リートリンの覚書

日本の神様74・倭迹迹日百襲姫命


倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)

孝霊(こうれい)天皇と
妃・倭国香媛の子

記紀等に伝わる古代日本の皇族

第七代孝霊天皇の皇女で、
大物主神との神婚譚や
箸墓古墳の伝承で知られる。

・別名
夜麻登登母母曾毘売
(やまととももそびめ)

・神格
予言者的巫女


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“妃の倭国香媛は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と彦五十狭彦命(いさせりびこのみこと・またの名は吉備津彦命(きびつひこのみこと))と倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)を生みました。”

孝霊(こうれい)天皇と
妃・倭国香媛の子です。

・日本書紀 巻第五 崇神天皇の条では、
疫病が流行し田畑が荒れ、
多くの民が飢えに苦しみました。

そこで天皇が占いをすると、
とても徳の高い神が
倭迹迹日百襲姫命に神懸かりして、

「自分を祀れば
国は自然に平穏になるだろう」
と告げ、

天皇が名を問うと、
「大物主神である」
と答えました。

神託に従い、
大三輪氏の祖・大田田根子を祭主に命じ、
大物主神を手厚く祀りました。
するとたちまち国の災いは
鎮まったと記されています。

・また、倭迹迹日百襲姫命は、
大物主神の妻となりましたが、
夫は夜に通ってきてその顔を
見ることができませんでした。

そこで、ある夜、
ぜひ顔が見たいと願いでました。

そこで、大物主神は
「朝になったら櫛箱の中に入っているが、
姿を見ても決して驚かぬよう」
と告げました。

翌朝、櫛箱を開けて見ると、
中には小さな蛇が入っていました。
驚いた倭迹迹日百襲姫命が
思わず悲鳴をあげると、

蛇はたちまち若者の姿となり、
恥じをかかされたと怒り、
三輪山に帰ってしまわれました。

それを見て後悔をした
倭迹迹日百襲姫命は、
箸でホトを突き刺して
死んでしまわれました。

当時の人々はその墓を
箸墓と呼んだとあります。

・また、武埴安彦の謀反を予知し
未然に防ぎました。


神徳

諸願成就
家内安全
厄除け
延命長寿


主な神社

田村神社(香川県)
吉備津彦神社・相殿神(岡山県)


感想

倭迹迹日百襲姫命


またまた、

生まれは奈良県なのに、

何故、香川県の神社で祀られている?


と、疑問に思い、

田村神社(香川県)を調べてみました。


ホームページでは、


五十狭芹彦命と西海鎮定の命を

奉じて讃岐國に下り

農業殖産の開祖神となったとあります。


なるほど。


昔は、

女性も命を受け

地方任務についていたのですね。


驚きです。




田村神社の出水


社伝によると御神体の淵には龍が住むという龍神伝説がある。

袂井は百襲姫命がこの地に御来臨した時、里人の奉る烏芋(ごや)を食べてにわかに熱病に罹り、渇きをうったえられた時に侍女が袂を浸して水を奉った井といい、今日もなお、稲田灌漑の水源地であることから「田本井」(たもとい)ともいう。

花泉は百襲姫命が御手を洗われた所という。


引用・田村神社ホームページ



やはり、

社伝えは面白いですね。


こんなに詳しく伝えられているとは、

やはり、


倭迹迹日百襲姫命は、

存在していた可能性が高い。


倭迹迹日百襲姫命が実在していたのなら、

必然的に父母も現実にいた。

そして、そのまた父母がいて…


欠史八代説。


現代歴史家の方々は、

日本書紀などを

否定的な目で見る傾向がある。


日本書紀。

多少、

藤原氏の思惑が

入っているとは思いますが


しかし、

日本書紀は人々が伝え続けてきた話しを

まとめ上げたもの。


社伝え、民話など

人々が伝え続けてきた話しの中に

真実があるように思うのです。


今日はこれにて。

明日も日本の神様シリーズ続きます。


最後まで読んで頂き

ありがとうございました。





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