彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

倒れかけた津波記念碑

2018年06月27日 | Weblog

 

 5月の議会全員協議会で、村長からある避難場所の記念碑がひびもあり倒れそうなのでその修復と、非難場所への上がる路がすべったり、頂上も急斜面で危険なのでサクを付けるなどしたい。という提案がありました。

しかし、ひとりの議員の意見を受け提案を取り下げました。・・・何かすっきりしませんでした。

「必要ない」と反対するには、住民の考えを受けたものであるのかも知れません。

 

 定例会も終わり、しばらくしてから私はその近くに住んでいる人に、どう思っているか数件聞いて歩きました。

「先人の作った記念碑で、代々受け継いできたものであること。避難場所として、高くて海も見える最適で必要な場所でなくてはならない所だ。」として認識しているというのです。

みなさん同じような意見で、誰もが「いざと言うときの避難先」として気持ちの片隅にあると思っているという印象を受けました。

「ここらへんでは高い所といえばここしかないので、足場も悪いし直した方がいいと思う」などの意見です。

中には、「まあ、たいして使わない所に金をかけてもとも思う。同じような記念碑はお寺にもある。」との意見もありました。

しかし、倒れかけた記念碑を放置できるはずもありません。撤去にしても経費は発生します。

そこが危険な状態であることを、放置すると言うのは行政の姿勢ではありません。

村長が提案したと言うことは、そうはできないとの判断ではなかったのでしょうか? そしてなぜ取り下げたか?

 村長、行政、消防団で、津波記念日の毎年3月3日はあそこで黙とうをし、祈ります。

その時にみなさん危険な場所として認識し、修復の話もでます。恐らくそのような声を聴いてのことではないでしょうか。

あとでそう思いました。

いずれにしても、住民の安全に関わることでもあり、先代から受け継いだ歴史であり伝えていかなければならないシンボルです。

逆に、あそこを見て知っているものとして、議員の立場で提案しなかった自分の恥であることに気づいた次第です。合掌



最新の画像もっと見る

コメントを投稿