lainのなりゆき雑記帳

映画を楽しむための映画の感想。アニメの感想。日々雑感。愚痴も有り。小説も有り。

フレディ VS ジェイソン

2008年03月30日 01時48分34秒 | 映画
エルム街の悪夢のフレディは、街の人々によって存在自体を封印され、人々の心から恐怖が消えてゆくのに伴い、その力を失いかけていた。そこでフレディが思いついたのがジェイソンを利用して、街に血の雨を降らせ、再び人々の心に恐怖を呼び戻す事だった。ジェイソンは復活し、エルム街の「あの家」での惨劇を再現するが…。

私にとって二人はもはやホラーのヒーローです(笑) その二人が対決してしまうなんて、こんなステキな事はありません! ただ期待が在る分、裏切られたどうしよう…、という躊躇もあってなかなか鑑賞に踏み切れなかったのですが…。実際に観てみて、楽しめました。とにかくこの映画の見所は、どうやって対決を実現させるのかに尽きると思うんですが、その辺も工夫されていて「やっつけ映画」でなかったので安心しました。しかし、もうここまで来ると笑うしかないですね。といってもネガティブな意味ではなくて、本当に笑えます。

フレディはまんまとジェイソンを利用してエルム街に惨劇を起こし、人々に恐怖心を植え付ける事に成功しますが、そこには大誤算が!w 復活したジェイソンは、一度殺し始めたらもう止まりません。気持ちいいぐらいに殺しまくりです。いや、実際あの巨体で、頭の悪そうな若者をぶった切りまくるシーンは、不謹慎とは思っていても一種の爽快感を感じてしまいます。そんな訳で、フレディは自分が殺そうと思っていた「獲物」をことごとくジェイソンに「横取り」され大激怒w

かくして夢の中と、現実と、双方のホームとアウェイでの壮絶な戦いの火ぶたが切って落とされます。フレディが夢の中で、ジェイソンをまるでピンボールのように弾き飛ばすシーンとか、もう監督も完全に狙って作ってるのが分かって、笑えます。二人の対決シーンはそう言った意味でも見せ場満載で、どちらのファン(エルム街、13金)にも楽しめること請け合い。ファンサービスも山盛りで、随所に両シリーズの有名なシーンのオマージュ的要素を盛り込んでいて、その辺もぬかりなしです。

「エルム通り」や「クリスタルレイク」など、もはや怖いと言うより懐かしささえ覚えるこの響きも堪らないです。うちの母はこの手のホラーが大好きなので、よく映画館まで一緒に行かされました。なもんで「13金」シリーズは4~5作、劇場で観ている筈…(汗) ただ、フレディはうちの母には受けがよくなくて、こっちはもっぱら自分でビデオを借りてきて観ていました。母に言わせると、夢の中なので「なんでもあり」な所がイヤなのだそうです(よくわからないけど、母なりの美学のようなものがあるらしい…)。

しかし、この作品は本当にパワーがありますヨ。二人ともタフでなかなか死なないし。とにかくファンを裏切らないサービス精神に好感が持てます。言ってしまえば「お約束」ずくめですが、それがまたファンに取っては堪らない訳で、それ故にもう酷い惨殺シーンなのに笑わずにはいられない映画になっています。

愛すべきB級映画の典型というか、作り手が本当に楽しんでつくっている映画は、観ていてもやっぱり楽しめます。特典に「皆殺しチャプター、惨殺シーンコレクション」なんてものが在る辺りも、シャレが効いていて最高です(笑)

秒速5センチメートル

2008年03月29日 00時38分22秒 | 映画
小学生の遠野貴樹と篠原明里は、単なる幼なじみ以上の気持ちを持っていたが、卒業と同時に明里が転校し、二人は離ればなれになってしまう。文通を通して二人の心の距離は微妙に変化し、貴樹は明里に会いに行く決心をする。

