぐにフィレンツェ周辺の祭壇画における一般的なモチーフとなり、フィレンツェの商人ジョバンニ・デ・バルディの墓所礼拝堂の祭壇画もその例外ではありません。

彼はロンドンで富を築いた後、1480年代初めにフィレンツェに戻り、礼拝堂の装飾を依頼する際にはメディチ家に相談しました。

礼拝堂はフィリッポ・ブルネレスキによって設計された教会に設置され、建築家としてジュリアーノ・ダ・サンガッロが選ばれました。

そして、画家としてサンドロ・ボッティチェリが選ばれました。

この祭壇画は、ボッティチェリがメディチ家のために制作した他の作品(「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」など)とは異なり、より宗教的なテーマが強調されています。

例えば、聖母マリアがキリストを授乳する際に胸を隠しているなど、裸体を控える表現が見られます。

背景には植物が細かく描かれており、これはキリストの十字架が作られた木材を象徴しています。

また、聖母マリアは「閉ざされた庭」として象徴され、純潔が強調されています。

この作品は、ボッティチェリが象徴主義的な要素を取り入れ、植物の描写に非常に精密な技術を発揮していることが特徴です。

絵の中央に描かれた架空のパネルには、十字架が描かれており、視覚的な効果を高めています。

この祭壇画は当時の鑑賞者にとって宗教的なメッセージが込められた深い意味を持つ作品でした。



改めてバルディ祭壇を調べてみたらサンタクローチェのジオットの壁画がある祭壇ですね・・遠い日の記憶を思い出すと

短期留学中に夕方の美術史講座に参加したとき、教会の方に話しかけられて、明日はアッシジに行くのよと話した記憶が・・検索していたら昔よく読んだブログがヒット

日本語教師の勉強とイタリアに関してのテンションが高かった40代前半・・懐かしい

 

 

バルディ家の礼拝堂 - 日本語教師のひとりごと Il soliloquio di una insegnante:楽天ブログ

バルディさんちも、ペルッツィさんとこと同じ金融で栄えたおうち。 祭壇画はサン・フランチェスコ。 そういえば、この教会、フランチェスコ自身が建てたらしいわ...

楽天ブログ

 

 

 

 

ジュリアーノメディチの肖像画 ベルリン絵画館 240609

2024-08-28 19:50:00 | ボッティチェリ

2024年6月にお会いした
ジュリアーノメディチの肖像画

ジュリアーノメディチの説明にほぼ登場する



↑2023年8月(撮影)に訪問した時は愛人のシモネッタは修復中


殆どこの絵目当ての訪問だったのにどこ?と学芸員さんにきいたスクリーンショット




2024年6月訪問時はトンドを挟んで並んでいました。
(どの小説か解説か忘れましたが、時を同じくこの世を去り、そして新たな時代に変化していく…事がいつも寂しく感じます)



はじめてベルリンを訪問した2016年2月にもお会いできてなかったようです。
でもどこかでお会いしているかも…
将来追記の予感


聖セバスティアン ベルリン絵画館 240609

2024-07-14 09:19:00 | ボッティチェリ
2024年6月9日 ベルリン絵画館
 
聖セバスティアンの絵を初めて見たのは美術室にあった画集
初めて磔刑図を見た時のように痛々しさを感じます
 
(今思い出した…芸術新潮にセバスティアンの購入記録が書いてあったと思う→次回帰国時に🗾確認したい)
 
ローマの士官セバスティアンは、ディオクレティアヌス帝の護衛として働くためにキリスト教の信仰を捨てなければならなかった。彼が拒否したとき、彼は木の幹に縛り付けられ、写真の背景に見える帝国の射手によって処刑されました。彼らの矢は彼の体を突き刺したが、彼は処刑されても生き延びた。
この絵はフィレンツェのサンタ マリア マッジョーレ教会(懐かしいのために描かれ、その絵は右側の最初の柱に掛けられていました(ベルリン絵画館)
 
 
他の絵画では痛々しそうですが・・ボッテチェリの絵画は呆然としたあきらめ顔のボッテチェリらしい表情

左下の人物が気になります。矢を射った人たちでしょうか

こちらも意味があるのでしょうか?ゆっくり調べます。



船も見えます。

水墨画のような風景。ボッテチェリの後ろに描かれた風景はどれをとっても懐かしさが残る。空気遠近法でしょうか

セバスティアヌスは、ローマ市の3 人の守護聖人の 1 人であり

リオデジャネイロおよびニーダーバイエルン地方の首都ランツフートの守護聖人であり、

聖ペテロとともにファビアン、ヴェストファーレン州のゼルム、上プファルツ州のローディング、フルト・イム・ヴァルトの都市。リオデジャネイロ、実際にはCidade de São Sebastião do Rio de Janeiroでは、聖人の記念日に行列が行われます。

