マダム南平台のサロン

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法廷用語の日常語化検討プロジェクトーその2

2005-11-29 18:03:40 | Weblog
1月28日の産経新聞の「主張」の、「言い換え・書き換え 安易な国語いじりは疑問 」という題の記事について一言。

日弁連の日常語化検討プロジェクトが検討した言い換え語で、「教唆する」「正当防衛」の言い換えについて、国語力不足という論点から述べてあった。「教唆する」は法律用語である。使用される文脈は、司法の場面のみであって、日常の文脈では使用されない。確かに、漢字を見れば、意味が想像できるが、耳で聞くとわからない。司法の領域でしか使用されない「教唆する」を知らないからといって、国語力不足とはならないのではないだろうか。

「正当防衛」は、確かに一般に知られている語である。しかし、「過剰防衛」という言葉は、それほど知られていない。日常生活では、防衛の程度を、このように正確に区分しようということはしてはいない。その意味において、「正当防衛」の言い換えは必要である。

「冒頭陳述」の「検察官が描いた事件のストーリー」という言い換えは、ストーリーという語よりもっと適切な語がないかとさらに考える必要があるかもしれない。しかし、一般の人は、検察官が読み上げる「冒頭陳述」が「真実」だと誤解してしまうおそれがある。裁判員の役目を考える上で、作成者は検察官ということは明記すべきではないであろうか。実際に、私のゼミ生の中に、冒頭陳述が、検察側の作成ということに、あらためて、納得している者がいた。この言い換えは、寧ろ、中立ではないかと考えている。

「障害」を「障がい」と言い換えることには、私も反対である。言葉をいじるだけで、差別の感情はなくならない。「障がい」の次に、また、新しい言葉のいじくりを考え続けていかねばならないであろう。アメリカのアフリカ系の呼称や、トイレの呼称の変遷もしかり。「認知症」という語は、日本語を学習している外国人には何の状態なのか全く想像ができないのではないだろうか。指標する機能が欠落した語であると言える。そして、この言い換え語も、また、新しいものを探してつけていかねばならない。いたちごっこである。

法律用語は、日常語ではなく、業界語である。その業界語が飛び交う世界に、市民が入るという裁判員制度。これは、わかりやすくしなければ制度が機能しない。法律家は、裁判員のいない場面では従来の法律用語を使えばいいのである。法律用語の言い換えは、場面に応じた言い換えであるが、差別や忌避に関わる日常語の言い換えは、その言葉を抹殺して新しい語を置き換える言い換えであって、両者は全く異なる。



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