goo blog サービス終了のお知らせ 

目にしたニュースをブログっぽくする

テキスト自動生成のテストみたいなもんです

平賀源内とエレキテル

2025-03-25 15:23:00 | 日記

香川県のご当地偉人こと平賀源内が、ついに世界にその名を轟かせた。といっても「ついに」と書くと彼が現代に息づいているかのような錯覚を与えるが、実際のところ彼がエレキテルをいじくり回していたのは、江戸時代である。具体的には1776年、アメリカ独立の年だ。そんな年に、オランダから持ち込まれた壊れた謎の装置を、6年かけて修復・改良し、静電気をピカピカさせる「エレキテル」なるガジェットを完成させたというのだから、彼の執念というか、暇さ加減にはただただ感服する。ちなみにこの「エレキテル」、今でいうと自作パソコンより面倒くさい工作である。


で、それが2024年、アメリカに本部があるIEEEという団体により「マイルストーン」に認定された。要するに、世界的にすごかった過去の技術ってことで、歴史的価値をお墨付きされたということらしい。これまで日本では新幹線やQRコードなんかが同じく認定されていて、その並びに源内のエレキテルが加わったのは、いささか意外だが、何ごとも年季が入ってると偉そうに見えるらしい。250年前という時効スレスレの古さが功を奏したようだ。


贈呈式は高松市で行われ、玉木雄一郎議員が笑顔で出席。なぜか政治家がこういう場に出てくるのは世の常であり、「エレキテルといえば国民民主党」と言いたくなる日も近いかもしれない。ついでに言えば源内が生まれたさぬき市志度という土地、実はうどんだけでなく静電気でも知られるようになる未来が来るかもしれないが、そんな未来が来るより先に雷で感電しないよう願うばかりである。


それにしても、こうして古いものに箔がつくと、手元にある壊れた炊飯器とかも直しておいた方がよいのではと一瞬思ってしまうのだが、それを6年かけて直していたらその6年の方が壊れそうなので、やっぱり買い替えた方がよい。



贋作騒動

2025-03-25 15:19:00 | 日記

徳島県立近代美術館が25日、フランスの画家ジャン・メッツァンジェ作として所蔵していた絵画「自転車乗り」が実は贋作であったと発表し、静かな騒動となっている。問題の絵は1998年に6720万円で購入されたもので、美術館側は当時「傑出したキュビスム作品の一つ」として胸を張って展示していた。

だが今回、ベルリン州警察からの情報提供、著作権管理団体の判断、さらに贋作師ベルトラッキ本人の供述によって、絵画が彼の手による贋作であることが明らかになったという。ヴォルフガング・ベルトラッキは、20世紀のヨーロッパ美術界を震撼させたドイツ人贋作師で、ピカソやマックス・エルンストなどの名画を模写し、その贋作を市場に流通させたことでも知られる。とはいえ、専門家の目をも欺くほどの技術を持ち、ひと目見ただけでは判断できないほど精巧な仕上がりであることから、今回の件も美術館にとっては「やられた」というしかない事案だったようだ。

しかもこの話、当時の購入額が6720万円だったという点で、多くの人々の関心を集めているが、むしろ「贋作に6720万円を払うことができた」という点で、ある種の気前の良さが感じられないこともない。今後は弁護士と相談のうえで購入先との交渉を進めつつ、県民に向けた「説明」を目的に、この贋作を展示することも検討しているという。つまり本物ではないが、逆にベルトラッキの作品として展示すれば一種の話題性にはなる。まさか美術館が贋作の展覧会を開催するとは思わなかったが、時代が進めば「贋作師列伝展」などが市民講座になる日もそう遠くはないのかもしれない。それはそれで、オリジナルより集客力があるような気がしてならない。

そしていつか、県立博物館で「徳島名物・偽お土産大集合展」が開催され、鳴門金時が実は千葉産だったという展示に人だかりができる未来も、決してありえない話ではないのである。


