リートリンの覚書

日本書紀 巻第十 譽田天皇 六 ・鹿子水門の由来


日本書紀 巻第十 譽田天皇 六

・鹿子水門の由来



一書はいう、
日向諸県君牛ひむかのもろがたのきみうしは、

朝廷に仕えていましたが、
すでに年老いて仕えることが
できなくなりました。

そこで致仕して
本土(もとつくに)に退きました。

そして娘・髪長媛を貢上しました。
始めて播磨に到着しました。

この時、
天皇は淡路島に幸して、
遊猟(かり)をしました。

天皇が西を望むと、
数十の大鹿が、
海に浮かんで来るのが見えました。

そして播磨の
鹿子水門(かこのみなと)に入りました。

天皇は側近に話して、
「あれはいかなる大鹿だ。
大海に浮かんでたくさん来ているぞ」
といいました。

側近たちも共に見て奇に思い、
すぐに使いを遣わして察させました。

使者が到着して見てみると、
皆、人でした。

ただ角のついた鹿皮を
衣服にして着ていただけでした。

「誰か」
と問うと、

「諸県君牛は年老いて、
致仕(ちし)しましたが、
朝を忘れることができず、

故に、
娘の髪長媛を貢上いたします」
と答えました。

天皇はよろこんで、
すぐに御船によびよせて仕えさせました。

そこで時の人は、
その岸に着いたところを、
鹿子水門と呼びました。

およそ水手を鹿子というのは、
このときに始めて起こったのです。



・鹿子(かこ)
加古川市

・致仕(ちし)
官職を退くこと。致禄。退官



感想

一書はいう、
日向諸県君牛は、

朝廷に仕えていましたが、
すでに年老いて
仕えることができなくなりました。

そこで退官して本国に退き、
娘・髪長媛を貢上しました。
そして始めて播磨に到着しました。

この時、
天皇は淡路島に行幸し、
遊猟をしました。

天皇が西を望むと、
数十の大鹿が、
海に浮かんで来るのが見えました。
そして播磨の鹿子水門に入りました。

天皇は側近に話して、
「あれはいかなる大鹿だ。
大海に浮かんでたくさん来ているぞ」
といいました。

側近たちも共に見て奇異に思い、
すぐに使いを遣わして観察させました。

使者が到着して見てみると、
皆、人でした。

ただ角のついた鹿皮を
衣服にして着ていただけでした。

「誰か」
と問うと、

「諸県君牛は年老いて、
官職を退きましたが、
朝廷を忘れることができませんでした。

そこで、
娘の髪長媛を貢上いたします」
と答えました。

天皇はよろこんで、
すぐに御船に呼び寄せて仕えさせました。

そこで時の人は、
その岸に着いたところを、
鹿子水門と呼びました。

およそ水手を鹿子というのは、
このときに始めて起こったのです。

鹿皮の服を着た人…
ウッカリ想像してしまった。

駄目だ。

鹿の被り物をした人の映像が、
頭から離れない。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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