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庭で育てた草花と描く情景画
les couleur
高折みゆき

11月19日 牡牛座満月 月蝕

2021年11月21日 12時39分51秒 | 自分軸を整える


blogを書くのが遅くなってしまいましたが、
11月19日 牡牛座で満月を迎えましたね。

この日の満月は、部分月食とはいえ、ほぼ皆既月食と言っても良いほどの98%ほどの月蝕を伴い、天気のよかった日なので、夜空を見上げて、変化していく月の様子をゆっくりと感じられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この満月は、前回起きました蠍座の新月をワンセットではありますが、同時に約半年前に起きた月食からの変化を見つめるにもとても良い機会だったかと思います。

かなり強い影響力をもった月食満月でしたので、数日前から、さまざまな影響が出ていた方も多いのではないでしょうか。

わたくしごとですが、秋の3つの展覧会が終わって、気持ちが解放されたせいか、それまで感じないようにしていた心身の疲れが、どっと出てきた感じがありました。
気が張っている間は、感じないようにしている、心とからだの疲れ・・・安心したことで、待っていたかのように、思い出したかのようにでてくる疲れ・・・そんな疲れがあったのか、この1週間ほどは、眠っても眠っても眠っても・・・眠い・・・といっても、そんなに眠っていないので、ただの睡眠不足の感もありますが・・・

あとは、10代半ばで、突然逝ってしまった父のことが強く思い出されました。
10代半ば・・・ある意味いちばん多感な頃に、朝元気だった父が、その数時間後に、突然逝ってしまった・・・
とても悲しく、信じがたい出来事・・・10代半ばのわたしは、反抗期にはいろうとしていたこともあって、そのやり場を失ってしまったように思います。
悲しくて、寂しくて、辛くて、なにより信じられなくて、そんな自分が受け入れがたい突然の出来事のなかで、次第に、父のことは好きでなかったと思おうと思ってしまったように思います。
そんなに好きでなかったから、逝ってしまっても、そんなに悲しいことではない・・・
そんな悲しいまでに驚くようなそんな選択を、心にしてしまったように思います
そうすることでしか、その信じがたい現実のなかで、生きていくことができなかったのかもしれません。
いま思うと、あまりにも、悲しく切ない選択でしたが、それでも、当時のわたしには、不器用ながらも、そうすることでしか、納得ができなかったのかもしれません。できるだけ生きやすくするためには、大切で大好きだった父が逝ってしまったかと思うよりも、そう思うことでしか、受け入れられなかったのかもしれません。

その想いは、とても強いものでしたので、気がつくと、次第にそれが真実かのように塗り替えられてしまったように思います。
父は、わたしたち家族を置いて、突然先に逝ってしまって、ほんとうに無責任で、身勝手で、傲慢な人だった。とてもひどい人だった、わたしのことなど愛してくれていなかったのだと、思うようになっていきました。
想いの力というのは、とても強いものですね。
気が付くと、そちらが真実になってしまっていたかのように思います。
亡くなった父に、一線を引いたような気持で、それからの人生を歩んだように思います。
いなくても、普通に、それ以上に生きていくことができる・・・
そんな風に自分を奮い立たせて生きたのかもしれません。

でも、それは、あたり前なのですが、間違っていました。
やはり、どこかで、バランスを崩してしまっていたのだと思います。
今年、実家の整理をしていた際に、父の持ち物がいくつかでてきて、ふと1つの時計に目がとまりました。
なぜだか、とても気になって、手巻きだった時計を、時計店にもっていき、整備してもらうことにしました。 
その時計店で、女性がつけてもよい大きさで、せっかくだから、まだまだ使えるので、ぜひ使ってあげてくださいと言われて、わたしのしている時計を外して、その時計を腕につけてくださいました。
帰り父の時計を身に着けて、チチチチッと時を刻む音をきいていると、自然と涙があふれてきました。なぜだか、父の想いのようなものが溢れてきて、わたしたち家族と一緒に、どんなにか一緒に居たかったか・・・そして、一緒に時を刻みたかったか・・・
そんなあたたかい想いが、わたしのなかに、まるで父が同調したかのように、一体化したかのように感じたのです。

父はわたしたち家族と一緒に過ごしたかった。
やむを得ず、先に逝くことになったことが、どれほど無念で不本意だったか・・・
そして、父と過ごしたたくさんの思い出が思い出されていきました。
父に、わたしは愛されていた
それなのに、わたしは、亡くなった父に対して、ずっと反抗期をしていたかのように、心のどこかで、責めて拒否しつづけたような時間を過ごしてしまった。
そのことが、父には、どれほど寂しいことだったか、どれほど、辛いことだったかと、やっとやっと気がつきました。
ほんとうは、ずっと心のどこかで、気がついてきたのかもしれません。
それでも、その古い想いが、いつしかわたしのなかで、信念のようになってしまっていて、どうしても、どうしても、そのことを手放せなかった。

それでも、やっと気づくことができたように思います。
そして、わたしは父が大好きだったこと、父がたくさんの愛情を注いでいてくれたことを
ようやく受け入れることができたように思います。

わたしが風邪をひいたときに、深夜に車を走らせて、好きなフルーツを買ってきてくれたこと
わたしが大切にしていた小鳥がいなくなってしまったときにも、みゆきが元気になったから、役目を終えて飛んで行ったんだよと言ってくれたこと
夜に、ライトアップされたお城の近くをドライブに連れていってくれたこと・・・
わたしが、クラスメートにケガをさせられたときに、相手の親に毅然と抗議してくれたこと・・・
忙しいなかで、学芸会のときに、お洒落して見にきてくれたこと・・・

