こういう立派な家柄に生まれ、偉大な父(森鴎外)や、優秀な兄妹に囲まれ、育つっていうのはかなり大変ですね・・。
親の印税で食べて行けるといっても、それに頼って生きて行くのが普通になってしまったら、30年で印税が切れた後、大変な事になるし・・・。
中でも、一族みんな優秀なのに、自分だけ・・っていうのは凄く辛いかと。類さんだけ、けた違いにお勉強とかできなかったとは。
それでも運動神経が良いとか、何か他の事に優れていたなら良かったんだけど・・・。特に何も無くて気が弱くてひ弱だったし。
それでも、悪事に手を染めるとか、ダークサイドに行かなくて良かった。
「どうして何もしないで、ただ風に吹かれて生きていてはいけないのだろう。どうしても誰も彼もが、何かを為さねばならないのだろう。」
確かにね・・。でも、名を遺したりしなくても「普通に生きて行く」というのは、自分一人で生きて行くにしても、家族を持って生活して行くにしても、働いて稼いでそれで生活出来る事が大前提なわけで。その普通が、どれだけ大変な事か
本作の中で一番私が印象に残ったのは類の妻の美穂さんでした。
お金に困っていても、普段の食事や、子供のお弁当に非常に手間暇をかけ、見た目にもこだわっていた様子には驚きました。
実家からもらった上質な生地の古着衣料を解体して子供服を作り直し、それが非常に素敵だったり、家計のやりくりやら、とにかく素晴らしく出来た女性で、違う人と結婚していたら全然違った人生だったろうに・・・と、気の毒というか・・・。
中でも、類さんの金銭感覚の無さ具合には、中盤呆れてしまいましたよ。子供も妻もいて妻が質屋に通ってる程なのに、コーヒーやらタバコやら嗜好品などの高額な物にお金を使ったり、高い物をポンと買って来たり。
その美穂さん亡き後、一人でいるのは淋しくて、話し相手が欲しい人だった様で、60代後半で再婚を考え、幾人かとの交際の末、素朴で良いお人柄の女性と3年後再婚。
それはいいんだけど、パリに新婚旅行とか、こだわった造りのお家を千葉の海側日在に建てるとか、最後までそういう贅沢?は続けた(続けられた?)んだなあ。
長女の茉莉さんや、次女の杏奴さん、類さんと仲良しだったのに、家族の自伝を発表したことで、仲たがいしてしまいました。茉莉さんとは交流が戻るも、杏奴さんとは最後までそのままだったなんて、、悲しいですね。あんなに仲良しだったのに。
親が有名人で、後に子供や配偶者がその家族の様子を書いた本などを発表すると、みんな興味があるだけに売れるし・・・でも、そのせいで家族が破綻してしまうのは、なんだかなあ・・・。
お母様が、とてもお綺麗で、でも出来の悪い類さんを「死んでくれないかな」なんて言うとは、ちょっと衝撃でしたよ・・・。それでも息子は母を凄く愛していたんですけれど(もちろん母も)
あと、茉莉さんという人にもビックリ。自分本位というか・・・子供の様な自分の思うままに生きる人も凄かったです。そんな茉莉さんにしろ類さんにしろ、なんだかんだで、誰かが手を差し伸べてくれて、食いっぱぐれなく最後まで生活出来た、というのは彼らの憎めないお人柄なのか、セレブな血筋によるツテやコネなのか・・・。
「鴎外の子供たち-あとに残されたものの記録-」(ちくま文庫 )1995年 森類著
も、図書館にリクエストしたので、読んでみようと思っています。それを読んだら、類さんの印象が変わるかもしれないな。
類 朝井まかて(2020/8/30)
(内容・あらすじ)明治44年、文豪・森鴎外の末子として誕生した類。優しい父と美しい母志げ、姉の茉莉、杏奴と千駄木の大きな屋敷で何不自由なく暮らしていた。大正11年に父が亡くなり、生活は一変。大きな喪失を抱えながら、自らの道を模索する類は、杏奴とともに画業を志しパリへ遊学。帰国後に母を看取り、やがて、画家・安宅安五郎の娘と結婚し・・・
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「類」を読んだ後、森類さんご本人が書いた本も読んでみました。
鴎外の子供たち―あとに残されたものの記録 ちくま文庫 – 1995/6/1
まずは、お勉強がはなはだしく出来なかったという事から、学習障害的な処がある人なのかな・・・?と思っていましたが、少なくとも文章からは、全くそういうのは感じなかったです。冒頭、子供のころの庭木に、どんな花木があったか?という説明が事細かく書かれていたり、その他、彼の記憶力は相当なものでしたよ。
そして、類さんのユーモア感覚が程良くて、自分のダメっぷりを、さらっと、あっけらかんと語る口調が読んでいて気持ち良いんですよ。憂鬱さや湿り気が無いんですよね。
