スペイン語で読み物を読んでいると、わからない事が多い。
単語の意味を辞書で調べて、それら一つ一つの意味は(その文章にふさわしい意味を調べられているかどうかは別として)わかっているのだけれど。
それを文章にした時に、今一つ文章にならないというか、文章の意味のポイントが今一つつかめなかったり、ポイントはつかめても細部がよく見えなかったり。
スペイン語は主語が省略されたり、それ、あれ、とか「そのこと」みたいに事象をまとめて指したり、が多く行われるので(ような気がする)、何について語っているのかさえ分からなかったりする。。。
あと、あたしがスペイン語の動詞に馴染んでいない為に、動詞の気持ちが分からないというか。。。説明できないけど。だから余計にその動詞がどっちを向いているのかわからない。。とか。
そんな事ばかりなのですが。
最近、普通に、日本語でも、ネットなんかの翻訳ものは今一つな事が多いのはおいといても、歴史とか世界情勢とか、ちょっと慣れない文章とか、その内容にあたし自身下地のない文章だと一度読んだだけでは理解できない事が結構多いに気が付きました。
さすがに普通の新聞は分かりやすく書いてあるけど。
今ウィキペディアでバルセロナの「悲劇の一週間」というのを読んでいるのですが、全然意味がわからない。。。
わからな過ぎて面白いので、なんでわからないかを分析してみよう。
まず、カタカナが多すぎて、惑わされてしまう。
人名だとして、覚えられないのと、「既にご存知の通りのあの人です」みたいな登場の仕方なので、「え”?どちら様ですか?」と毎回なってしまう。
土地名だとして、「これはどこなんだ??」といちいち疑問に思ってしまう為に内容が頭に入ってこない。
わたしが文章を理解するときは頭の中で絵を描いているみたいなので、場所がわからないとイメージが掴めなくて、もう、もや~、っとするばかりで、文章理解の妨げになってしまう。
次に、それ自体は知っている単語であっても、その使われている場の歴史背景がわからない為に(だから読んでいるんだけど。この文章を。)この文章の場合何を示しているのか、がわからなくて、結局全体的にぼやけてしまう。
という事が今明らかになりました。
そして、この分析作業をしながら読んだら、すぐに意味がわかったぞ!
わからないという事を「もう、それはわからない」と認めて読み進むのが読解のポイントなんだな!きっと。
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