不器用な愛し方だったかもしれない・・・それでも、ほんとうにほんとうに、愛してくれていた・・・それなのに・・・それなのに・・・
こんなにも長く、心のなかで、なかったことにして、拒否しつづけてしまった・・・
ほんとうにごめんなさい、お父さん、ほんとうにほんとうにごめんなさい
そして、ちゃんと愛されていた  ほんとうにほんとうにありがとう

そんな想いがようやく堰を切ったように、あふれてきて、涙が止まりませんでした。
満月前日、旅先の川辺で、そんなことをずっと感じて、ずっと泣いていました

すると、自然に、これまで起きたことが思い出されてきて、いかに自分がバランスを崩してしまっていたか・・・父に愛されていなかったと思うことで、バランスを取っていたようで、かなり崩してしまっていた・・・それが結局母との関係性にも影響を与えていたし、それ以外の人間関係にも及んでいたように気が付きはじめました
さまざまな出来事にも自然と意識が向いていきました

たくさん、たくさん泣いたせいか、とてもすっきりとして、全部が川に流れていったように思います。 あたらしい人生を歩むにあたって、きっと古い思い込みを、どうしても手放さなくてはいけなかったのだと、そのための旅行だったのだと気が付きました。

ふと、座っている場所の目の前の川を見ると、ちょうど境目のところだったのです。
ゆったりとした流れから、一段段差を超えると、一気に流れがはやくなる・・・そんな場所の前に座っていたのです。

そのことにもなぜだか意味があるように感じました。
ステージが変わる・・・
いままでのことも、いままでの経験も、これまでの人生には、大切で、かけがえのないものだったかもしれない・・・
それでも、あたらしいステージへと変わるとき、おおきなチェンジが起きるとき、もう手放して、ほんとうの自分に戻る必要があったのだと教えてくれているかのようでした。

そんな風に思っていると、木の葉が、ゆらゆらと流れてきました。
段差を超える手前で、ゆらゆらしていましたが、段差を超えて、一気に流れていきました。
きっとステージが変わる前では、不安も躊躇もあるかもしれないですが、それでも、まだ見ぬ新しい世界の素晴らしさもあるかもしれない
そんなことを、教えてくれたかのような出来事でした

とてもすっきりとした気持ちです
そして、ようやくそのことも、受け入れることができたかのように思います

その後、ゆっくりと眺めた景色は、先ほどまでの景色と変わらないはずなのに、一層輝いているかのようでした。

あたらしい日々、あたらしい人生で、きっとこれからもいろいろなことが起きるでしょう
順境もあれば、逆境もある・・・それでも、これまでの人生がそうであったように、すべては大いなるなにかに導かれているのかもしれません
生まれる前に書いてきたかもしれない人生という物語に、既に描かれているのかもしれません
そうであるならば、そのことを信頼して、人生を思うように生きればいいのです
そのことをただ信じて、しっかりと生きていけばいいのだと、不思議と心から感じることができました

わたしの話がとても長くなってしまいましたが、今回の満月の影響力の大きさを実感した出来事だったので、とても個人的な話しですが、書かせていただきました。

すべては、何かしら導かれていると思います。
望む場合も、望まないできごとも、すべては、なにか意味があるのかもしれません。
そのときに、どう解釈していくかで、人生は、大きく変わる気がします。
すべては、自分のなかに、答えがあるのかもしれません。 そして、その人にとって、最善のタイミングで、その答えに導かれるようにできているように思います。

今回の満月は、サビアンシンボルは、成熟したロマンスで求められた女だそうです。
別の言い方をすれば、さまざまな人生の変化を受けた女性が、本来の自分自身の魅力をだしていくことで、あたらな愛だったり、チャンスを受けとれるという意味でもあります。

そのために、今回の満月は、月と太陽を調停する角度に冥王星が位置していたこともあって、
根本的な変容が求められ、ほんとうの自分自身に戻ること、ほんとうの望みに気づくこと、
そして、そのことを、しっかりと受け入れて、たとえ一人であっても、それをやりきるという、強い覚悟をもつことで、ほんらいのあなたらしさが出てくる・・・そしてそのことで、結果さまざまな恩恵が入る・・・そんなことを意味しているようです。

また、月食は、古い自分像を脱ぎ捨てるということがテーマにもなり、
今回、土星とカイロンが60度で、これまでの葛藤や、試練をしっかりと受け入れてきた方々にとって、過去の傷をいやすカイロンが60度なので、
過去のことも、すべては意味があって、そのことはそのことで、自分を創るためには、大切な出来事だったという、おおきな癒しも起きています

過去の歩みを認め、そしてそのうえで、過去の自分を超えていく・・・
そんな満月月食だったかとおもいます

今回の満月は、2022年を大きく左右する、大切なタイミングだったかと思います。
2020年、2021年と、激動の2年が間もなく終わります。
これからが、あたらしい時代の本番です。
あなたが、あなたらしく、きらきらと輝く人生の物語を創造しいくことを心が祈っています。

私事の話がとても長くなり、全体的に長文になりましたが、もしも最後までお読みいただけたなら、心から感謝いたします。



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