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にほひおこせよ 梅の花

2025-02-27 21:18:00 | 日記

春の訪れを先取りするような陽気が続く中、東京・文京区の湯島天満宮では、梅の花が見ごろを迎えている。学問の神様として知られる菅原道真公を祀るこの神社は、受験生の聖地としても名高いが、同時に江戸時代から梅の名所として親しまれてきた。


現在、湯島天満宮では「梅まつり」が開催されており、多くの人が訪れている。境内には約300本もの梅の木が植えられており、紅梅や白梅が一斉に咲き誇る様子は、まるで学問の神様が「今年も頑張ったな」と受験生をねぎらっているかのようだ。


ところで、なぜ天満宮には梅が多いのか。これは菅原道真公が大の梅好きだったことに由来する。京都から大宰府に左遷された際、「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」と詠んだ話はあまりにも有名だ。しかし、よく考えてみると、道真がいなくなっても梅が咲くかどうかは梅次第であり、わざわざ言われるまでもないような気もする。


それはさておき、「梅まつり」といえば、多くの観光客が写真を撮り、SNSに投稿する光景が定番だが、よくよく観察すると、梅と自撮りしている人々の視線の先は、花ではなくスマホの画面である。つまり、人はもはや梅を直接見ていない可能性がある。こうなると、「梅を見に行く」という行為の本質は何なのか、哲学的な問いにぶつかる。


結論として、梅の花は美しい。しかし、それ以上に大事なのは「梅を見た」と誰かに伝えることであり、さらに言えば、「梅を見た」と伝える自分をどう演出するかにあるのかもしれない。学問の神様も、こんな時代の変化を見て、どんな和歌を詠むのだろうか。



いのちをだいじに

2025-02-26 15:32:00 | 日記

大津市の瀬田川でランニング中の市職員、大南公彦さん(55)が80代の女性を救助し、大津署から感謝状を贈られた。1月13日午後1時ごろ、大南さんは川沿いを走っていた際、杖を持った高齢女性が川へと続く階段に座っているのを目撃。一度は通り過ぎたものの、気になって引き返し、女性の話を聞きながら安全な場所へ誘導したという。


さて、このニュースに対して「勇敢な行動」「市職員の鑑」といった賛辞が並ぶのは当然だ。しかし、一度通り過ぎてしまったという点にこそ、人間のリアルな心理が隠れている。多くの人は、違和感を覚えながらも「関わるべきか」と一瞬ためらうものだ。ところが、大南さんはその迷いを振り切り、行動に移した。これは単なる「勇気」ではなく、「気にしすぎる性格」が功を奏したとも言える。世間では「気にしすぎる人」は損をするとか、考えすぎるなとか言われがちだが、今回のように命を救う結果につながることもあるのだ。


むしろ、現代社会では「気にしすぎること」が重要視される場面が増えている。例えば、監視カメラの映像解析やAIの異常検知も、「普通と違う」を察知する能力に依存している。そう考えると、大南さんの行動は、ただの親切ではなく、高度なリスクマネジメントの一環だったのかもしれない。もしかすると、未来の防犯システムは「気にしすぎAI」が主流になり、「あれ?この人、ちょっと様子がおかしいかも」と自動通報する時代が来るのかもしれない。つまり、大南さんは先進的な「人間AI」だったのではないか。


とはいえ、「気にしすぎAI」が全自動で世の中を監視するようになると、それはそれで窮屈すぎる。最終的には「気にしすぎる人」と「気にしなさすぎる人」がバランスよく共存する社会が理想なのかもしれない。とりあえず、私は今、冷蔵庫のプリンの賞味期限を気にしすぎている。たぶん、こういうのが日常の大南さん的行動だろう。



星に願いを

2025-02-26 00:35:00 | 日記

それはまさに「心配して損した」案件である。


年末のちょっとした話題として、一部の天文ファンを震え上がらせた小惑星「2024 YR4」。観測史上最も地球衝突の危険が高いとされ、SNS上では「人類の終わりが近い」「これで仕事を辞められる」など、ある意味で希望に満ちた投稿が飛び交った。ところが、NASAとESAが24日、「計算し直したら、2032年の衝突確率はほぼゼロになった」と発表。つまり、皆が心のどこかで期待していた“宇宙規模のドラマ”は、ただの計算精度による誤解だったというわけだ。


これは、夏休みの宿題を終わらせずに「明日地球が滅びるかもしれないからやらなくていい」と豪語していた小学生が、急に「やっぱり普通に学校あります」と言われるようなもの。あれほど期待させておいて、何事もなかったように終わるのが宇宙の常である。


