セントレアから~

旅の始まりは、セントレア(中部国際)から~
趣味ではじめたフラと、おばさんのひとり言も。

東北・岩手 遠野~陸前高田 2012年4月16日 

2012-04-25 | 東北旅行
今日は岩手県最大の被災都市。陸前高田へ。

昭和30年1月1日 高田町、気仙町、広田町、小友村、米崎村、矢作村、竹駒村、横田村が
合併し、陸前高田市が設置される。
今回津波被害を受けなかったのは、横田のみ。

川の駅 よこた。
これから入る陸前高田市内は、トイレはまったくないので
ここでトイレ休憩です。


ここで、陸前高田市観光物産協会 實吉(みよし)さんと合流し、
陸前高田市内を視察します。

實吉さんのご自宅は、築100年をこえる家屋ながら家は無事でした。
が、震災後3か月は水道が出ず、苦労されたそうです。
しかし、妹さんを亡くし、青森県境近くで荼毘にふすまで、
ガソリンがなく、朝5時からお昼近くまで並んで、一人20リットル買えるのみで
数日並び、やっとクルマをだし、青森県境近くまで行けたそうです。
震災直後は生きるのが精いっぱいでしたが、
今の方が悲しみが強いそうです。

陸前高田の町並みは壊滅的な被害で、
とても遠くから、海が見えます。
3・11以前は沢山の町並みがあり、この位置から海は全く見えなかったと思います。


一番高い建物が千昌男さんがオーナーだった、キャピタルホテル1000
古川沼前にあったホテルは、地盤沈下で今も水につかり解体中。


曲がってしまった欄干。


瓦礫の山。TVや新聞で見ると、小さく見える瓦礫も
実際見ると、その何十倍かあります。
今一番の問題は瓦礫。
この瓦礫が無くならないうちは、復興は難しいそうです。


バスの背丈を超す瓦礫。
瓦礫は岩手県で476万t、処理に11~13年かかると言われています。


岩手県立高田病院




橋がなくなっています。


私が訪れた時は、街の瓦礫は瓦礫置き場に置かれ、一面ほとんどなにもなく、
瓦礫を片付ける方や、工事の方がいるだけで、
道行く人も3人ほど、見かけただけ。
車も少し通っているという状態でした。
トイレなんて、ないはずです。


気仙小学校


気仙中学校


奇跡の一本松は行程表では車窓からとなっていましたが、
気仙川対岸でバスから降ろしてもらえました。
高田松原は以前は綺麗な砂浜があり夏は、海水浴客でにぎわっていましたが、
地盤沈下で砂浜はなくなりました。


奇跡の一本松は、潮につかり、液状化で枯れてしまいそうです。
下枝が伸びて瓦礫が引っかからなかったことと、堤防が近かったのが残った理由だそうです。




博物館・図書館・中央公民館
公民館は避難場所でしたが、避難場所が被災。


消防署


陸前高田市役所 正面玄関


實吉さんにお話を聞きます。
4階まで津波に襲われ、屋上に上がった方は助かりました、
庁舎内にいた方は、助からなかったそうです。


津波で流れてきた、クルマが庁舎の中に。


同じ旅仲間の方がお経を唱えていました。


市役所から、少し北にいくと、デパート・マイヤ。


よく報道写真にありました。


市役所のお向かいの市民会館

これらの公共の建物は今年度予算がついたので、取り壊されるそうです。
本当に何にもなくなってしまいます。

市役所の前の瓦礫




高田バイパス近くの、海に近いアパート
5階の窓が破られているので、そこまで津波に襲われています。


野球場は80cmの地盤沈下で海の中に、


地図で見るとたくさんの建物がありました。
鉄筋コンクリートの建物を残し、すべて津波に持っていかれました。

黄色が津波の浸水域です。

實吉さんは「大津波が襲った たった30分くらいの間に、
20000人近くの貴重な命がなくなるなんて、
原爆でも落ちるかしなければ、そんな事ってないことです。
人生には上り坂・下り坂そして まさかが…
あの時、私もまさか大津波が街を壊滅状態にしていったなんて信じられなかった。

