リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十四 天豊財重日足姫天皇 十七 ・山背大兄王の死、その後



日本書紀 巻第二十四 
天豊財重日足姫天皇 十七

・山背大兄王の死、その後



時に、
五色の幡蓋(ばんがい)、
種々の伎楽(ぎがく)が、

灼(あらたか)に空を照らし、
寺に臨(のぞ)み垂れ下がりました。

衆人(しゅうじん)は
仰ぎ見て褒めたたえ嘆いて、
遂に入鹿に指し示しました。

その幡蓋等は、
黑雲に変わりました。

これによりて、
入鹿は見ることができませんでした。

蘇我大臣蝦夷(そがのおおおみえみし)は、
山背大兄王(やましろのおおえのおう)等が、
総じて入鹿によって亡ぼされたと聞き、

嗔(いか)り罵って、
「ああ、入鹿よ。
極めて甚だしく愚癡(ぐち)である。

もっぱら暴悪を行い、
おのれの身命も、
またあやうくないことがあろうか」
といいました。

時の人は、
前の謠(よう)を答えを説いて、

「『岩の上に』をもって、
上宮(かみつみや)に喩える。

『小猿』をもって、
林臣(はやしのおみ)に喩える。
(林臣は、入鹿のことです)

『米を焼く』をもって、
上宮を焼くと喩える。

『米だけでも 食べて通りなさい 
山羊(かましし)の老翁(おじ)よ』

山背王の頭髮が
斑雜毛(ふふき)で
山羊に似ているのに喩える。

また、
その宮を棄捨(きしゃ)し、
深い山に匿(かく)れたのに相する」
といいました。

この歲、
百濟の太子・余豊(よほう)が、

蜜蜂の房・四枚を、
三輪山に放ち養いました。

しかしついに
蕃息(はんそく)しませんでした。



・幡蓋(ばんがい)
仏堂の上方を荘厳する、幢幡(どうばん)と天蓋(てんがい)の総称
・伎楽(ぎがく)
古代インド・チベットで発生し、中国の呉(ご)をへて六一二年に日本に伝わった仮面舞楽
・衆人(しゅうじん)
多くの人。大勢の人
・愚癡(ぐち)
愚かで思い迷い、ものの理非のわからないこと。 また、そのさま。 三毒煩悩の一つ。 無明(むみょう)
・斑雜毛(ふふき)
毛色がまだらで乱れていること。 白髪まじりであること。 ふふせ
・棄捨(きしゃ)
すてる
・蕃息(はんそく)
盛んにふえること。 繁殖すること



(感想)

前回のお話

日本書紀 巻第二十四 天豊財重日足姫天皇 十六 ・山背大兄王の死 - リートリンの覚書

日本書紀巻第二十四天豊財重日足姫天皇十六・山背大兄王の死ある人が遥かに上宮(かみつみや)の王(みこ)等を山中で見ました。還り、蘇我臣入鹿(そがのおみいるか)にの...

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(皇極天皇2年十一月)

この時、
五色の幡蓋、さまざまの伎楽が、

あらたかに、
空を照らし、
寺をのぞみ垂れ下がりました。

多くの人は、
それを仰ぎ見て、
褒めたたえ嘆いて、
遂に入鹿に指し示しました。

しかし、
その幡蓋らは、
黒雲に変わりました。

これによって、
入鹿は見ることができませんでした。

蘇我大臣蝦夷は、
山背大兄王らが、
総じて入鹿によって亡ぼされたと聞き、

怒り罵って、
「ああ、入鹿よ。

極めて甚だしく、
ものの理非のわからない奴だ。

もっぱら暴悪を行い、
おのれの身命も、

また、
危ないではないか」
といいました。

時の人は、
前の童謡を答えを説いて、

「『岩の上に』を上宮にたとえる。

『小猿』を林臣にたとえる。
(林臣は、入鹿のことです)

『米を焼く』を上宮を焼くとたとえる。

『米だけでも 食べて通りなさい 
山羊(かましし)の老翁(おじ)よ』

山背王の頭髮が
白髪まじりで山羊に似ているのにたとえる。

また、
その宮をすて、
深い山に隠れたのに相する」
といいました。

この歲、
百済の太子・余豊が、
蜜蜂の房・四枚を三輪山に放ち養いました。

しかし
ついに繁殖しませんでした。

うーん。

ここまで、
話しを盛られると、

もう、
このお話、作り話です。
、と言っているようなもの。

ここまで、
山背大兄王を美化するのは何故か?

日本には、
御霊信仰(ごりょうしんこう)があります。

不幸な死に方をした人の霊が、
祟り、災いをもたらすという信仰です。
それをなだめ、抑える神を祀る信仰。

山背大兄王を褒め称えたのも
まさに、これでしょう。

素晴らしい方だったと後世に伝えます。

ですから何とぞ、
祟りなど起こさぬように。

、と祈りを込めて
書かれたのではないかと思います。

すでに、
飛鳥時代から御霊信仰が
あったということですね。

まぁ、
聖徳太子が亡くなって以降、
天変地異、怪異現象が続いていますから、

これは、聖徳太子の祟りでは?
と現代人の私でさえ思うのですから、

当時の人々は、
なおさら思っていたに違いない。

ですから、
飛鳥時代に御霊信仰があっても
不思議ではありませんね。

しかし、
ここまで蘇我氏を悪者にして、

日本書紀を書いた人たちは、
大丈夫だったのか、

心配になりますね。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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