当たり前の日常が、当たり前に流れていく。何も起こらない。刻々と変化していくのは人の想い。風景が心に染みます。毎回のように、この監督の描く風景は、私達の心の中にある風景そのものだと思う。だから、単なる風景であっても、人の心と密接に結び付いていて、切ないのかな?と思ったりもします。

正直に言うと、この映画は少々観ているのが辛かったです。監督ご自身はインタビューの中で、この物語は自分の経験がベースになっているのではないと仰っていますが、もしそれが本当だとすれば、驚異的な感性の持ち主だな、と思います。恐らく、多くの人が普遍的に持つであろう、体験を、まるで目の前に突きつけられる思いがしました。「切ない」なんてものじゃないです。「苦しい」です。「つらい」です。

ここまでシンプルに、ただ真っ直ぐに人物を描く事で、物語が成立してしまう事にも驚かされます。一話目の「桜花抄」では、貴樹は明里の待つ栃木に向かいます。しかし大雪で電車は遅れに遅れ、その中で、もがいて、自分自身とイヤでも向き合わされる貴樹。その思いが、痛いくらいに伝わって来ます。3部構成になっていますが、貴樹を中心に、微妙に異なるシチュエーションで展開する物語も新鮮でした。

人が、一つの後悔も無く生きるなんて、無理な話だと思います。そう言う事を一度でも実感したことのある人なら、この映画の言わんとしている事は確実に伝わると思います。でもそれ故にこの映画を観ることで、そのにがにがしく、切なく、辛かった記憶を、もう一度味わう事になります。この映画を観た人の感想に「ラストが納得いかない」と言うものがいくつかありました。確かに、映画には現実では叶わない夢を、叶えて貰いたいと言う想いは決して間違ってはいないし、むしろそれが当たり前だとも思います。でも、この映画は、そう言う所には到達しないです。それ故に、リアリティがあるのだと、私は思いました。

それが多分「現実」という私たちが生きている、人生そのものだから。

テーマ曲に使われている山崎まさよしの「One more time, One more chance」が、なんで自分が大嫌いなのか、よく解りましたよ。

名もなきアフリカの地で

2008年03月26日 01時38分40秒 | 映画
ナチス政権下のドイツを逃れ、幼いレギーナ(レア・クルカ)と母親のイエッテルは、先にアフリカに渡っていたレギーナの父親が働くアフリカの農場にやって来る。しかしドイツでの裕福な暮らしが当たり前だったイエッテルはアフリカの暮らしに馴染む事が出来ない。夫のヴァルターとも諍いを繰り返す毎日。しかしレギーナだけは、料理人のオウアとすぐに親しくなり、現地の生活に溶け込んでいく。

農場とは行っても、乾ききった荒涼とした荒れ地が続くばかり。レギーナ達の済む家もまるで小屋のような家です。1930年代、まさにナチスドイツが戦争に突入しようかと言う、ユダヤ人達にとっての受難の暗雲が立ちこめるドイツを逃れたレギーナの一家ですが、アフリカでの現実は厳しいものでした。特に母親のイエッテルはドイツの状況を理解していなくて、自分たちがユダヤ人であると言うことだけで背負わされた運命から、目を背け続けます。その後イエッテルは、ラジオでユダヤ人がナチスによって迫害に合っている事実を知ります。それでも、華やかだったドイツでの暮らしを忘れる事が出来ない母イエッテルに、夫は現実を受け入れるよう諭しますが…。

一方幼いレギーナは料理人のオウアとすぐに仲良くなり、現地の人達の生活を肌で感じ、みるみる順応していきます。現地の部族の子供達とも次第に仲良くなるレギーナですが、一人だけヒラヒラのお洋服なのがなんとも不思議な光景です。母親は先入観から現地の人々と遊んではいけないと言いますが、レギーナは理屈でなくて実感として彼らの事を理解していたので、なにも恐れるものなどありません。幼年期を演じたレア・クルカが何とも愛くるしくて、当たり前のようにアフリカの風景に溶け込んでいくシーンは微笑ましく、思わず頬が緩んでしまいました^^