3・11の2日前にも、震度5の地震があった。
その時の津波は50cm。
だから、今回もたいしたことないだろうと思ってしまった。
それがいけなかった」と。
想定に、とらわれてはいけないと。
そして、家族で避難場所の確認もして下さいとのことでした。

実は被災地に、旅行で足を運んでいいものか?と、思っていました。
しかし案内人の實吉さんは、
是非来て・見て、物産を買って、食べて、ほしいと。
TV・新聞・雑誌・ネットなどではなく、
実際その場所に立って見てほしいと言われました。

しかし、やはり旅行で来て…と、不愉快に感じる方もいらっしゃると思います。
申し訳ありませんと、言うしかありません。

いわて花巻空港から名古屋へ帰ります。
ターミナルビルが新しくなっていました。
(2009年に滑走路東側にオープン)


今回もセントレアではなく、県営名古屋空港へ。


この旅行は、八戸から三陸海岸を南下し陸前高田まででしたが、
この先最大の死者・行方不明者を出した、宮城県
福島第一原発のある福島県
津波・液状化被害を受けた、茨城県・千葉県とあります。

私ごとですが、私の息子は
福島第一原発の事故が本当に収束するまで
福島に定期的に向かうことになります。
(今の職場を異動すれば、また別の人が)

もう震災から1年以上たったので、復興した。
と、思っている方もいらっしゃると思いますが、
今回見てきたように、今なお続く厳しい状態。
消えない瓦礫の山、まだまだ復興には程遠く、
家族や故郷を失い まだ辛い思いをされている方は
たくさんいらっしゃると思います。
そして まだまだ支援の手は必要です。

あらためまして昨年の大震災で、亡くなったり行方不明になった方々の
ご冥福をお祈りし、被災された皆様方にお見舞い申し上げます。

今は小さな子供さんたちが 大きくなるころには、
また住みやすい街ができていることを、願っております。
未来の大人の為に、
だれもが希望を持ち、心穏やかに住めるふるさとをつくることができますように。

遠く離れ何もできませんが、今回見聞きした事を忘れず、
これからも応援し、いつも思いをはせていきます。
そして、いつか又訪れて、復興していく街を、見てみたいと思っています。

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東北・岩手 八戸~宮古~遠野 2012年4月15日 

2012-04-21 | 東北旅行
2日目は岩手県に入ります。
団体ツァーなので、下車する所は限られており、
バス車内から撮った写真は、反射したり、見にくいものもあります。
また、地理不案内なため写真と説明があっていないところがあるかもしれません。

北山崎
高さ200mもの断崖に、穴が開いた岩。
私はこちらは数年前に訪れたことがあり、あの穴は津波で崩壊してしまったか?と
思っていましたが、
自然にできた物は、今回の大津波でも壊れませんでした。


