先日神戸市立美術館での展覧会で初めて見たホドラーに感動した私は、今日少しだけ足を伸ばして兵庫県立美術館で開催されているホドラー展を見に行きました。
平日でそんなに混んでおらず、自分のスペースで見ることが出来て良かったです。やはり展覧会&映画は平日に限る…
第1次世界大戦前、若手研究者としてトルコに留学した「村田」の留学記。イギリス人の未亡人が経営する下宿に滞在し、同じくトルコに留学しているドイツ人やギリシア人との交流や、召使(ムスリム)とのやりとりなどが淡々と綴られている小説です。サラマンダーの妖精(?)みたいなものもちょっと出てきたりしてファンタジーっぽい情景も描かれていますが、当時のトルコの雰囲気を反映してか、全然不自然な感じがしません。
第1次世界大戦が始まって皆様々な運命に分かれて行ってしまうのですが、一番最後、トルコから日本の村田に届けられたオウム(下宿で飼われてた)が一言「友よ」としゃべったのを聞いて、村田が留学していた下宿やそこの人々を一瞬にして思い出す、という場面がとても感動してしまいました。以前上海で購入した洗剤を使った時のことをブログに書いたのですが、思い出というものは写真やビデオよりも、このような五感に訴えられた時の方が鮮やかに甦るものなんですよね…
結びの文言が「これが私の芯なる物語」
長い人生の中でたった数年(私の場合はたったの2年)の留学が自分の「芯」となる。
これもその通りだな…と思います。帰国してからすでに十数年経ってしまいましたが、自分の根っこ(ルーツ?)が何時だったかと問われれば、上海留学時代だと答えると思います。
「国とは一体何なのだろう」国も文化も宗教も違う人たちがお互いを思いやる姿は古今東西、今現在でも決して失われてはいないはずで、そこを忘れてはいけないと感じました。
第2弾の海外文学(最近はガイブンと言うらしい…)もアメリカから。読もう読もうと思って読んでいなかったヴォネガットをやっと読みました。
この本はナチスに協力した(でも実は二重スパイだった?)アメリカ人を主人公にして、個人の帰属意識や拠りどころとなるモラルとは一体何か?(それはあるのか?)と言うテーマでした。
結局主人公はどこの「国」にも受け入れらないまま、イスラエルに戦犯としてとらわれてしまいます。内容は主人公の回想で進められて行きますが、特にドラマチックでもなく、淡々と進むので結局何が彼の苦悩に繋がったのかよく分からなかったです…というか、何を以って苦悩と思っていたのか?さっぱりピンと来ません
これは多分この本のストーリーの仕組みが、私の頭の中にある思考の回路のパターンになかったからだと思われます…もう1度時間を置いて再読してみようかと思っています…
久しぶりに本格トレッキングに行ってきました。
東赤石山~赤石山荘泊~西赤石山~別子銅山跡のコースです。
2013GW 赤石山系トレッキングの記録
赤石山系は高山植物、特につつじなどのお花がキレイなところで有名とのことですが、ゴールデンウィークは少し早かったようです・・・残念。でもチラホラと足元や頭上に見ることが出来ました
1日目は渓流沿いをずっと登っていくコースだったのですが、これが結構キツかった・・・予定では3時間で山荘に到着するはずが、結局5時間近くかかってしまい、200名山である東赤石山の山頂に行くことが出来ませんでした・・・残念。
山小屋では最初外で鍋と燻製で夕食を取るつもりでしたが、寒くて早々に屋内に避難。暖房もないので、みんなで布団にくるまっていました・・・しかもこの山荘の布団がとってもビッグ!3人分くらいあるんじゃないかと思う大きさなのです(ロール布団と呼ばれ、山小屋の名物らしい)。また夜の懇親会で他のパーティの人から色々な話を聞くことが出来て面白かったです。オーナーも気さくなおじいちゃんで(しかも高知大OB)、久しぶりに豪気節を聞きました。
2日目は西赤石山まで縦走。途中断崖絶壁の細~い登山道を這うように進むコースもあり、結構ハラハラドキドキ。しかし晴れると石鎚山と瀬戸内海が両方見える景色は本当に素晴らしいものでした
西赤石山から銅山越を経て、別子銅山の跡地へ。ここはハイキングコースが整備されていて、昔の建物の跡などをゆっくり回ることが出来るみたいです。今回は下山を急いでいたので、少ししか見ることが出来なかったのがとても残念ですが、今は何もない山奥に江戸~明治にかけて一大鉱山都市があったなんて、信じられません。森林の中に史跡が残っている様子が「東洋のマチュピチュ」と言われているようですが、私のイメージは「天空の城ラピュタ」でした。次回は時間を取ってこの山の中の史跡を巡ってみたいと思います。
東赤石山~赤石山荘泊~西赤石山~別子銅山跡のコースです。
2013GW 赤石山系トレッキングの記録
赤石山系は高山植物、特につつじなどのお花がキレイなところで有名とのことですが、ゴールデンウィークは少し早かったようです・・・残念。でもチラホラと足元や頭上に見ることが出来ました
1日目は渓流沿いをずっと登っていくコースだったのですが、これが結構キツかった・・・予定では3時間で山荘に到着するはずが、結局5時間近くかかってしまい、200名山である東赤石山の山頂に行くことが出来ませんでした・・・残念。
山小屋では最初外で鍋と燻製で夕食を取るつもりでしたが、寒くて早々に屋内に避難。暖房もないので、みんなで布団にくるまっていました・・・しかもこの山荘の布団がとってもビッグ!3人分くらいあるんじゃないかと思う大きさなのです(ロール布団と呼ばれ、山小屋の名物らしい)。また夜の懇親会で他のパーティの人から色々な話を聞くことが出来て面白かったです。オーナーも気さくなおじいちゃんで(しかも高知大OB)、久しぶりに豪気節を聞きました。
2日目は西赤石山まで縦走。途中断崖絶壁の細~い登山道を這うように進むコースもあり、結構ハラハラドキドキ。しかし晴れると石鎚山と瀬戸内海が両方見える景色は本当に素晴らしいものでした
西赤石山から銅山越を経て、別子銅山の跡地へ。ここはハイキングコースが整備されていて、昔の建物の跡などをゆっくり回ることが出来るみたいです。今回は下山を急いでいたので、少ししか見ることが出来なかったのがとても残念ですが、今は何もない山奥に江戸~明治にかけて一大鉱山都市があったなんて、信じられません。森林の中に史跡が残っている様子が「東洋のマチュピチュ」と言われているようですが、私のイメージは「天空の城ラピュタ」でした。次回は時間を取ってこの山の中の史跡を巡ってみたいと思います。