アフリカの現地の人々が、なんだか超パワフルです。特に女性はみんな明るくて輝いていて自然体。一方のレギーナの母は決して彼らを認めようとせず、ドレスのような服(現地の生活には適さない)を頑なに着続ける姿が、この映画の中では奇異な存在に見えるのが不思議です。料理人のオウアの事を蔑むイエッテルに「今の君はナチスが僕たちに向き合う時の態度と同じだ」と告げる夫の言葉が何とも強烈です。

その後も、開戦と同時にドイツ国籍を持っていると言うだけで、イギリスの収容所に入れられたり。まさに波瀾万丈の荒波にもまれるレギーナ一家です。それでもレギーナは異文化に触れそこから驚くほど多くの事を学び、学校でも優秀な成績を修めます。それは、差別意識を持つ校長をも関心させる程。そうなんですよ、イギリスの学校であっても、やはりユダヤ人は特別扱いです。何処までも付きまとう差別の現実が悲しいですね。

レギーナはそうした現実にもめげる事なく成長していきます。子役のレア・クルカから、成長したレギーナ役カロリーネ・エケルツへの入れ替わりのシーンも鮮やかです。と言うか、ちょっと感動してしまいました。うまいです。更にレギーナのテーマ(のような曲があります)が効果的に使われ「彼女の中で何かが変わり成長する瞬間」を観ているこちらも実感できる絶妙の演出がすばらしいです。

泣ける、と言うより、ジンワリ胸に染みこんで来るものが在ります。レギーナの父と母がお互いの葛藤の中から、自分たちの真実を見つけるまでの物語としても深い味わいがある映画です。シュテファニー・ツヴァイクと言う人のほぼ自伝?の小説が原作だそうです。まさに事実は小説より何とか…です。その中で奔放で前向きでポジティブなレギーナが、とにかく魅力的です。

ガタカ

2008年03月25日 02時26分39秒 | 映画
生まれた瞬間に、将来どんな病気に掛かるか分かってしまう近未来。遺伝子が人生を決め、新たな差別を生み出していた。ヴィンセント(イーサン・ホーク)は、遺伝子操作無しに自然分娩でこの世に生を受ける。一方弟のアーロンは両親がヴィンセントがあまりにも虚弱である事に懲りた為、遺伝子操作を使い選別されたエリートとして生まれてくる。ヴィンセントは自分の境遇を理解し劣等感に苛まれながらも、宇宙飛行士への夢を追い続けるが…。

欠点ばかりに目を奪われていたら何も成し遂げられない、誰にだって可能性はある。と、正攻法のテーマでガッツリと押しのある映画です。少年時代のヴィンセントは弟に背の高さも抜かれてしまい、「岸から何処まで泳げるか」の勝負でもいつも負けてしまいます。しかし、青年へと成長したヴィンセントですが、生まれたときに心臓の疾患の発病率の高さを指摘され、30歳までも生きられない、と言われていたにも関わらず、宇宙への夢を決して諦める事はありません。そして、いつしか彼の執念は弟をついに打ち負かします。

ヴィンセントは自分の可能性を試すべく故郷を後にします。ただやはり「不適格者」と言う遺伝子差別の壁は厚く、思うように自分の望む道に進む事ができません。彼の憧れは、宇宙開発の拠点であり、日に何回も宇宙ロケットを打ち上げている「ガタカ」です。彼は正当な方法ではガタカへの就職は困難な事を知り、裏の遺伝子のバイヤーのような男の助けをかりて、ガタカに潜り込む決意をします。