ドイツ語圏で最も重要なセバスティアンの巡礼地は、オーバーバイエルン州エーバースベルクにある聖セバスティアンの旧修道院教会で、聖人の脳箱が中世後期の貴重な聖遺物箱に保管されています。最近訪問したばかり(24.4)鉄格子越しでしたが、お近くにいらしたとは!これはきちんと訪問しなくては!

 


Kath. Pfarramt St. Sebastian  Ebersberg

 




サンタ マリア マッジョーレ教会フィレンツェの大通りにある教会。游学中は休憩スポットとして利用
次回訪問の時には聖セバスチャンのことを思いを馳せる予定
 

興味深い記事を発見!

 

フィレンツェ・ミステリー。錬金術師に石にされた女の謎(イタリア・フィレンツェ) | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

文・写真/佐藤モカ(海外書き人クラブ/イタリア在住ライター) フィレンツェ中央駅から中心街へと向かう大通りに、一つの素朴な教会が建っている。 サンタ・マリア・マッ...

サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

 

 

追記

エーバスベルグに問い合わせたところ

ツアーがあるようです

これはドイツ滞在中に行かなくてば


da ich denke, dass Sie eine Führung haben wollen, setzen Sie sich bitte mit Herrn Warg in Verbindung.

Herr Warg bietet Führungen u.a. in der Kirche an.

Stadt Ebersberg - Stadtführungen

 

Vielen Dank. Bei Fragen können Sie sich gerne bei uns melden.

 

 

Mit freundlichen Grüßen

Franziska Huber

image003

Kath. Kirchenstiftung St. Sebastian KdöR

Bahnhofstraße 7             

85560 Ebersberg


 


黒いヴィーナスは三回お会いいたしました。 ベルリン絵画館240609

2024-06-26 17:10:00 | ボッティチェリ

表紙は2024年6月に撮影

 
黒いヴィーナスのとは・・この命名気に入っています。

ブログ、ありました。
 
私は神戸博物館ではじめてお会いしました。
 
ウフイッツィ美術館のヴィーナスと比べれば、現実的な感じの美人(三つ編みがそう思わせるのかな)
去年2023年はルネッサンス部屋が閉鎖のため別の部屋で輝いていらっしゃいました
 
以下は2023年8月に撮影














①初めてお会いした

■会場:神戸市立博物館(神戸市中央区京町24)
■会期:2005年7月9日(土)~10月10日(月・祝)

■世界遺産・博物館島「ベルリンの至宝展」記者発表会 会場:ドイツ連邦共和国総領事館/2005年5月12日

 

②2023年8月16日 ベルリン絵画館

③2024年6月9日 同上 

 

歌う天使と聖母子、 天使たち《'Raczynski Tondo ラチンスキー・トンド》 1478年頃 ベルリン絵画館240609

2024-06-23 11:30:00 | ボッティチェリ
 
 
 
 



↑2016年2月に撮影
 
 

以下2024年6月10日撮影

堂々とした天使のレース

広重のような雨のような光を発見

威厳のあるキリスト

手がしっかりしている




 

 

歌う天使と聖母子、

天使たち《ラチンスキー・トンド》

1478年頃

このトンド(丸い絵)は、息子が若くして死ぬことを知っているマリアの憂鬱を表現している。

イエスの方は、これから起こるドラマに気づいていない:

彼は私たちを見て、母の乳房から黄金の乳を出す。 ラチンスキー・トンドとは、

1884年にラチンスキー伯爵家からの永久貸与品としてベルリンの美術館に寄贈された絵画の起源を意味する



天からの王冠ですね・・最初は橋に見えました
横にジュリアーノ シモネッタを従え・・この展示方法カタログや投稿で何度でも見ているけど
初めて見ました。(2023年はルネッサンスの部屋が閉鎖のためジュリアーノは他の部屋へ シモネッタは修復中)
 
 
 
この絵はあまり好きではなかった・・理由は画集にザクロの聖母の次に掲載されていたため
ザクロの聖母は圧倒的ボッテチェリ・・で天使が素敵
 
でも改めてこちらのラチンスキートンドの聖母が魅力的に思えてきた。
 
ボッティチェリのウフィツィ美術館へ | まるのたまゆら雑記帳

ボッティチェリのウフィツィ美術館へ | まるのたまゆら雑記帳

ウフィツィ美術館のボッティチェリによる『柘榴の聖母』鮮やかな色彩と精緻な筆使いに驚くばかり フィレンツェに滞在できるのは正味1日(夜は劇場へ)というタイト...

