リートリンの覚書

日本書紀 巻第十二 去来穂別天皇 一 ・去来穂別天皇の出自 ・住吉仲皇子の裏切り



日本書紀 巻第十二

去来穂別天皇
履中天皇

・去来穂別天皇の出自
・住吉仲皇子の裏切り



去来穂別天皇は、
大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)の
太子です。

去来これは、伊弉(いさ)といいます。

母は磐之媛命(いわのひめのみこと)と
いいます。
葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)の娘です。

大鷦鷯天皇の三十一年の春正月に、
皇太子となりました。

時に年十五歳

八十七年春正月、
大鷦鷯天皇が崩御しました。

太子は諒闇(みもおもい)から出まして、
まだ尊位(たかみくら)に即かない間に、

羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)の
娘の黒媛を妃にしようと欲(おも)いました。

納采(あとふること)が既に終わり、
住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)を
遣わして、
吉日を告げさせました。

時に、
仲皇子は太子の名を冒して、
黒媛を姧(おか)しました。

この夜、
仲皇子は手の鈴を
黒媛の家に忘れて帰りました。

明日の夜、
太子は仲皇子自身が姧したとは知らずに、
やってきました。

室に入り、帳(とばり)を開けて、
玉床(たまゆか)に居ました。

時に、床の頭(はし)で鈴の音がしました。

太子が異(あやし)んで
これを黒媛に問いました。
「何の鈴か」
といいました。

答えて、
「昨夜、太子の所していた
宝の鈴ではありませんか。
なぜ更、妾に問うのですか」
といいました。

太子は自ずと仲皇子が、
太子の名を冒して、
黒媛を姦したと知り、

則、黙して避けました。



・諒闇(みもおもい)
天皇が、その父母の崩御にあたり喪に服する期間
・納采(あとふること)
現在の、のうさい・ゆいのう
・玉床(たまゆか)
玉でかざった寝台



(感想)

履中天皇は、
仁徳天皇(にんとくてんのう)の太子です。

母は磐之媛命といいます。
葛城襲津彦の娘です。

仁徳天皇31年年春1月に、
皇太子となりました。

(時に年十五歳)

仁徳天皇87年年春1月、
仁徳天皇が崩御しました。

太子は喪に服する期間から明けて、
まだ天皇に即位していない間に、

羽田矢代宿禰の娘の黒媛を
妃にしようと思いました。

納采(のうさい)が既に終わり、
住吉仲皇子を遣わして、
吉日を告げさせました。

その時、
仲皇子は太子の名をかたり、
黒媛を犯しました。

この夜、
仲皇子は手の鈴を黒媛の家に
忘れて帰りました。

翌日の夜、
太子は仲皇子自身が犯したことを知らずに、
やってきました。

寝室に入り、
とばりを開けて、
玉でかざった寝台に居ました。

その時、
床のはじで鈴の音がしました。

太子が不思議に思い
これを黒媛に問いました。
「何の鈴か?」
といいました。

答えて、
「昨夜、太子が所持していた
宝の鈴ではありませんか。
なぜ今更、妾に問うのですか?」
といいました。

太子は自ずと仲皇子が、
太子の名をかたり、
黒媛を犯したと知り、

すぐに、黙って帰りました。

本日より日本書紀 巻第十二、
始まります。

お付き合い頂けたら
幸いです。

履中天皇は
どのような方だったのでしょうか?

初っ端から弟と揉めているし、
果たして、この問題解決できるのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。




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