その方法とは、優秀な遺伝子を持ちながら事故で下半身不随になり、水泳選手としての生命を絶たれたジェローム(ジュード・ロウ)が、承認手続きの為の毎朝の血液検査用の血液や尿を提供する、と言うもの。かくてヴィンセントはジェロームと契約して、ジェロームとしての人生を歩み始めます。まるで二人は一心同体のように共同での生活を始めます。そしてヴィンセントはとうとう憧れのガタカにも潜り込み、人類初の土星への有人飛行の飛行士として選ばれますが…。社内で殺人事件が起こり、思わぬ窮地に立たされるヴィンセント。

ヴィンセントと、人生を提供するジェロームのやり取りは最初ビジネスライクなものですが、プライドと挫折のぶつかりあいの中から、次第に友情が芽生えて行くシーンが凄く気に入りました。ヴィンセントは優秀な血統書付きの遺伝子を提供して貰い夢に近づく事ができ。逆にジェロームは自分が果たす事の出来なかった夢を心の何処かでヴィンセントに託しているのが分かり、二人が心を通わせて行くシーンが凄くいいです。それと、やっぱり登場人物達みんなが、遺伝子で差別される事に疑問を感じている事が、後半の演出でうまく生かされていて、ちょっと「味なシーン」もあったりで楽しませて貰いました。

しかし潜り込んだとは言え、宇宙に憧れて勉強を欠かしてこなかったヴィンセントは遺伝子以外は優秀そのものです。振り返って、自分を見てみると、可能性とチャンスが与えられている筈なのに、キチンと自分と向き合わないでみすみすチャンスを見過ごしてきたであろう自分の優柔不断さと、アホさが身に染みると言うもの(笑)

ただ、現実にゲノム解析なんかである程度将来の遺伝病の可能性なんかは分かる現在ですから、この映画の内容は、公開当時より、今の方が現実味があってちょっとゾッとします。

アメリカ映画のお家芸のような、信じる力、可能性、希望、を真正面から描いているのが逆に新鮮だったり。挫折からの復活という分かりやすいプロットは、言わば近未来のシンデレラストーリーって感じですかね。

基本はSFです。典型的な清潔でシンプルな近未来像。でも宇宙でのシーンはなし。で、本当の正体はサスペンス映画です。しかもこれはイイ!サスペンス映画ですw あと、テーマがシンプルで確実に作者の思いが伝わって来る作りも良かったです。


インランド・エンパイア

2008年03月24日 01時39分34秒 | 映画
ニッキー(ローラ・ダーン)はある日近所に越してきた老婦人の訪問を受ける。老婦人は彼女の未来を予言するが、それは現実となりニッキーは映画の主役に抜擢される。しかしその映画はいわく付きの映画であり、ニッキーは次第に役と現実の自分の区別が付かなくなり、迷宮のような世界に迷い込んで行く。

デイヴィッド・リンチここにありですか? もう、既存の映画という枠を、完全に超越しちゃった感じです。マルホランドですら手こずったのに。事もあろうにこの物語は5つの物語が複雑に交錯するという、明らかに一回の鑑賞で理解するのは不可能です。しかも! うっかりさんの私は新作と知らず、TSUTAYAのレジで「新作ですけど何泊にしますか?」という店員に、思わず「い、一泊二日で(汗)」と言ってしまったので(だって何泊も借りると高いんだもん…)、鑑賞するチャンスは一度きり…。無理! 絶対無理! なので「もういいや、身を任せてなるようになれ!」と言う心境で鑑賞しました。(しかも3時間もある長編ですよ…(涙))

