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≪MW同性愛描写、事務所はOKしていた≫

2009-07-17 | 気になったへんてこりん

この記事で、実はアニメデスノートの、Lの最後の日、
あれもぎりぎりの描写だったとわかりました!?
記事情報くださったかた、ありがとうございます。


≪MW同性愛描写、
      事務所はOKしていた≫


7月13日(月)、『MW -ムウ-』の岩本仁志監督と松橋真三プロデューサーが、
秋葉原のデジタルハリウッド大学で特別講義を行った。映像作家を目指す生徒たち
の前での講義だったため、監督もプロデューサーも包み隠さず製作の裏事情につい
て語った。時には意外な裏話も飛び出し、1時間40分の講義はアッという間に終わ
った。

『MW -ムウ-』は漫画家・手塚治虫がタブーに挑んだ異色作。これまでに映像作家
たちが何度と映像化を試みてきたが、出資の問題などで製作が中止することが多
く、関係者の間では必ず頓挫する作品と忌み嫌われて来た。宣伝文句にもあった
「映像化不可能」というのは技術的に撮影が難しいという意味ではなく、実は出資
者を説得することが難しいという意味だった。松橋プロデューサーは「常に出資者
との戦いだった」と語っている。

原作では2人の主人公の同性愛描写が主軸になっているが、松橋プロデューサーは
自分で作成した映画の企画書(画像を参照)をスライドで見せながら、当初の段階
から主演は玉木宏と決めて企画を進めていたことを説明つつ、出資者側から「ホモ
の部分を出すんだったら金は出せないよ」と言われてやむなく同性愛の描写ができ
なくなったことを明かした。

実は玉木宏も山田孝之も、事務所側は同性愛の描写をOKしていた。岩本監督も撮影
中は玉木と山田にホモを演じるように毎日のように話していたという。

「日頃たまってるうっぷんをこの場を借りて晴らさせてもらうと、出資者には同性
愛の描写はありませんよといいながらも、暗喩するように描いているんです。体を
タオルで拭いてあげる2人の関係がゲイじゃなくて何なんでしょうか」と松橋プロ
デューサーは語っていた。

最初と最後のシーンだけお金をかけているがそれ以外のシーンは自主製作映画のよ
うに照明なしで撮影していること。CGはお金がかかるため一切使用できず、実際に
ビルに人を吊るして撮影したこと。等々、ここでしか聞けない製作の裏事情があら
わになった。

最後に岩本監督はこの映画を作った目的を次のように語っている。

「日本人は勤勉で優秀です。文化では他の国に負けません。日本人なら、ハリウッ
ド映画と同じものがもっと安く作れるはずなんです。『ボーン・スプレマシー』は
この映画の20倍のお金がかかっていますが、日本人ならこれと同じものが低予算で
作れることを証明したかったんです」
                (週間シネママガジンより抜粋引用)


>「日頃たまってるうっぷんをこの場を借りて晴らさせてもらうと、
>出資者には同性愛の描写はありませんよといいながらも、暗喩するように
>描いているんです。体をタオルで拭いてあげる2人の関係がゲイじゃなくて
>何なんでしょうか」と松橋プロデューサーは語っていた。

いきなりのコピペですみません(笑)
そうなんですか、タオルで拭いてあげるって、
暗喩で、
ゲイじゃなくて何なんでしょうか?の
ぎりぎりの表現?

玉木さん事務所も山田さん事務所もOK出していたのに、
映画の外のパネル1枚に集約されちゃって、
もったいないですよね。
MWで残念だと言われる、人間関係の掘り下げと心理描写、
それはいくらお金かけずとも頑張ったハリウッドばりの
カーアクションでは出せないでしょう。
しかも、MWというのはそこを描きたかった作品みたいでは
ないですか?

特に山田さんをそういう使い方するなんて、もったいなさすぎ
ますよね。あんなに素晴らしい演技のできる俳優さんなのに。
あーーどこかでリベンジしていただきたいですわ。

それにしてもいくら手塚ブランドとは言え、厳然として
タブーなんですね。 辟易しちゃう。

そういえば、昨日の芸能記事で、どこかのアナウンサーが
コンドー○持ってる写真が写真誌に掲載されたという、
無防備おバカきわまりないのがあったんですけど、
私、そのアナウンサーの名前が男の名前にも読めたので、
≪これからその男性と使うらしい・・≫と淡々と書いてある記事に、
へえ、日本も変わったなあ、男男でもふつーに記事になるんだ、
でも、コンドー○を掲げたりしなさんなよ(笑)とか
思ってしまったのですが、んなわけないのですね(笑)