三陸鉄道小本駅から、宮古駅まで乗車します。


北リアス線では宮古~小本駅間、田野畑~久慈駅間で運行しています。


小本駅を発車し、長いトンネルを抜けると、
初めて実際に目にした、被災地・宮古市田老。


田老のスーパー堤防。
大津波は軽く10mの高さの防潮堤を乗り越えてしましました。


ところで、防波堤・防潮堤の違いは…

★防波堤
海の中にあって波をおさえるもの
★防潮堤
陸にあって高潮の時に災害から守るもの


瓦礫はとりあえず、瓦礫置き場に置かれ、
一見片付いたように見えますが、瓦礫の多さが問題です。
基礎だけが残り、言葉が出ません。


車内では車掌ガイドさんが被災地の説明をしてくださいました。

ガイドさんの言葉で、
「何もなくなっていい、命があったから」…心に残りました。


宮古駅前。ここも津波の浸水域でした。


割烹 魚元さんで、海鮮丼の昼食を頂きました。
こちらも津波の海水が押し寄せて来たと言います。


昼食後、浄土ヶ浜へ向かいます。
この辺りが、ヘドロを巻き込んで黒い波が襲ってくる報道写真の所です。




途中宮古で一番被害が大きく、壊滅状態の鍬ケ崎地区を通ります。


宮古魚市場は解体中です。


港で船をつける岸壁、防潮堤も被害を受け
現在も船を安全につける場所がないそうです。


地盤沈下で、大潮になると、冠水するそうです。


浄土ヶ浜に着きました。


以前は3艘あった、遊覧船は2艘津波で失い
今は船長が震災時 大津波をのり越えて沖へ避難し、
唯一残った遊覧船で、営業中です。


奥の船はたまたま修理で丘に上がっていた、北山崎の観光船。
ですが、この船の港は壊れてしまい、戻れないそうです。


1個100円の「うみねこパン」。
震災時沖に避難した船長は3日港に戻れず、このパンを食べていたそうです。


船の周りにはウミネコが群れ飛び、「うみねこパン」 を差し出せば、
手から器用にくわえて飛んで行きます。


この日は波が荒く、潮吹き岩から、潮が上がっているのがよく見えます。


こんなに、美しい海が牙を剥くなんて…




お土産を買おうと楽しみにしていた、浄土ヶ浜ターミナルビルは休業中でした。


仮設住宅。


震災後たまたま見つけた 鍬ケ崎の若い漁師さんのブログ「漁師の徒然なるブログ
大地震後、船は大津波を乗り越え、沖に出し無事でしたが、大津波で家を失っておられます。
三陸は本当に良質な海産物の宝庫で、今も船を出し頑張っておられます。
いつもブログを見ています。


左奥に見えるのは、鍬ケ崎小学校。
そこまで、津波が来たそうです。




宮古とはお別れし、
隣の山田町に入ります。


町ごと壊滅状態です。


一つの街が無くなってしまうなんて…


道の駅やまだで、休憩。
山田町はシイタケ栽培日本一だそうで、干しシイタケを買いました。


町長が亡くなった、大槌町を通り、



↓瓦礫の山の向こうに見えるのが。「釜石の奇跡」と呼ばれた
釜石市立釜石東中学校と鵜住居小小学校。

最初校庭にいた中学生が
1キロ近く離れた高台にある指定避難所のデイサービスセンターを目指し逃げ出した。
隣の鵜住居小学校でも、中学生が走って逃げるのを見て、
つられるように走って、中学生は小学生の手を引いて逃げた。
しかしデイサービスセンターの「裏の山林が崩れそうだ」というので
またその先400mの高台を目指す。
学校にいた生徒は約1.5キロ離れた峠まで走って逃げたため全員無事だった。
バスで走っても、距離があったのに、
中学生の中にはデイサービスセンターの車いすを押して、
小学生をおぶっていた子もいたそうだ。

古くから津波に苦しめられてきた三陸地方の言い伝えである
「津波てんでんこ」(津波が来たら、他人に構わず各自てんでんばらばらに逃げろの意味)
の教えを守り、実際に実行できた、防災意識の高だった。
「津波てんでんこ」は、
また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、という
不文律にもなっている。


釜石


釜石駅


この先は、遠野市のホテルに入りますので、
津波の被害はここまでです。

3月11日の東日本大震災発災以来、瞬時に遠野市は沿岸被災地後方支援基地として、
自衛隊、消防、警察、電力、医療そしてボランティアなどの活動拠点となってきた。
また、市民からの食料など救援物資の確保や提供、避難された方々
の受け入れなど、官民が一体となって被災地への支援活動を展開してきたそうです。

遠野市には津波被害が想定されていないのにもかかわらず、
沿岸地域のために支援をしようと
以前から計画していたことには驚かされました。

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東北・岩手 名古屋~八戸 2012年4月14日 

2012-04-21 | 東北旅行
2012年4月14日~16日、東北・岩手に旅行に行ってきました。


一日目名古屋空港から青森空港へ
今年は寒い冬で、まだ沢山雪が残っていました。



夕食は自由食なので、
ホテル近くの、「きんき」へ。

お通しの、ブリ大根とよもぎ豆腐(420円)


いかそうめん(550円)とほや酢(400円)


刺身盛(1~2名)(1050円)とうに刺(1030円)


ホッケ半身(410円)


吉次(きんき)茶漬け(680円)


1人前握り(1100円)


私の地元とは、比べものにならないほどの
ボリュームで 注文しすぎた感じでしたが、
とても新鮮で美味しい夕食でした。

人気のお店なので、予約した方がよいみたいです。

明日は八戸から遠野へ向かいます。

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