映画全体をテレビで見ている「ロスト・ガール」の世界。ニッキーが出演している「暗い明日の空の上で」と言う映画の世界。その映画のオリジナル版の「47」と言う映画の世界。ウサギ人間の居る部屋(舞台のようでもある)の世界。そしてニッキーの現実。これらの世界がスタジオ内に作られたセットを中心に交わり合い、ニッキーや登場人物達はドアからドアへ部屋を移動しながら、それらの世界を行き来しているようです。ニッキーは次第に役の中の自分と現実の区別が付かなくなり、相手役のデヴォンと映画の設定そのままに不倫関係に陥ってしまいますが、まだこれは序の口。人物の設定はコロコロ変わるわ、時代や状況そのものもめまぐるしく入れ替わり、幻惑そのものと言っていい状況。果たしてこの映画に出口はあるのか?、と本気で観ていて不安になります。しかしそこはデイヴィッド・リンチ、お得意の音響効果も手伝って、一旦映画の中に踏み込んでしまったら、目が離せなくなってしまうのも事実。実際ニッキーがどうなるのか、それが気になってどんどん画面に引きずり込まれてしまいました。ニッキー自体も場面によって性格やしゃべり方まで変わってしまって、一体どれが本当のニッキーの姿なのか分からなかったり…。混沌そのものです。でも、何故か出口への希望も見え隠れする絶妙の演出も在ったりで、本当に複雑で、ねじれているような映画です。

あと、懐かしい人を発見。裕木奈江が出演しています。日本語なまりの英語で、出番もかなり長めのシーン。でも、不思議とリンチの世界に溶け込んでいて、悪くないですね。

3時間、かなり長いですが、もう次から次へと場面が展開していくので、意味を考える余裕もなく流されるままの3時間でした。これでもか!とリンチ的世界の集大成?とも言える映像を、脳みそに流し込まれる感じです。でも、それが苦痛でない私は、ある意味かなり「リンチ病」と言える状態かも知れません。これだけ振り回されて惑わされているにもかかわらず、ラストではなんだかある種のカタルシスを確実に感じられる。もう、理論とか理屈を越えた場所に、この映画は「行ってしまった」感じすらしました。

とりあえずいずれDVDは買いたいです。余裕をもってゆっくりみたいな、と思います。ゴールデンウイークとか、夏休みとか(笑)

詳しい情報は下記にありますが、この映画、先入観を持って観のはどうかな…、と思うので、もし楽しみたいなら「事前情報無し」が絶対おすすめです。
INLAND EMPIRE

8月のメモワール

2008年03月21日 01時54分08秒 | 映画
ステュ(イライジャ・ウッド)とリディア(レキシー・ランドール)は双子の姉弟だ。ある夏、ベトナム戦争から帰還して以来、職探しの為家を離れていた父が帰ってくる。しかし父は戦争で心を病み、職探しもままならなかった。父はそんな自分を見て、子供達の人生への希望を失わせたくないと苦悩する。

1970年アメリカの、ある田舎町の家族の物語。父親は実は随分前に帰還していたのですが、戦争での悲惨な体験から精神を患いずっと入院していた事が冒頭で明かされます。国の為に戦ったのに、その彼らに与えられたのは勲章だけ。家も失い、仕事すら満足に得られない実情が描かれます。それでも危険な鉱山での仕事になんとかありつく父スティーヴン(ケヴィン・コスナー)ですが…。「どうせすぐまたクビになるのに」と言う娘のリディアに、母は言います。「お父さんは私やあなたの為に戦っている。お父さんを侮辱することは私が許さない」と。そして「それは私やあなた自身を卑しめること」なのだと。自分の夫を誇りに思い、必死に家計を支えるため働きづめの母の姿が、印象的です。こういった登場人物の何気ないやり取りや台詞にも人生の重みを感じさせ、彼らの葛藤や、喜び、希望、と言った感情がしっかりと観ている側に伝わってきます。

ステュとリディアは、同じ場所にツリーハウス(木の上の家)を作ろうとし、姉弟でもめ友達も巻き込んでいきます。さらにリプニッキ家の兄弟達とは以前から諍いが絶えず、子供達の小さな戦争は次第にエスカレートしていってしまいます。そんな中、ステュは、父から戦争で体験した父の真実を聞かされ、争いの愚かさを次第に悟って行きます。ほんの一瞬の感情で人生が変わってしまうことすらあると言う父。その父親役、ケヴィン・コスナーの抑えた演技がいいですね。しかし、皮肉なもので戦いを避けようとしても、どうしても争いの火種が消えることはありません。ステュは必死に父の言葉を信じ、自分なりの解決を模索しますが…。

