リートリンの覚書

日本書紀 巻第十三 雄朝津間稚子宿禰天皇 三 ・妃と子どもたち ・闘鷄国造の無礼 ・新羅の良医 ・病完治


日本書紀 巻第十三 
雄朝津間稚子宿禰天皇 三

・妃と子どもたち
・闘鷄国造の無礼
・新羅の良医
・病完治



二年、春二月十四日、
忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)を
立てて皇后としました。

この日、
皇后のために刑部(おさかべ)を定めました。

皇后は、
木梨軽皇子
(きなしのかるのみこ)、

名形大娘皇女
(ながたのおおいらつめのひめみこ)

境黒彦皇子
(さかいのくろひこのみこ)、

穴穂天皇
(あなほのすめらみこと)、

軽大娘皇女
(かるのおおいらつめのひめみこ)

八釣白彦皇子
(やつりのしろひこのみこ)、

大泊瀬稚武天皇
(おおはつせのわかたけるのすめらみこと)

但馬橘大娘皇女
(たじまのたちばなのおおいらつめのひめみこ)

酒見皇女
(さかみのひめみこ)

を生みました。

初め皇后が、
母に随い家に在(い)たとき、
独り苑の中で遊んでいました。

時に、
闘鷄国造(つげのくにのみやつこ)が、
ほとりの径に従い行っていました。

馬に乗って籬(まがき)に莅(のぞ)み、
皇后に語りかけ、嘲って、
「よい園を作っているなぁ、汝は」

汝これは那鼻苔(なびと)といいます

また、
「圧乞(いで)、戸母(とじ)、
その蘭(あららぎ)を一本」
といいました。

圧乞、これは異提(いで)といいます。戸母、これは覩自(とじ)といいます

皇后は則ち、
一本の蘭を採って、
馬に乗った者に与えました。

よって、問うて、
「何の用で蘭を求めたのか」
といいました。

馬に乗った者は答えて、
「山に行くとき蠛(まくなぎ)を
撥(はね)るためだ」

蠛、これは摩愚那岐(まぐなき)といいます

時に、
皇后は意の裏に馬に乗る者が、
礼が無いと思っていました。

即ち、
「首(おびと)。余は忘れません」
といいました。

この後、
皇后になった年に、
馬に乗って蘭を乞うた者を探し求めて、

昔日の罪を数えて
殺そうと欲(おも)いました。

ここで、
蘭を乞うた者は額を地につけて、
頭を叩きつけて、
「臣の罪は実に万死に当たります。
然るに、その日は貴人とは知りませんでした」
といいました。

ここにおいて、
皇后は死刑を赦し、
その姓を貶(おとし)て、
稲置としました。

三年、春三月一日、
使いを遣わして良医を新羅に求めました。

秋八月、医が新羅からつきました。
則ち、天皇の病を治させました。

いくらも経たずに病は癒えました。
天皇は歓んで、
厚く医に賞して国に帰しました。



・籬(まがき)
竹・柴などを粗く編んで作った垣
・戸母(とじ)
刀自(とじ)戸主(とぬし)の意で、刀自はあて字。家の中の仕事をつかさどる者。家事をつかさどる婦人。主婦。いえとうじ
・蘭(あららぎ)
ノビル
・蠛(まくなぎ)
昆虫、ぬかかの異名。ぬかかはハエ目ヌカカ科に属する小昆虫の総称。形はブユやカに似ている。ぬかかに刺されると激しい痒みがおこり数日間続く



(感想)

允恭天皇2年春2月14日、
忍坂大中姫を立てて皇后としました。

この日、
皇后のために刑部を定めました。

皇后は、
木梨軽皇子、
名形大娘皇女、
境黒彦皇子、
穴穂天皇、
軽大娘皇女、
八釣白彦皇子、
大泊瀬稚武天皇、
但馬橘大娘皇女、
酒見皇女を生みました。

皇后になる以前、
母に従い実家にいたとき、
ひとり庭の中で遊んでいました。

その時、闘鷄国造が、
庭のほとりの道をやって来ました。

馬に乗って垣根から庭を覗き込み、
嘲りながら皇后に語りかけて、
「よい園を作っているなぁ、お前は」

また、
「さあ、とじ、家事をつかさどる婦人よ、
そのアララギを一本くれ」
といいました。

そこで皇后は、
一本のアララギを採って、
馬に乗った者に与えました。

そして、質問して、
「何の用でアララギを求めたのですか?」
といいました。

馬に乗った者は答えて、
「山に行くときヌカカをはらい去るためだ」

この時、
皇后は心の中で馬に乗る者が、
無礼だと思っていました。

そこで、
「おびとよ。私は忘れません」
といいました。

この後、
皇后になった年に、
馬に乗ってアララギを乞うた者を探し求めて、
昔の罪を数えて殺そうと思いました。

ここで、
アララギを乞うた者は額を地に叩きつけて、
「臣の罪は実に万死に当たります。

しかし、
その日は、貴人とは知りませんでした」
といいました。

ここにおいて、
皇后は罪を許し、
その姓を貶めて、
稲置としました。

皇后、
使用人に見られたことを

何年も経っても忘れないとは…
よほどショックだったみたいですね。

でも、死刑ってやり過ぎじゃね?

3年春3月1日、
使いを遣わして良い医者を新羅に求めました。

秋8月、
医者が新羅から到着しました。

すぐに、
天皇の病を治療させました。

いくらも経たずに病は治りました。

天皇は歓んで、
厚く医者に賞与を与えて国に帰しました。

結局、
天皇の病気は
何 だったのかな?

すぐに治るとは

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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