リートリンの覚書

日本書紀 巻第十 譽田天皇 九 ・兄媛の郷愁


日本書紀 巻第十 譽田天皇 九

・兄媛の郷愁



二十二年春三月五日、
天皇は難波に行幸して大隅宮に居ました。

十四日、
高台(たかどの)に登って
遠望(えんぼう)しました。

この時、
妃の兄媛(えひめ)
侍していましたが、
西を望んで大いに嘆きました。

(兄媛は、
吉備臣の祖の
御友別(みともわけ)の妹です。)

それで天皇は兄媛に問うて、
「何故、そんなにひどく嘆いているのだ」
といいました。

答えて、
「このごろ、
妾は父母を恋しく情(おも)っていました。

それで西を望むだけで、
自然と嘆いてしまうのです。

どうかお願いします。
しばらく還って、
親を訪問させてください」
といいました。

天皇は、
兄媛が篤く親を思う心を愛おしく思い、
話して、
「両親とあい見ることなく、
すでに多年が経ってしまった。

還って定省(ていせい)したいと思うのは、
これ道理である」
といい、即座に聞き届けました。

そこで淡路の御原(みはら)
海人(あま)八十人を呼び寄せて
水手(かこ)とし、
吉備に送ることにしました。

夏四月、
兄媛は大津から出航していきました。

天皇は、
高台に居て、
兄媛の船を望んで歌いました。

淡路島は いや二つ並んでいる
小豆島は いや二つ並んでいる
私が寄りたい島々は
誰が引き離してしまったのか
吉備の恋人と 
相見つめるも



・遠望(えんぼう)
はるかに見渡すこと

・侍
側に着き添って

・定省(ていせつ)
子が親に孝を尽くすこと


感想

応神天皇22年春3月5日、
天皇は難波に行幸して、
大隅宮に居ました。

14日、
高台に登り、
遥か遠くを見渡していました。

この時、
妃の兄媛が側に着き添っていましたが、
西を望んで大いに嘆きました。

(兄媛は吉備臣の祖の御友別の妹です。)

それで天皇は兄媛に問うて、
「何故、
そんなにひどく嘆いているのだ?」
といいました。

答えて、
「このごろ、
妾は父母を恋しく想っていました。

それで西を望むだけで、
自然と嘆いてしまうのです。

どうかお願いします。
しばらく吉備へ帰り、
親を訪問させてください」
といいました。

天皇は、
兄媛が篤く親を思う心を愛おしく思い話して、
「両親とあい見ることなく、
すでに多年が経ってしまった。

家に帰り、
子が親に孝を尽くしたいと思うのは、
これ道理である」
といい、
即座に聞き届けました。

そこで淡路の御原の海人八十人を
呼び寄せて水手とし、
吉備に送ることにしました。

夏4月、
兄媛は、難波の大津から出航していきました。

天皇は高台に居て、
兄媛の船を望んで歌いました。

淡路島は いや二つ並んでいる
小豆島は いや二つ並んでいる
私が寄りたい島々は
誰が引き離してしまったのか
吉備の恋人と 
相見つめるも


親にずっと会っていない…

子が親に会いたいと思う気持ち
よくわかります。

会いたいけど、
COVID19の問題があるし。

今年も夏休み帰省できないだろうなぁ。
早く終息して欲しいものです。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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