ステュ役、イライジャ・ウッド若いです(本作は1995年の作品です)。まだまだ少年のあどけなさの残るイライジャですが、父の言葉の意味を、自分の体験から学び、次第に成長していく姿を見事に演じています。物語の泣き所(急所という意味ではないです、泣けるシーンと言う意味で)では驚異的な演技力で、もうこっちはボロ泣きですよ(笑)しかも、後半はもう涙止まらなかったです。父親の体験した戦争と、子供達のたわいのないように見える諍いが、次第にオーバーラップしていく展開も、本当に無駄がなくて、伏線も見事で、脚本完璧すぎ、と思ってしまいました。些細なエピソードや小物が思わぬ伏線になっていたり、丁寧に紡がれた物語は本当に厚みがあって見応えがありました。

泣ける映画はいろいろありますが、家族の絆の本当の意味を、これほど意識させられた映画はちょっと思いつかないです。「愛のない所に本当の勇気は生まれない」と言う父の言葉など、映画全体を通して訴えかけるてくるメッセージが明確で、観ていて本当に心を揺さぶられます。これは何となく泣ける映画ではありません。単に戦争の虚しさを訴える映画でもありません。在り来たりの反戦映画でもないです。「人は戦争を理解出来ても、戦争が人を理解してくれる事はない」という、リディアの台詞(メモワール)が、深く、そして静かに心に響くラストが良かったです。間違いなく名作と言って良い映画だと思います。

あと一つw リディアの親友で黒人のエルヴァディン役ラトーヤ・チスホルムの、芝居がかったまるで機関銃のような一人語りのシーンは面白かったです。差別的な問題も絡んで微妙なシーンなのに、強烈な皮肉も笑いに変えてしまうこのパワー凄いです。このキャラは凄く好き^^

スキャナー・ダークリー

2008年03月20日 00時59分11秒 | 映画
ボブ・アークター(キアヌ・リーブス)は覆面麻薬捜査官だ。しかし彼自身も「物質D」と呼ばれる麻薬に溺れ、家族を捨てイカレた連中と自分の家で暮らしていた。そして彼は、自分自身の監視を上司から命令される。監視しているのか、監視されているのか、自分は本当に潜入捜査官なのか? 次第にボブは現実と自分自身すら見失って行く。

自分の脳が明らかに混乱しているのが分かりました。そう言う点では凄く刺激的な映像ですが、長時間これを見るのは相当な労力を要します(私の場合)。実写として撮影し編集した映像を元に、なぞる、と言うよりはアニメーションに置き換えている、と言っていい本作。全編がその手法に因って作られたアニメーション?映画です。実写が元になっているため、手書きとは言っても画面の中の情報量が驚異的に多く、まるで実写をトゥーンレンダリングしたような映像は凄く新鮮でした。ただし、前述のように俳優の動きやバックのパースなど、全て実写映像から一コマずつ起こしている為、実写そのものなのに、アニメーションでもあり、見ていて脳が混乱を起こします^^;

前半はボブとイカレた友人達のコメディのようでもあり、ドラッグ中毒患者の幻覚のようでもあり、微妙でシュールなシチュエーションで物語りが展開します。中でもキレ者なのか、ただのバカなのか判断に苦しむバリスのキャラが強烈です。物語の中では凄くイヤな奴なんですが、不思議な魅力のあるキャラクターです。ボブは捜査官でもありますが、警察所(極秘の施設のようでもある)では特殊なスーツを着て、捜査官同士でも個人を特定出来ないようになっています。その為、ボブ(捜査官としてはフレッドと呼ばれている)は、自分の家に取り付けられた監視装置を通して、自分自身と仲間達を監視するよう命令を受け戸惑います。しかし捜査の為とは言え、実際に「物質D」を摂取しているボブ。次第に自己崩壊を起こし現実と幻覚の区別が付かなくなってしまいます。そして映画後半、物語は次第に本当の姿を現し始めます。「物質D」とは何なのか。一体誰がそれを作っているのか。そして、何故そんなにも「物質D」は急速に人々に蔓延していくのか…。そこには恐ろしい真実が…。

