リートリンの覚書

121・日本の神様・紀角宿禰・羽田矢代宿禰・石川宿禰・木菟宿禰 改訂版


121・日本の神様

・紀角宿禰
・羽田矢代宿禰
・石川宿禰


紀角宿禰
(きのつののすくね)


朝鮮外交で活躍した人物
武内宿禰の子


別名


紀角(きのつの)

木角宿禰

紀都奴

都野宿禰命

都怒足尼



「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

紀角宿禰、羽田矢代宿禰、石川宿禰、木菟宿禰を遣わして、その無礼の状を叱責しました。”

応神天皇3年、
百済の辰斯王(シンシオウ)は
天皇に礼をしませんでした。
そこで、
紀角宿禰、
羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)
石川宿禰(いしかわのすくね)
木菟宿禰(つくのすくね)を遣わして、
その無礼の状を叱責しました。
すると百済国は辰斯王を殺して謝罪しました。
紀角宿禰らは、
阿花(アカ)を王に立てて帰国しました。

仁徳天皇41年春3月
紀角宿禰を百済に遣わして、
始めて国郡の境界を分けて、
くわしく郷土(くにつち)の
所出(しょしゅつ)を記録しました。


祀る神社


津野神社(滋賀県高島市)


羽田矢代宿禰
(はたのやしろのすくね)


朝鮮外交で活躍した人物
武内宿禰の子
黒媛の父


別名


羽田矢代(はたのやしろ)
波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)
波多矢代
八多八代
八太屋代


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“紀角宿禰、羽田矢代宿禰、石川宿禰、木菟宿禰を遣わして、その無礼の状を叱責しました。”

応神天皇3年、
百済の辰斯王(シンシオウ)は
天皇に礼をしませんでした。
そこで、
紀角宿禰(きのつののすくね)、
羽田矢代宿禰
石川宿禰(いしかわのすくね)
木菟宿禰(つくのすくね)を遣わして、
その無礼の状を叱責しました。
すると百済国は辰斯王を殺して謝罪しました。
紀角宿禰らは、
阿花(アカ)を王に立てて帰国しました。

日本書紀 巻第十二 本文では、

仁徳天皇87年1月
仁徳天皇が崩御しました。

太子・大兄去来穂別尊は喪が明けて、まだ天皇に即位していない時に、羽田矢代宿禰の娘の黒媛を妃にしようと思いました。

納采が終わり、住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)を遣わして、吉日を告げさせましたが、その時、仲皇子は太子の名をかたり、黒媛を犯しました。それを知った太子は黙って黒媛の元から去りました。

仲皇子は事が表沙汰になるのを畏れて、太子を殺そうとしましたが、太子の弟・瑞歯別皇子が策を巡らせ、仲皇子を討伐しました。


祀る神社


香椎宮 末社 境内社 朽瀬神社
(福岡県福岡市)


石川宿禰
(いしかわのすくね)


朝鮮外交で活躍した人物
武内宿禰の子


別名


蘇我石川(そがのいしかわ)
蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね)
宗我石川


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“紀角宿禰、羽田矢代宿禰、石川宿禰、木菟宿禰を遣わして、その無礼の状を叱責しました。”

応神天皇3年、
百済の辰斯王(シンシオウ)は
天皇に礼をしませんでした。
そこで、
紀角宿禰(きのつののすくね)、
羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)
石川宿禰
木菟宿禰(つくのすくね)を遣わして、
その無礼の状を叱責しました。
すると百済国は辰斯王を殺して謝罪しました。
紀角宿禰らは、
阿花(アカ)を王に立てて帰国しました。


祀る神社


香椎宮 末社 境内社 印鑰神社
(福岡県福岡市)



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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