SVO (to be) C と SVO as C は似て非なるものである。SVO (to be) C は事実によって拘束されるのに対して、 SVO as C は事実によっては必ずしも拘束されず、事実に対して中立的だからである。
換言すれば、SVO (to be) C では O=C であると考えられており、かつ事実として O=C であることが多い。それに対して、SVO as C の場合は O=C と考えられていることがあるにしても、だからといって O=C が事実である必要はないのである。
むろん、SVO as C が事実を表すこともあるが、それは義務的なものではなくて、任意のものなのである。
例として、think O (to be) C と think O as C、see O to be C と see O as C の違いを検討してみる。
1) Tobacco smoke is thought to be productive of cancer.
タバコの煙は癌を引き起こすと考えられている。
2) She often thinks of the doll as trusted friend who would never betray her.
彼女はその人形のことを、決して自分を裏切らない信頼のおける友だちのように思うことがよくある。
3) She saw him to be a man with a kind and handsome face.
彼女は彼が優しそうで端正な顔つきの人であることがわかった。
4) The patients came to identify with a central American tribute and saw the hospital staff as exploress.
患者たちは自分たちを中米の部族だと思いこむようになり、病院のスタッフを探検隊だとみなした。
1) と 3) においては、副流煙は癌を引き起こし、また彼は優しくハンサムだと考えられており、かつそうである可能性も高い。それに対して、2) と4) では、人形が信頼できる友人であり、また病院スタッフが探検隊だとみなされているが、現実にはそうではない。(ちなみに、いずれもジーニアスからの例文と訳文である)
このことは、同じ形式を採用する他の動詞にも概ね当てはまるように思う。
換言すれば、SVO (to be) C では O=C であると考えられており、かつ事実として O=C であることが多い。それに対して、SVO as C の場合は O=C と考えられていることがあるにしても、だからといって O=C が事実である必要はないのである。
むろん、SVO as C が事実を表すこともあるが、それは義務的なものではなくて、任意のものなのである。
例として、think O (to be) C と think O as C、see O to be C と see O as C の違いを検討してみる。
1) Tobacco smoke is thought to be productive of cancer.
タバコの煙は癌を引き起こすと考えられている。
2) She often thinks of the doll as trusted friend who would never betray her.
彼女はその人形のことを、決して自分を裏切らない信頼のおける友だちのように思うことがよくある。
3) She saw him to be a man with a kind and handsome face.
彼女は彼が優しそうで端正な顔つきの人であることがわかった。
4) The patients came to identify with a central American tribute and saw the hospital staff as exploress.
患者たちは自分たちを中米の部族だと思いこむようになり、病院のスタッフを探検隊だとみなした。
1) と 3) においては、副流煙は癌を引き起こし、また彼は優しくハンサムだと考えられており、かつそうである可能性も高い。それに対して、2) と4) では、人形が信頼できる友人であり、また病院スタッフが探検隊だとみなされているが、現実にはそうではない。(ちなみに、いずれもジーニアスからの例文と訳文である)
このことは、同じ形式を採用する他の動詞にも概ね当てはまるように思う。
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