映像特典に原作者フィリップ・K・ディックの生前の映像も収録されています。自ら小説の内容について語っているシーンもあり、SFと言う形をとりながら、巧みに自分の体験に基づいた内容が織り込まれている事が分かります。映画のラストにはディック自身のメッセージもあり、監督が原作を大切に扱っているというか、原作を殺さないよう細心の注意を払って映画化した様子が窺えます。それにしても、リアルなドラッグを扱ったドラマや映画より、SFでありながら本作は本当にドラッグの恐ろしさが伝わって来ます。次第に左右の脳が分裂し、崩壊していくボブの姿はリアリティがあります。そして、ラストで明かされる驚愕の真実と、ボブの現実は、恐ろしくもあり、残酷でもあり、呆然とするしかない切ないものです。でも、これがディックの小説なんだと思います。無常観というか、やりきれなくて生きているのがイヤになるようなこの展開は、紛れもなくディックの小説そのものだなぁ、と感じました。

ベオウルフ

2008年03月19日 00時15分58秒 | 映画
夜な夜な古城に現れる謎の怪物。その為城は包囲され、そこを抜けだそうとする者はことごとく処刑される。その包囲を突破して、ベオウルフと名乗る一人の男が古城にやってくる。彼は怪物の事を何故か知っていて、退治に来たと領主に告げるが…。

300(スリーハンドレッド)のジェラルド・バトラー主演のベオウルフを探していたんですが、見つからなかったのでなんか同じタイトルの「ベオウルフ」を気まぐれで借りてみる(笑)(今回は間違えたんじゃなくて、自分の意志ですからね?w) なんかのレビューで「ベルセルク」っぽい、と以前に読んだ記憶があったので、ま、いいかと思って借りました。この映画、一言で言うと「B級テイスト大爆発」な映画ですw 1998年の作品なので古いんですが、不思議な事に古さを感じない! なぜ? なんか、荒廃した近未来と中世をミックスしたような世界で、マッドマックス/サンダードームを彷彿とさせる世界観がそうさせているのかも…? でも、世界観はもろ好みだわぁ。基本は中世世界なんですが、微妙に未来っぽい雰囲気がちりばめてあって、やたら錆びてる所とか、廃墟を彷彿とさせる感じがたまりません。

ストーリーはB級はB級でもかなり「やっつけ感」漂う微妙な内容^^; 邪神と人間の混血である主人公(クリストファー・ランバート)が、自分の中の悪の部分を打ち消すべく、魔物を退治してさすらうと言う、単純な話。そう言えばクリストファー・ランバートって言ったら、リュック・ベッソン監督の初期の作品「サブウェイ」で主演していたあの人ですよね。スマートで結構ハンサムだったと思いましたが…。いつの間にかすっかりおじちゃんになってるのにびっくりですよ。しかし、その中年体型でアクション頑張ってます(涙)

で、確かに言われてみるとベルセルクっぽいw ドラゴン殺しのような大剣こそ担いでいませんが、全身武器ずくめでボウガンも装備。タイトルロゴのシルエットがガッツの立ち姿にそっくりだったり。後半エロい魔物のネーちゃんが変身する場面も、もうベルセルクの「使徒」まんまで、特に一巻の冒頭を彷彿とさせるビジュアルだったり。憶測ですがコミック読んで影響受けてるんじゃ…と素直に思ってしまいました。ちなみにベルセルクの一巻が出たのが1990年ですから、十分あり得るんじゃないかと…。わかりませんけどね(笑)

とくにかくアクションシーンが撮りたくて「ストーリーはもう適当でいいや」と言う、やっつけ感がたまらないB級映画。間違いなく物好きしか見ないw もちろん私は物好きです!(笑)