桜が咲きます

2025-03-25 15:16:00 | 日記

福岡市で桜が開花したそうである。しかもソメイヨシノである。これがサトザクラとかカワヅザクラだったら見向きもしないのに、ソメイヨシノというだけで天気予報にまで影響を及ぼすというのは、もはや花というより呪術の一種である。福岡管区気象台の職員が午前9時半頃に、敷地内の標本木で8輪の花が咲いているのを確認したらしいが、これがもし7輪だったらどうなっていたのか。そもそも8輪というのも妙な話で、誰が最初にこの基準を決めたのか気になって調べようと思ったが、途中で飽きてやめた。昨年より2日早く、平年より3日遅いとのことだが、そんな微妙なズレを我々の生活に照らし合わせて何かの指標にしようとした瞬間に、人生はややこしくなる。中央区の舞鶴公園では「福岡城さくらまつり」が予定されているらしいが、桜の咲き具合よりも駐車場の空き具合の方が気になる人も多いのではないかと思う。いずれにせよ花は咲くし、やがて散るというのは、全てのイベントを前提から無に帰すには十分な理屈である。

ところで筆者は「標本木」という言葉の響きが好きだ。なぜか「標本木」と聞くと、架空の村の校庭にある巨大なスピーカーの下で、風に揺れている大きな樹が思い浮かぶ。全校集会のときに妙に音割れしている放送が流れ、誰かがそのスピーカーに石を投げて怒られる、そんな記憶である。桜の開花とはまったく関係ないが、石を投げた方はたいてい3年4組である。



ボランティアが歩道を補修

2025-03-13 17:47:00 | 日記

八戸市の中心街で、市民ボランティアが歩道の補修に汗を流した。「まちぐみ」という地元のまちおこし団体が発足10周年を記念し、「だったら自分たちで直してしまおう!」という気合のもと企画。これに呼応した13人の市民が集まり、傷んだタイルの穴をアスファルト舗装の補修材で埋める作業に取り組んだ。


この歩道、長年の風雪にさらされ、あちこちにタイルの剥がれや穴が目立っていた。「つまずいたら一大事!」ということで、地元の有志が率先して補修に乗り出したわけだ。作業は丁寧そのもの。「八戸の街を自慢できる場所にしたい」という思いで、10カ所の歩道を修復した。


さて、この取り組みが今後も続くのかどうかは不明だが、もしこれが恒例行事になったら「八戸式DIYインフラ整備」として全国に広がるかもしれない。とはいえ、歩道の修繕を市民のボランティア頼みにするのもどうかと思うので、行政の出番も期待したいところだ。とはいえ、もし道を直すついでに新しい観光名所のデザインでも生み出せたら、補修作業がいつの間にか「アートプロジェクト」に変わる日も来るかもしれない。次はぜひ、「補修材でモザイクアートでも作ってみる」という方向でどうだろうか?



手を洗いましょう

2025-03-13 17:39:00 | 日記

福岡市でノロウイルスの集団感染が相次いでいる。13日には東区の3つの保育施設と博多区の高齢者施設で、新たに感染が確認された。保育施設では園児44人と職員2人が嘔吐や下痢の症状を訴え、複数の園児からノロウイルスが検出された。幸い重症者はおらず、全員が快方に向かっているという。


一方、高齢者施設では80代から90代の女性5人と職員5人が同様の症状を訴え、このうち女性2人からウイルスが検出された。90代の女性1人が入院しているが、容態については詳しく報じられていない。


保健所は「手洗いの徹底」を呼びかけているが、これはもう、人類が何百年も言われ続けていることだ。それでもなお、ノロウイルスはしぶとく感染を広げている。もはやこれはノロウイルス側に何か特別な戦略があると考えたほうがいいのではないか?例えば、ウイルスが密かに「手を洗わないように誘導するフェロモン」を出しているとか、スマホ画面の汚れに擬態して人間の油断を誘っているとか。


しかし、結局のところ、手を洗うかどうかは人間の意思にかかっている。ここで我々は問うべきだ。「本当に手を洗うべきなのか?」と。手を洗いすぎると、むしろ適度な菌との共存能力が失われ、結果的に免疫力が低下する可能性もあるのでは?いや、それはさすがに詭弁か。しかし、ノロウイルスがこれほど猛威を振るう中で、いまだに「手洗いの徹底」以上の革新的な対策が生まれないこと自体、何かの陰謀を感じる。もしかすると、ノロウイルスは地球の環境浄化システムの一部で、人間の過剰な衛生意識を試すために存在しているのかもしれない。


いずれにせよ、今日も我々は手を洗う。そしてその行為が、本当にノロウイルスを撃退する唯一の手段なのか、深く考えることなく、ただ習慣として繰り返すのである。