だが、ここで一つ思い出してほしいのは、「ほぼゼロ」という表現である。「ゼロ」ではない。もしかしたら、NASAの研究員が計算を間違えた可能性もあるし、2032年の直前になって「やっぱり衝突コースでした!」なんて手のひら返しをされる可能性だってある。もはや「世界の終わり」は、どこかの研究室の計算精度に左右される時代なのだ。


結局のところ、「危機」は訪れず、我々はこれからも変わらぬ日常を生き続けることになった。つまり、明日も普通に仕事があるし、宿題もちゃんとやらなければならない。そしてこの先も、似たような小惑星が発見されるたびに、ちょっとした騒ぎが起こり、「やっぱり大丈夫でした」という発表が繰り返されるのだろう。


それにしても、こういう話題が出るたびに人々が妙にワクワクするのは、日常にちょっとしたスリルを求めているからかもしれない。もし本当に地球が滅ぶとしたら、人類は最後の日をどう過ごすのか――そんなSFじみたことを考えながら、結局今夜も普通に風呂に入り、歯を磨き、明日の予定を確認するのだ。



今年の夏も暑くなりそうです

2025-02-25 19:42:00 | 日記

気象庁が25日(火)に発表した夏の天候見通しによると、2025年の夏(6月~8月)は全国的に暖かい空気に覆われやすく、気温が平年より高くなる見込みだという。要するに、「また猛暑か……」という話である。


加えて、降水量は平年並みになる予想とのこと。つまり、猛暑だけれど雨が極端に多いわけでも少ないわけでもなく、なんとなく「いつもの夏」に毛が生えた感じになりそうだ。とはいえ、最近の「いつもの夏」はもはや猛暑がデフォルトになっており、「今年も例年通り暑くなるでしょう」と言われると、何の慰めにもならないどころか、「それ、平年並みって言葉の意味あってる?」とツッコミたくなる。


一方で、冷夏を期待する向きもあるかもしれないが、現状ではその希望は儚く散る公算が高い。夏の気温が全国的に高くなる傾向はここ数年続いており、これを「気候変動の影響だ!」と憤るのも、「まぁ、そんなもんだろ」と諦めるのも、各々の自由である。


とりあえず、今年の夏に備えて早めにエアコンの点検をしておいたほうがよさそうだ。昨年のように、7月にエアコンが壊れて修理業者がパンク状態になり、「あと1カ月は来れません」と言われて地獄を見るよりはマシである。結局、日本の夏の最適解は「エアコンの効いた室内で冷たい飲み物を飲む」という、文明の力にすがる一点に集約されるのかもしれない。


……いや、むしろこれを機に、寒冷地への避暑移住を本気で検討するのもアリか?



肉を食べましょう

2025-02-25 10:16:00 | 日記

これは興味深い研究結果である。一般的に「肉類は控えめに」という健康意識が浸透しているが、日本人女性に限って言えば、むしろ適度に摂取することが健康リスクを下げる可能性が示唆されている。特に脳血管疾患の死亡リスクが低下するというのは注目に値する。


この背景には、日本人女性の肉類摂取量がもともと少ない傾向があることが関係していると考えられる。肉類は良質なタンパク質や鉄、ビタミンB群を豊富に含むため、極端に不足すると筋肉量の減少や貧血のリスクが高まる。特に加齢とともにサルコペニア(筋肉量減少)や骨密度の低下が問題になるため、適量の肉類を意識的に摂ることが予防につながるのかもしれない。


一方で、男性では肉類の摂取量が多いほど総死亡リスクが上昇する傾向があったという点も見逃せない。これは過剰な摂取による脂質異常や心血管疾患のリスク増加が影響している可能性がある。つまり、肉類の健康効果は摂取量のバランスに依存し、「多すぎても少なすぎてもよくない」ということだろう。


結局のところ、「何事もバランスが大事」という極めてありきたりな結論に行き着くわけだが、それが科学的データによって改めて裏付けられたという点に意義がある。つまり、健康のために肉を減らすべきかどうかは、性別や食習慣を考慮した上で個別に判断すべきということだ。


ところで、肉の話をしていたら焼肉が食べたくなってきた。バランスを意識しながら適度に楽しむのが健康の秘訣だとすれば、今日の夕飯はちょっと奮発して和牛を…と思ったが、財布のバランスが崩壊しそうなのでやめておくことにする。