拙作集

自作の物語をアップしました。つたない話ですが、よろしくお付き合い下さい。ご感想などいただければ幸いです。

もう妖精は要らない(8)

2010年02月23日 21時19分07秒 | Weblog
8 突然の再会

 フレミーの予言通り、週明けの病棟は緊急事態の連続に追われていた。しかし、それはいつものことでもあったし、心配していた妙子の病状に変化はなかった。水曜の昼過ぎ、ようやく一連の騒動に収拾のめどが立った頃、新たなナースコールがステーションに響いた。ちょうど近くにいた早紀は、患者番号を確認しながら、インターコムに向かった。それは妙子からの呼び出しだった。
「香坂さん、どうしました?」
「申し訳ないんだけど、ちょっと来てもらえるかしら。緊急じゃないんで、すぐでなくていいから」
 わがままを言う患者も多い中、「先生」からこの種の依頼があるのは珍しいことだった。私が行きますと声を上げて、早紀は足早に妙子の病室へと向かった。

 いつものように静かなまなざしで外を眺めるその横顔から、大きな変化は読み取れなかった。早紀は少し安心して、孤高な患者に声をかけた。
「どうされました?ご気分がすぐれませんか?」
「あっ、ごめんなさい。緊急じゃないのに、コールしたりして。ついでの時でよかったんだけど」
 妙子先生にしては、声が弱々しく感じられた。
「遠慮せずにおっしゃって下さい」
「実はね、午後になってから、痛みがひどいの。特に背中のあたり。とてもつらくて」
 普段は我慢強い彼女から、これは初めてに等しい申し出だった。
「わかりました。柏原先生に相談してお薬を出してもらいましょう。大丈夫ですよ、すぐ楽になりますから」
「ありがとう。それでね…」
 どうやら、痛み以外に事情がありそうだ。早紀は柔らかく微笑みながら、続きを待った。
「午後、人が来るのよ。とっても大事な人。だから、あまり強いお薬は避けたいの。ぼうっとしている姿は見せたくないから」

 かといって、今のままでは痛みでつらい顔を見せることになる、という心配をしたのだろう。早紀にはそ の微妙な心中がよくわかる気がした。
「承知しました。眠くならずに、痛みを抑えるお薬もありますから。私から先生に事情をお伝えします。大事な方とは笑顔でお会いしたいですものね」
「わがままを言ってごめんなさい。今日、あなたがいてくれて本当に助かったわ」
 妙子の心のざわつきが引いていくことを感じ取りながら、早紀の脳裏にある疑問が湧き上がってきた。それを見透かすように、自分の希望を伝えきった患者は、いたずらっぽく笑って言った。
「あなたは本当に嘘がつけない人ね」
「え?どういうことですか?」
「無理を聞いてくれた恩人に対して失礼だけど、顔に出てるわよ、『大事な人って誰だろう?』って」
 図星だったので、早紀はバツが悪そうに苦笑した。妙子は、やっぱりねという表情を浮かべて言った。
「それは、今は内緒にしておきましょう。来たら、あなたにも紹介するわね」
妙子の表情が明るいものに変わったので、早紀もほっとしていた。主治医の先生に相談してきます、と言い残し、華奢な身体を翻すと早紀は病室を後にした。
 即効性があって意識混濁を招かない痛み止めの処方を妙子にした後、いくつかの雑事が、早紀をとらえては通り過ぎて行った。ルーチンの検温の時間となり、早紀が病室を回り始めた時、明るい笑い声が聞こえてきた。それは妙子の病室から響いてくるようだ。早紀は好奇心を抱きながら、努めて平静を装って病室へ入って行った。

「失礼します。検温です…あっ!」
 澄まし顔にまとった平静さは、どこかに消えてしまった。驚きとともに、小さな女の子が早紀の足元に抱きついてきた。
「おねえちゃん!ほら、また会えた」
 妙子の元に見舞いに来ていたのは、一緒に観覧車に乗った小さな天使と、その父親だった。紹介しようとしていた妙子は、事情がわからず、大きく目を見開いたまま、笑顔で会釈する早紀と見舞い客とを交互に眺めていた。

もう妖精は要らない(7)

2010年02月23日 21時17分41秒 | Weblog
7 ありがたくない予言

 ドアを開けると、部屋には冷気が満ちていた。エアコンが暖かい空気を吐き出すまでの時間がもどかしい。早紀は外したピアスを入れようと、洋ダンスの上のジュエリーボックスに手を伸ばした。

「うっ!」
 その瞬間、左腰から背中にかけて、感電でもしたかのような激しい痛みが走った。早紀は小さな悲鳴を上げて宝石箱を取り落とし、左腰に手をあてたまま、その場にしゃがみこんだ。木製の箱は運良くクッションの上に落ちたが、はずみで蓋が開き、中の小物が付近に飛び散った。同時に、箱に付いたオルゴールが鳴り出した。

「何、すんのよ!まったく、びっくりするでしょ!」
 尖った声に顔を上げると、フレミーがクッションの横に尻餅をついて座り込んでいた。化粧の途中だったらしく、派手な口紅が唇から大きくはみ出している。
「何、その顔?ご自慢のルージュが台無しじゃない」
 早紀は自分の痛みも忘れて笑った。
「うるさいわね、自分で落っことしておいてよく言うわよ。まったく、もっと大事に扱ってほしいもんだわ」
 フレミーは小さな手鏡を覗き込んで、はみ出た口紅を拭った。
「ごめんなさい。落とすつもりはなかったのよ。手を伸ばしたら、急に痛みが走って」
「例の古傷がうずいたってわけ?この寒空の下、頼まれて墓参りなんて物好きなことをするからよ」
「そうね、でも悪いことばかりじゃなかったわ」
「どうせあなたの『よかった』はたいしたことじゃないんでしょ?雲の切れ間から日が差していたとか?」
「それでも、そう思えること自体がいいんじゃないの」

 今日は不思議とフレミーの悪態を受け流すことができた。見知らぬ亡くなった人と向き合い、穏やかな時間を過ごしたせいだろうか?妙子先生には、こちらの方がお礼を言わないといけないのかもしれない。
「珍しく能天気なあなたを見てると、ちょっとムカつくわね。まあ、いいわ。いいことを教えてあげる」
 フレミーはすっと立ち上がると、けばけばしいワンピースのすそを直した。安いキャバクラのホステスは、きっとこんな服装をしているのかもしれないと思った。
「週明けにはもっといいことがあるわ、胸弾むような。でも、それだけじゃ済まない。とてもじゃないけど、そんなのんきな顔はしてられないわよ」
「どういうこと?」
「急変だの、悪化だの、いつも以上に大変なことが続くかも。あなたの大切な患者さんのお体にも、よくよく気を使ってあげることね」
「それは妙子先生のことを言ってるの?」
 顔色を変えてたずねる早紀をあざ笑うかのように、フレミーはその場で小さくジャンプすると消え失せた。気がつくとオルゴールの音は止まっていた。

(そんなに急を要する容態ではないはずだけど)
 せっかく上向いた気持ちに暗雲が立ち込めるのを苦々しく感じながら、早紀は冷たい部屋に一人、立ち尽くしていた。