
上川隆也
《平盛国》インタビュー
2012-12-16
《平太と出会ったころの鱸丸の心境は台本には書かれていないので、
あくまでも役者としての推量ですが、
本来なら自分には手の届かない存在である高平太とともに行動できることの喜びや、
高平太への憧れを強く感じていたと思います。
当時は、身分というものが厳然として横たわっていたはずなので、
漁師である鱸丸が望める未来というのはたかがしれていたはず。
でも、高平太といっしょにいると、果てしない自由を感じることができたのではないでしょうか。
だからこそ、彼のそばにいる人間としてふさわしい行動や振る舞いをしようと心がけていた。
片膝をついてかしずくといった武士をまねた動作もしていたのだと思います。
高平太といっしょに米を庶民に配ってまわるというような行為は、
鱸丸にとっては身の丈をこえたものであったかもしれませんが、
武士でありながらそのような行動にでる高平太のことが輝いて見えたはすです。
その鱸丸の高平太への憧れは、(高平太が)清盛になり、
(鱸丸が)盛国となったあとも変わっていないと思います。
本当に彼は、小憎らしいくらいにブレない。
齢(よわい)70歳を数えても清盛に対する目線も思いも変わっていない。
盛国と名前を変えても、彼は、鱸丸なんですよ。》
(インタビューより引用)

まだ1年たっていないというのに、
平太も鱸丸もずっとずっと遠くなってしまったな、
そんな感慨がありますね。
視聴者も大河ドラマというものを観て、
主人公や一番の忠臣と旅をしてきたのだ、と
しみじみ、思いました。
本当の旅であるなら、
あらかじめしっかりと予定を立て、
寸分の狂いもなく、その通りに実行できるでしょうが、
人生という旅は予想がつきません。
清盛と盛国の人生を見ていても、それを痛切に感じますよね。
でも、盛国が影のように後にひかえる、
その存在の揺らぎのなさは、
清盛にとって、どれほどの力となったのでしょう。
《鱸丸の1つのテーマは“心の軸”だと思っています。
かつて忠盛(中井貴一)が平太に
「鱸丸は体の軸ができているから船の上でも平然と立っていられる」と言いました。
その忠盛の言葉は、鱸丸には「お前は心の軸をつくれ」と聞こえたのではないでしょうか。
それからは、武士の出ではないけれど、清盛のそばにいるにふさわしい人間としての
“心の軸”を確立していくことが、彼の人生のテーマになったような気がします。
漁師の出である自分が武士の家に出入りするようになり、
やがては法皇や上皇を目の当たりにするまでになる。
それは、鱸丸もしくは盛国にとって非日常の連続のような生活です。
しかし彼は、自分が漁師の子どもであることを決して忘れない。
漁師としての誇りもコンプレックスもずっともち続けている。
だから、“わきまえている”。清盛と自分の間には、
絶対に越えられない壁があることを“わきまえている”。》
(インタビューより引用)
ドラマを観ていて、
「盛国ー、なんか言えっ!」と、
手がぐーになったこともたびたびありましたよね。
盛国の表情が動かないのにむかって、
地団駄を踏む思いであったことも。
あるいは、その動かない表情のうちの機微を
読み取ろうとしたことも。
清盛にとって、誰が一番大切であるのかを、
視聴者われらもわきまえていたからこそ、
無言の盛国のこころを慮って、
つらい気持ちにもなったのです。
《「平家納経」の回(7/29放送分)で、荒れ狂う海に船が沈みそうになったとき、
清盛は「鱸丸、お前たちが頼りぞ!」と言う。
すでに盛国になっていましたが、清盛は「鱸丸」と叫ぶ。
一生付き従うと決めた清盛も、盛国が漁師であったことを忘れていなかった。
しかも危機的状況を救う役目を盛国に託す。それは、明確な信頼の証しでしょう。
このシーンは、2人の絆の原点がしっかりつながっていたことを示した瞬間だと思いますし、
演じていて快感を感じたシーンでもありました。》
(インタビューより引用)
崇徳上皇が怖かった回でした^^
一方で平家の《一蓮托生》の絆の強さを
たくましく思う回でもありましたね。
名優の上川さんが
《演じていて快感を感じたシーンでもありました。》
などと語られるのは、すごいことだなあと思いました。
さすが、大河ドラマ。
磯Pが神戸でのイベントの司会をしてくださっていた桂春蝶さんに、
《一瞬一瞬に役者さんたちが気迫のこもった演技をなさるのがすごい、
その一瞬にいのちを賭けてくる気合い》という内容のことを
話されたそうですが、だからこそ、役がそのときに味わう気持ちを
ダイレクトに俳優さんも体験なさるのでしょうか。

《長期間、松山ケンイチさんと共演していて感じるのは、
彼が昨年の8月の末から撮影に入ったときにもっていた熱量が、
撮影の終盤に入ってもまったく目減りしていないということ。
それは、彼の若さや持ち前のバイタリティーもあるでしょうが、
役者としての資質のなせることだと思います。
しかも、終止パワフルでありながら、清盛が年を重ねていくにつれて
パワーの表現の仕方に変化をつけている。本当に感心しますね。
また、今は老齢の清盛を演じていますが、そのなかにもきちんと高平太がいる、
という演技を常に続けています。
清盛という役をしっかり身の内に落とし込んで、そこから踏み外すことなく、
ここまで歩んできたのだなという道のりが見えます。
自分のなかにしっかりとしたプランを立てて、
この一年間を演じてきたということだと思います。》
(インタビューより引用)
さすがだ、さすが。
上川さんってすごいなと思いました。
松山さんの演技が素晴らしいゆえだとは思うのですが、
でも、こうやってその演技の方法であるとか実体を
言葉にすることの至難を思うのですよ。
こういう鋭い視線で射抜かれていたというのを知ったなら、
松山さんもあらためて、
忠臣・盛国を演じてくださった上川さんのすごさに、
感激し、感謝されたのではないでしょうか。
上川さんの盛国でなかったなら、
《平清盛》のこころとドラマをしっかりと支えて、
説得力をこうまで見せられたのかと思いますね。
上川さん演じられた盛国の最期も、
清盛の最期とともに、しっかりと見届けたいと思います。
インタビュー全文は下記から。
どうぞ、じっくりと何度もお読みになってくださいね。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/kamikawa/01.html