ところで、ここからなんだ(何が!)
アニメデスノートのLにとっては最終回のとき、
Lと月が雨に打たれて、Lが月の脚をタオルで拭くと言う、
屈辱的な場面があったじゃないですか?
あれも、ぎりぎりの描写だったわけなんですね?
じゃあなぜに。
原作では匂わせなかったですよね、2次創作は花盛りだけど。
それをなぜにテレビで描きたかったのか。
やっぱり、映画デスノートもそうであるように、
テレビアニメも、原作でのLの最期が納得できなかったのでは
ないかと思うんです。
映画は換骨奪胎して、見事にLの栄光復活を成し遂げたけれど、
2部放送が決まっているアニメではさすがにそれができない・・
ならばどうするか。
Lがキラを追い詰めようとするためにあらゆることをやった、
そのためにはそういう関係になることも厭わなかったんだと
示唆したかったのではないかと思ったのです。
考えすぎ?すぐBLに持っていかないでよ!ですか?
だけど、

>体をタオルで拭いてあげる2人の関係がゲイじゃなくて
>何なんでしょうか」と

暗喩で描きたかったんですよね、どうしても。
いや、もちろんこれはMWのことですけどね。
でも月が本来ならLの脚を拭いてあげるべきだろうが!とは
思うんですけど、性格上、月にはぜったいできないことでしたよね。

Lが新世界の神たろうとする月を、お望みのようにキリストに
なぞらえ、自分をマグダラのマリアのようにキリストに仕える者を
演じてみせたのは、最大の皮肉として、哂いたかったのでは
ないか・・などとも読んだのですが。

うきゃー、長文になってしまいました。
あくまで個人的意見なのに
申し訳ないです、すみません。

長々お付き合いくださり、
ありがとうございました。m(_ _)m


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8 コメント

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Unknown (KS)
2009-07-17 07:52:53
樹さん、おはようございます。

スポンサーの発言力って大きいですね。
TV局も映画も同じ悩みが付きまとう。

でも映画はR指定を付ければ出来るんじゃないかと
思うんですが、やはり同性愛はタブーですかね。

外国なら、色々作ってますよねぇ。
モーリスとか・・・ルパートさんの
カワイイ表情を忘れられないっす。
これは英国だから許されるのでしょうか?

日本のTVでは、BLが市民権を得始めた頃に
高嶋兄が、西村さん(下の名前忘れた)だったかな?とドラマでやっていました。
もろにサブ系でした。私は直視出来ない(涙)
出来ればJune系俳優でお願いしたかった。

話は違いますが、先日週刊誌の中に
書かれていた記事で、GacktとラルクアンシエルのhydeがGacktの誕生日パーティでお客さんへのサービスの為に
Kissしたらしいんですが、見たいって気に
なりましたよ。

やはり俳優によりけりなのでしょうか。
玉木さんと山田さんなら私でも見れたと思います。残念。

デスノートのアニメは見ていないので・・・
樹さんの書く類Lで堪能させて頂いているので
満足でござる。
返信する
Unknown (Mママ)
2009-07-17 09:05:39
おはようございます♪
う~ん。
言い訳?とか思っちゃった。
厳しいですかね、すいません。
手塚治虫さん、大好きなんで、ちょっと厳しくなっちゃいます。
後ろの事情はどうでも、映画は出来上がった物が全てと思いますから。
無理に映画化しなくてもいいんじゃないか?
そう思います。

アニメデスノートは途中リタイアだったのですが、
Lの最後だけは見届けたいと、
その回だけ録画したら、野球中継延長で録画できてなくて、
ネットの動画で見たんですが、
見るんじゃなかったと後悔しました。
なんか違う・・・
という想いが残ってしまったです。
返信する
KSさんへ ()
2009-07-17 09:29:08
おはようございます。

海外の映画は結構当たり前(でもないか)にありますよね。
むこうはキリスト教文化で罪とされていて、
日本はそれこそ江戸時代まで陰間文化とかあったのに、
不思議でしようがありません。
ソフトバレエだって、NHKは大丈夫だったのに、
スポンサーのある○ステでは、
それを彷彿させるとかで、ついに出演できなかったんですよ。
何なんですかね?
ユニク○くらい頑張ってくれないですかね笑

昔、私もそのドラマ、観たことあります。
ずっとは観なかったけど、もろに、同性愛がテーマみたいなドラマ
でしたよね。
トキ○の山○さんが(○ばっかし)出てました。
深みが全くなくて俳優さんに同情しました。あれではね、あかんわ(笑)

デスノートのLの最終回は屈辱的で、しかも関西は2週遅れだったんですけど、
Lがそんなことさせられていると聴いただけで、
3日間、壊れていました。
Lの、月を挑発する行為なのであれば、と無理矢理納得しようとしましたが、
いまだにあのアニメは許せない気がします。
方向性はまちがっているけど、
Lの苦闘を描きたかったのかもしれません。