まるのたまゆら雑記帳

 
拾いブログで改めて鑑賞したいと思った
ラチンスキートンドは水色 ザクロはピンクのレース
鑑賞の仕方が年々変わるのも面白い
 
 
ベルリン絵画館で検索していたところ下記の動画が
 
画像は美しいけど
同じヨーロッパでもドイツ人だと違和感
(現在ドイツ住みなのでその辺にいる人・・という感)
シリーズはギャグしか見えない。特にセバスチャン💘は(笑)
Start der Social Media-Kampagne „Botticelli kommt nach Berlin“

Start der Social Media-Kampagne „Botticelli kommt nach Berlin“

###EMBED_CODE1###In jedem Trailer wird eine Verknüpfung hergestellt zwischen einem Gemälde Botticellis und einem markanten Ort in Berlin. Das ist eine Anspielu...

 

 
展覧会「ボッティチェッリ・ルネサンス」(2015年9月24日~2016年1月24日、ベルリン国立美術館絵画館
とは…。2016年2月に訪問しているのに…。残念😢
 
・・と思ったら、近所のアルテピナコテークで2015年のカタログを購入していた


 
 
ツッコミどころ(自分)変なシンクロ
満載なのでまた改めて備忘録したい
最近不思議なシンクロ多くて不思議・・やっぱりイタリアは惹かれあるらしい
 

💻15 世紀後半のグループセルフィーのように、7 人の若々しい顔がロンドファインダーに群がり、共有した瞬間を永遠に残します。しかし、何気ない現代のシーンとして誤解されないように、ここでは時代を超越したメッセージが明確に示されています。この絵画「ザクロの聖母」 (ウフィツィ美術館、フィレンツェ) は、イタリアのルネッサンス期の芸術家、アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・ヴァンニ・デイ・フィリペピ (1445–1510)、通称サンドロ・ボッティチェリによるもので、キャンバスに描かれた人物を簡単に識別できます。構図の中心にある最も大きな人物は、高価なラピスラズリと深紅の衣装をまとった聖母マリアで、この注意深く構成された対称的な構図の中で、6 人の翼のある天使 (両側に 3 人ずつ) に囲まれています。天から放射状に広がる金色の輝きの下、彼らは、母親と子の両方のために、純潔と無垢の象徴であるユリとバラの花輪を携えてやって来ます。豊かな体格の幼子キリストは母親の腕の中で無重力状態にあり、それぞれがそっとザクロ(この場面の中心的なモチーフ)に触れています。ザクロではなく、前置詞を慎重に選択することで、聖母マリアとその神の子の姿と、この卑しい落葉樹の果実によって象徴される人間の状態とのつながりとの間に擬人化された関係があるとの芸術家の信念を鑑賞者に気づかせます。

地上の人物と天上のケルビムの結合による、本来は喜びにあふれた共有の瞬間であるはずのこの絵には、悲しみのムードが漂っている。その代わりに、天使たち、特に母と子の集まりは、意気消沈した、後悔の念さえ抱いているように見える。テーマ的には、ボッティチェリは教会史の初期の時代を思い起こさせている。13世紀の「セルビテ修道会」や「マリアの召使の修道会」などの修道会が、十字架の下に十字架にかけられた息子を抱えて立つマリアを想像して「マリアの悲しみ」を描いたのだ。歴史的に、多くの信者にとって、このテーマに従うことは、宗教的実践における主要な信心となっていた。何世紀にもわたり、「マリアの悲しみ」は芸術家にとっても心を打つテーマとなった。「ザクロの聖母」では、母と子の表情が、神の子が間もなく耐えるであろう苦痛と拷問を鑑賞者に思い起こさせる。この作品では、フェスタイウォロと呼ばれる芸術家の技法を用いて、2人の天使と幼子イエス自身が揺るぎない視線を鑑賞者に向け、第四の壁を破って人類の許しと暗示される将来の悲しみからの救済を直接懇願しています。