「類」の内容と、この本で書かれている内容は、かなり同じなのですが、「類」を読んでいる時に感じた類さんの可哀想さとか、たまにイラっとさせられた処が、なぜかこの「鴎外の子供たち」では感じなかったのです。
ダメな人(ごめんなさい)を描く時に他人様がそれを書くのと、本人が書くのでは、遠慮の有り・無しと、それと書く人の人柄によって、違って来るのは当然ではありますが。
文庫版なので写真画像が古い事もあって、ハッキリ見えないのが残念ですが、写真も10枚程含まれていましたよ。類さんは、お母様に似て鼻が高くすっとした目鼻立ちがハッキリした結構男前で、細くてすらっとしていたようだし、現代だったらモテたんじゃないでしょうか。
それにしても、森鴎外という父親は、とても子煩悩で良い親だったんですねえ。
夜中に子供が「おしっこ」って言ってトイレに付き合って、しかも拭く紙も用意して拭いてあげる事もあったとか、子供に持たせるお弁当を入れるとか、学校の玄関まで毎朝送迎とか、あちこち一緒にお散歩やお出かけとか(行く先々で、みんなが特別待遇するので、それは子供に悪い影響を与えかねないと思って控える様になったようだとか)
元来、怒る事は決してなくて、凄い優秀な人なのに、偉ぶる事もなくとても出来た人間だったみたいですね。
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ついでに、こちらもちょっと
「輪舞曲 ロンド」
半年くらい前に、まかてさんの「輪舞曲 ロンド」も、ちょっと読んでいたのですが・・・
主人公の女性が好きなタイプではなく、いや、正直苦手な人で・・・。
結局途中からは、飛ばし読みしてしまいました・・・。
読み終わった後に、ちょっと調べてみたら、パトロンであり愛人でもあった内藤民治、親類にあたる年下の徳川夢声、彼女の崇拝者で東京帝大の学生だった福田清人、そして息子の伊藤佐喜雄等、実際に存在していて、かなり事実に基づいて書かれていたことに驚き・・・。
その後、この四人はいずれも芸術と関わる。内藤民治は実業家だが文芸色の強い「中外」という雑誌を出し、福田清人と伊藤佐喜雄はのちに作家に、夢声が活弁士から俳優、さらに文筆家に。
輪舞曲 朝井まかて(2020年4月)
私、女優になるの。どうでも、決めているの」。松井須磨子の舞台に胸を貫かれ、二十七歳で津和野から夫と子を捨て出奔した女は、東京で女優・伊澤蘭奢へと変身した。「四十になったら死ぬの」とうそぶき、キャリア絶頂で言葉通りに世を去った女の劇的な人生を、徳川夢声ら三人の愛人と息子の目から描く
朝井まかて
「眩」
「恋歌」「先生のお庭番」
「実さえ花さえ」
コメント、リンクありがとうございます
奥さんの美穂さん
そうなんですよね!水無月Rさんのコメントや記事拝見して、同じ同じ!!って思ったわ。
奥さん立派だし偉かった。
そして、こんな事は言いたくないけど、お気の毒・・・とも思ってしまった。
>類ではなくて、他の人と結婚してたら、もっと違う人生だったろうなと思いました。
それ。昔だから今よりもっと女性は一度結婚してしまうと離婚もしずらいし、第二の人生を歩むのは大変だったと思うけれど、結婚相手で人生大きく左右されてしまいますよね・・・(現在もそうだけど)
類は生粋のお坊ちゃんだし、悪気も無いんだろうけど、好感持つことはできませんでした・・・。
私も、奥さんの美穂さんは素晴らしかったと思います。正直、類ではなくて、他の人と結婚してたら、もっと違う人生だったろうなと思いました。
〈お貴族様〉な類に嫌気がさしてしまって、優秀な家族に囲まれて大変だったろうとは思いつつも、もうちょっと現実的に行きてくれたら、妻子は苦労しなかったんじゃないかな・・・なんて思ってしまいました。
https://aosyo6.seesaa.net/article/499289319.html
私はまかて作品、ロンドを読んだ後に「類」だったので、登場する女性に自分の思うままに生きる系の人がいたり、2作品が時代的にかぶる部分があったせいもあるのかな、少し共通する部分がある印象を受けました。
次は「グッドバイ」を読んでみようと思っている処です。
>「ストーリー・オブ・マイライフ」のローリー
おお。彼も良い処のぼっちゃんで、率直な子でしたよね。
『類』の読者には、学習障害的な処がある人と語っている方が多いようですが、私には 全然そうは思えなかったですねぇ。
>ユーモア感覚が程良くて、自分のダメっぷりを、さらっと、あっけらかんと語る口調が読んでいて気持ち良いんですよ。憂鬱さや湿り気が無い
やはりそういうお人柄なんだろうと思います。優男といった風情でしたね。ちらっと思い出したのが「ストーリー・オブ・マイライフ」のローリーでした。良い所のお坊ちゃまで悪気なく素直で、人の懐に飛び込んでいけるみたいな・・・。
「輪舞曲 ロンド」は途中で断念しています