goo blog サービス終了のお知らせ 

Life Line

18年続いたteacupでの活動をこちらへと引き継ぎました

日々を綴ります 生きている限りにおいて

宿

2011-02-10 21:41:00 | 心に残った記述、台詞
ニューヨークの宿を調べ始めたが、高い!高い!高いぞ!アメリカ人、良く分かってるね。

はやく決めてしまわないと、あとは高くなるばかりだろう。

泊りたいブルックリン地区は、中心部に近いと宿がそんなにない。
毎朝ブルックリン橋を渡ってマンハッタンに行くなんて、いいなあ
と思っていたのにな。

安すぎる宿は不安だ。
レビューにも、史上最低の宿、ドラッグの巣窟とか書いてある。


さて、どこに泊るかな。





コメント

どん底の人々より

2010-11-04 23:03:00 | 心に残った記述、台詞
第10章冒頭

 わたしは労働者を労働の奴隷にすることを拒む。わたしは労働者をわたし個人の安楽と傲慢の奴隷にすることも、あるいはわたしの属するご立派な階級の奴隷にすることも、断固として拒む。人間の幸せの向上のためなら綿の質が下がってもよい。綿を紡ぐ労働者が、労働にたいする優位性を奪われてはならない

―エマソン
コメント

余計なもの

2010-10-20 23:27:00 | 心に残った記述、台詞
ぼのぼの第3巻


ヒグマを辛くも追い返したスナドリネコさんと、
オオサンショウウオの会話

オオサンショウウオ

『なんという姿じゃスナドリよ。いつからそんなアホウになった』
『おまえはそうできても、おまえのようにできないものはどうなる。
ダメなやつだと言われることになるのじゃぞ』
『生き物の目的は生きて死ぬことだけじゃ。余計な事を付け足すな』
『余計なことがひとつ増えるたびに不幸もひとつ増えることになる。』
『できないことを守れ そしてもっともっと楽に生きろ』


スナドリネコ

『オレは楽に生きてるよ』

オオ
『血まみれの姿で、"楽に生きている"だと? では余計な事はどうだ?できないことを守っているか?』

スナドリ
『生き物の目的は生きて死ぬことだと言ったな。しかし生きていくことはどんどんこわれることだ』
『それを止めることは誰にもできないだろう。だから生き物は新しいものを作るしかない』
『たしかに新しい物は余計なものばかりだ』
『しかし余計なもので不幸になるとしたら、その不幸もやっぱり余計なものだとオレは知っている』
『そして多分幸福もな。だからオレは平気なんだ』



ん~ オオサンショウウオはさんはとっても現実的で達観してるんだが、
スナドリさんはそれをさらに越えている。どう越えているのか分からないのに、
凄い台詞ということがわかってしまう。

ぼのぼのは四コマ漫画なのに、読むのに本当に時間がかかる。
面白い中に、こういう読ませる台詞がでてくるから。
コメント (1)

(無題)

2010-10-14 23:51:00 | 心に残った記述、台詞
片岡義男さんの "日本語で生きるとは" 5カ月くらいかかって、ようやく読了した。
文章が素晴らしすぎて、少しずつ少しずつ付箋を貼りながら読み進めていたから。
300枚くらいはさんだだろうか。

読み終わってすぐ再読を決意させる本は多くは無い。納得の説得力。



・英語の世界と自分のとらえかた、
(英語のIは、日本語のわたし に相当しない!)

・英語学習に立ちふさがるいくつもの壁
・そして、日本語で生きるとはどういうことなのか  が、語られます。



片岡さんは、

あまりにも内向きの言葉としての日本語の使われ方を批判されています。

会社は日本となり、日本は会社となった。日本人は、企業において、私的利益の追求にかまけるためだけの、内向きの日本語を使い続けた。そのような、あまりにも自国語としてありすぎた日本語は、戦後ひとまず、日本を世界の頂点に押し上げた。しかし、、、




引用


 経済活動を拡大していく企業群、そしてそれを保護しついにはよりかかるまでになった政と官というシステムぜんたいにとって、もっとも都合のいい状態は、すべてが建前と本音で動いている状態だ。建前を前面に建てておき、その裏で本音が跋扈する。

 建前とは嘘のことだ。その裏面で裏ルールによっておこなわれることが、じつは本当のことだ。しかしそれは知られては困るから、隠蔽するほかない。嘘と隠蔽の国は、こうして出来ていく。どこの組織も自分たちの利益を守るために、嘘と隠蔽とを必要としている状態の現在は、戦後の日本がひとまず到達した地点だ。

 そしてその日本は、自らを改革し変わらなくてはいけないという。改革の対象は日本のすべてだ。ひとりひとりの意識がまるで奇跡のように変革され、それが日本の改革を引き起こすというようなことは、現実には不可能だと見たほうがいい。

 すでに書いたとおり、変わらざるを得ない部分から、変わっていく。その効果の蓄積と増幅が、変わらずにいる部分に対して、変化することを要求していく。最後まで変革を拒み続ける人たちがどこにいるか、少しずつ明らかになっていく。もっともうまくいった場合、このような日々を、これからの日本は歩む。





日本は、変わるのであって、変えるのではないのかな。
一人ひとりがくるりと別人のようになんて変われない。
コメント

研究 と 生活

2010-08-31 21:25:00 | 心に残った記述、台詞
おまえ甘いよと言われるだろうが、かなり疲れている。
ふと、ずいぶん昔テキストファイルにコピ-したこの文章を思い出した。


「みんな、だんだん生活に疲れるわけよ。

キャバレーで演奏したり、仕事したりして家に帰るともう、一日が終わるわけよ。だけどね、そんとき、30分でも体力があったらね、その30分を、『研究』にあてるわけよ。一日中働いて、30分しかないって言うわけよ。だけどね、それは違うんだよ。

そん時が、もし、おまえらに起こったらね、『ああ、俺はこの30分のために毎日生きてるんだな』って、そう考えるわけよ。そうしたらな、その30分も意味を持ってくるわけよ。

そんときは、そんな風に考えてみな。」


by 高柳昌行(1932~1991) 前衛ギタリスト



あんみつの、安藤まさひろさんや、御厨さんの師匠でもある。
他にも弟子は多数。


来月はどうも無理そうだけど、いや、来月だからこそ聞きたいのだけど、安藤さんに、『高柳さんはどんな先生だったんですか?』と尋ねてみたい。
面食らってしまわれるだろうけど。。



高柳氏の、"マスヒステリズム" = mass hysterism
という作品を、多分10回くらい手に取ったことがあるが、
結局僕は買ってはいない。タイトルに惹かれるところがありつつも、
その重厚と思われる内容に気後れして購入は毎回見送った。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-%E9%AB%98%E6%9F%B3%E6%98%8C%E8%A1%8C/dp/B000ILYWN2


ちょっと買って、聴いてみようか。
コメント