類Lお読みくださって嬉しいです。
Lを幸せにするために頑張りますー☆。
返信する
Unknown (アオイ)
2009-07-17 12:53:39
興味深い記事を有難うございます。
本当にMWは私側から言わせると残念で
なりません。玉木さんと山田さんが主人公
として出ていながら山田さんの比重が
軽かったような・・・山田さん、動を出す
役ではないが、あれだけ演技がうまい彼を、
玉木さんの動に対して静でいくらでもバランスをとれる作りが出来たはず、(石橋さん
前面出すぎ^^;)
やはりスポンサーですか・・・監督のお気持
わかるような気がします。でもMママおっしゃるとおり、出来上がったものが全て、その裏
事情を知る人は少なく期待していた人だちの
心には?が残り映画に対する評価が下がるのが
くやしくてたまりません。同性愛を前面出せ!ではなく二人の心のつながりが観たかったです

やはり樹さんも^^ 私、月Lに通じるものが
この映画にもあると思いながら観たのでMWに
対する思い入れが違うんです。
一番愛する人を裁かざるおえない苦しみ
その立場が神父ならなおさらでしょう。
愛する事、そのことが罪ですから。

すごい深くていい映画になれたのに、
いろんな事情があったのですね・・・・
タイでのアクションそんなに必要か??
もっと二人を出せ!!と^^
本当に残念でなりません。
返信する
Unknown (とらん)
2009-07-17 19:30:16
樹さん、こんばんは。

以前マンガ情報誌か何かで読んだことがあるのですが、少女マンガで昔から有る(好まれている)ジャンル?で「couple of heros」というのがあるんだそうです。
少年または青年二人の同格の主人公をもち、性格(性質)は正反対でしばしば補完関係にある。社会から孤立・疎外されている設定が多く、唯一の理解者がお互いだけであるため友情よりは疑似恋愛の様相を呈することが有る。
例として、古典では「ポーの一族」のエドガーとアラン、「BANANA FISH」のアッシュと英二、比較的最近のものでは「陰陽師」の晴明と博雅などが挙げられていました。

「Death Note」は少年マンガで、Lと月は補完関係どころか敵同士でしたが“変形疑似恋愛バージョン"なのかな?と個人的には思いました。
究極の心理の探り合いは有る意味‘求愛ダンス’にみたいなものぢゃないかと‥

↑これも純然たる個人的な意見ですのでテキトーに聞き流して下さいませ・笑
返信する
Mママさんへ ()
2009-07-17 20:31:42
こんばんは、Mママさん。

私は原作読んでいないので、原作と比較はできないのですが、
心理描写をもっと深めてほしかったということを聞いたので、
人間関係を掘り下げられないのだったら、
「映画化」するための「映画化」という気がしました。
もったいないですよね。
満を持しての作品作りであってほしいと、ファンなら想われることでしょう。

アニメデスノートは、観なきゃよかった、そう想われるの、
共感します。
で、あの最終回になぜしたのか?を考えていて、
この記事を読んだ時、どうしてもそれを示唆したかったのかと想ったわけです。
私はそう理解しただけで、決してそれには共感できないですけどね。
あえてあの最終回であったという、アニメのひとつの主張なんでしょうね。
返信する
アオイさんへ ()
2009-07-17 20:39:09
こんばんは。

アオイさんは映画をご覧になっていらっしゃったし、

>二人の心のつながりが観たかったです

言われていましたよね、ご覧になったときから。
そういうことをきっちり描けないのに、パネルで出すって、
なんかひっかかりますけど、
制作サイドのせめてもの気持ちだったのでしょうか。

>すごい深くていい映画になれたのに
>いろんな事情があったのですね・・・・

手塚さんが禁忌をおかしても描きたかったというものを、
そのまま見えてくださったら、アオイさんの評価も変わっていますよね。
私も見たかったです。

アニメデスノートの最期の日は、この映画のタオルと同じく、
とってつけたような印象があるから、
余計に腑におちなかったのかもしれません。

返信する
とらんさんへ ()
2009-07-17 20:46:51
こんばんは、とらんさん。

とても興味深く読ませていただきました。
いろんな作品の対になるひとをたとえに教えてくださって、
ありがとうございます。

こういう対になるひとが核になっているものは、
とても引き込まれるし、はらはらしますよね。
原作で人気が出たものは、
とても丁寧に描かれているのだと思います。
だからこそ、尺の決まっている、映画は
その心理描写がとても重要ですよね。
映画のデスノートが完璧だったとは言わないけれど、
月とLの騙しあい、Lがウソの自白を導こうとするなど、
見ごたえがありました。
「求愛ダンス」、月が白月になっていた期間はまるで蜜月のようでしたよね。
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