「キリスト教では、ザクロは生から死、そして復活への移行を象徴しており、残された種から最終的に再び生まれるのです。」

ボッティチェリの『東方三博士の礼拝』(1475年)に登場する自画像と思われる。
15 世紀後半から 16 世紀前半にかけてのこの時期は、ルネサンス絵画技法が平面的な人物描写から、より生き生きとした「自然主義的」表現へと移行した重要な時期である。ボッティチェリはこの移行期の瀬戸際に生き、ペトラルカやボッカッチョなどの人文主義的な著作の影響を受け、同時代の流行を進んで取り入れていたようである。この作品における最も重要な革新は、卵黄と亜麻仁油を混ぜたテンペラ グラッサの使用である。これにより絵の具はより透明になり、乾燥も遅くなり、下塗りによって人間の肉体に似た効果を生み出せる層塗り技法が生まれた。油絵への移行は特に北方ルネサンス派で進んで行われ、ヤン ファン エイクがこの技法を発明したと誤って考えられていた。しかし、この技法はこの時期、ヨーロッパ中で実験されていた。

驚くべきことに、ルネサンス期の芸術家たち自身も、解剖学者や解剖学者になることが、人体への理解を深め、作品にもっとリアルな印象を与えることにつながると、非常に価値あるものだと考えていた。15世紀後半には、人体解剖学への関心が再燃し、ひいてはギリシャ・ローマ時代の失われた医学知識の復活が起こった。実際、墓泥棒、つまり「蘇り屋」たちは、教会の教義に真っ向から反抗し、掘り出した死体を高値で落札者に売るのに忙しくしていた(下、左)。この傾向は、芸術家たちに影響を与え、人間の姿、ひいては自然界に見られる姿をよりリアルに表現するよう促すことになった。

キリスト教では、ザクロは生から死、そして復活への移行を象徴し、残された種から最終的に再び生まれる。時が経つにつれ、ザクロは性的な意味合いを帯びるようになり、血のように赤い果汁と圧倒的な種の生産はキリスト教の多産性と、その観念の世界的普及の象徴となった。ボッティチェリの作品の場合、聖母の手にあるザクロは、イエスの苦しみと復活の完全さの象徴となっている。開いたザクロの中にある赤い種は、人類を救うイエスの流血を鑑賞者に思い起こさせるものである。『ザクロの聖母』に描かれたザクロは、心臓の解剖学の正確な表現とも類似している。ザクロの皮をむいた部分は、心臓の心室に似た非対称の心室を示している。絵を詳しく見ると、器官の内側の海綿状の膜が仮種皮(種子鞘)を 5 つの空間に分割していることがわかります。これらの空間は、心房、心室、および主肺動脈幹を表しています。冠は 2 つの部分に分かれており、上大静脈と 3 つの枝を持つ大動脈弓を模倣しています。果実はまた、幼児の胸の左側の前に保持されており、心臓の位置と重なっています。

「…この画家は、南欧の保守的な教皇当局の監視下で語られるキリスト教の進化の物語を組み立てる上で、マドンナが強さと美徳の象徴として長く苦しむ人物として重要な役割を担っていることを注意深く描いている。」
数え切れないほどの聖母子像や、ボッティチェリの青い目と白い肌の信者たちの描写を通して、2千年紀中頃のヨーロッパ人はキリスト教の物語を自分たちのイメージで積極的に形作っていた。『ザクロの聖母』では、南欧の保守的な教皇当局の監視下で語られるキリスト教の物語の枠組みの中で、聖母が辛抱強く苦しむ強さと美徳の象徴として不可欠な役割を果たしていることを、画家は注意深く描いている。おそらくフィレンツェ共和国の行政機関(マジストラト・デイ・マサイ・ディ・カメラ)の依頼によるこの絵画は、シニョリーア宮(ヴェッキオ宮殿)かポデスタ宮殿で一般公開される予定だった。最終的には、17世紀の枢機卿レオポルド・デ・メディチのコレクションの一部となった。ボッティチェリの傑作は1780年以来ウフィツィ美術館に保存されている。

何世紀も経った後でも、この絵画の視覚的な力は、人間の肉体と情熱を甘美に表現して見る者を魅了することができます。独特で美しく描かれた 6 人の天使の 1 人が、金色の輪舞のフレームから簡単に抜け出し、また別のグループ セルフィーで独自の「落ち着いた雰囲気」を捉えている様子が容易に想像できます。

 

リチャード・J・フリスウェル、編集長

https://artesmagazine.com/2024/08/gather-round/?utm_source=mutualart&utm_medium=referral
 
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