関係ないけどそう言えばリュック・ベッソンの「サブウェイ」も微妙なB級映画だったなぁ、とふと思い出しました。好きですけどね。あの何とも言えない地下世界の描写も。

ペイチェック 消された記憶

2008年03月17日 00時28分26秒 | 映画
マイケル(ベン・アフレック)は有能なコンピューターのエンジニアだが、携わるプロジェクトは極秘。その為毎回プロジェクトに関わっていた期間の記憶を消して高額の報酬を受け取っていた。しかし3年という長い時間を犠牲にして漸く得るはずだった数億ドルの報酬の代わりに受け取ったものは、がらくたの入った一つの封筒だった。

TV朝日系列で放送
フィリップ・K・ディック原作と言う事で観ましたが、監督のジョン・ウーとはやっぱり私、芸風が合わないようです。脚本を始め主要なスタッフも私的に微妙な人が多く、個人的には楽しむどころか、我慢して観る映画の類としか言い様がない出来。鳩飛んでるし…。

謎解きのストーリー自体と言うか、物語の骨格になる部分は面白かったんですけどね。何しろ意味不明な演出大杉です。MI2の時もそうですが、新しいアクションを追求する姿勢は評価できるにしても、やはり強引で安っぽいです。コンピューターのエンジニアである主人公が、いきなりバイクにまたがってハリウッドスタント顔負けのカーアクションを展開しちゃったり。銃を持った大勢の警備員相手に棍棒でカンフーアクションを披露したり。全てがくどくてストイックさに欠ける演出の数々は正直観ていて凄くイライラします。

単純で、分かりやすくて、派手で、でもそれだけ。何故か理由は分かりませんが、感情を逆撫でされるような感覚が常につきまとい、…ああ!もう、お為ごかし言ってもしょうがないのでハッキリいいますが、見せたがりで出しゃばりな人と話をしているような、ある種の不快感が常に付きまとい素直に映画に没頭できません。どうにもこの監督は私に取っては厄介です。

銃拾えばいいじゃん。と思います。なんで持ってる銃捨てて殴り合いをするの? と思います。全く意味不明です。

って言うか鳩飛ばすなつーの。あ~あ、ディックの原作もこの監督に掛かっては、味も素っ気もないただの「出がらし」です…(泣)

だらだら長げーよっ

2008年03月16日 03時40分47秒 | 日々雑感
と、最近の自分の文章を見ていて思ったり。別に物書きのプロではないので、仕方ないともおもってます。でも、一応、読んでくださる方がいるので、すこしでも読みやすくとは、いつも思ってます。

一日のアクセス数だけは分かるので、こんなに何人も見てくれてるんだ! と思うと凄くありがたいと思う反面、プレッシャーもあったりで最近なんかレビューアー気取りなんじゃないの?とか、少し迷いもあったりします。

感想が書きたいです。紹介記事みたいに最近なってしまっているのが、自分で凄くもどかしいです。最近気がついたのは、やっぱり観てすぐ書かないと、ダメみたいです。時間をおいて何度も反芻していると、どんどん在り来たりなレビューっぽくなってしまって。自分で読み返してもなんか個性ない文章で、あ~あとか思う事も。自分が感じた事を、そのまま書くのって凄く難しいですね。

それから、やっと再就職が決まったので、来週からしばらくは映画を観るペースが落ちるかもしれません。でも、もう映画を観ることが生活の一部になってしまったので、このブログは死守したいです(笑)更新が無いときは、仕事いそがしいんだな。と思ってください。

今は体調はほぼ戻りました。体調が酷かった時は「今日一日頑張れば夜には好きな映画が観れる」と思って(自分を騙して?w)乗り切って来ました。とにかく、読んでくださる方が居るお陰で、私には凄く励みになっていましたし、今もそれは変わりません。本当に感謝です。ありがとうございます。