楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

貨幣社会における貧富の差 Ⅶ

2016-04-06 03:47:06 | Weblog
  拙い私の思考の中から導き出した一つの方策、貨幣の交換機能を重視した社会が貧富の差のない人間社会の在り方だと感じています。その方法というのは前に書いた。
 2010年5月に書いた文章でだいぶ古くなってしまいましたが、前提としては生産者であり消費者であるABCDE、5人が仮にいるとします。彼らが貨幣を通して日々の生活をすることになり、最初にAが1枚の紙幣を手にするところから始まります。そしてここでは商品を作るという行為は労働をするという行為に他なりません。

『AEの関係』を参照2010-05-28 13:59:57 | Weblog 


 Aが自己の労働を1枚の貨幣(カネ)に換え、Bが作り出した商品と交換します。そこにはAが持っていたカネがBに渡ります。BはそのカネでCの持っている商品と交換します(つまりCの商品を買うという行為です)Aの所有していたカネがBを通してCに渡ったわけです。CはDの持っている商品を買います。DはEの持っている商品を買います。そしてEはAが持っている商品を買います。  つまりここでは簡単な例ですが最初にAが持っていた1枚のカネがB、C、D、Eを通してAに戻ってきて一巡したわけです。そしてお互いに作り出した商品が売れたということになります。

 さらにまたAがBの商品を買い、その関係がEまで続きAの元へ戻ってきたとします。そこにはAからEまで2回商品を製造しなくてはなりません。たった1枚の貨幣が2回の商品製造をさせたことになります。この関係がさらにAからEを通してAまで戻ってきたとき1枚の金が3回の商品を各自に作り出させたわけです。 

 このことが貨幣と労働との関係だと捉えています。ただし、そこには現実の経済社会では簡単なA・Eの関係ではなく複雑な貨幣と労働との関係が行われているということです。つまり1000万の購買があれば1000万通りの貨幣と労働との交換があるということです(そのことが今まで経済をわかりにくくしてきた原因です)働くことのない子供は物を買うために親から小遣いを貰うとか、老人では現在の社会では年金というかたちで貨幣を手に入れ貨幣と他者の労働で作られた商品と交換し手に入れます。


上記書いた文章をあえて手を入れずそのまま載せました。人の社会の始まりは貨幣を通した交換ではなく物と物との交換、物々交換でした。ただし物と物との交換では欲望の二重の一致という壁に阻まれてしまいます、それらを解消させる方策として前々からあった物々交換を進化させた特定の物を交換の対象としたのが貨幣の祖先と言える物を仲介させた交換です。それが貨幣の始まりとなります。物々交換ではAの欲しがっている物をBが持っていたとしてもBの欲しがっている物をAが持っていなければ一致しないわけですから交換は成り立たないわけです。ここで私が以前書いた文を再度転載致します。


                 欲求の二重の一致
 2009-01-06 14:59:19 | Weblog
 昨日の文章で欲求の二重の一致と言う言葉を何度か使ったが、文末に注釈を入れるつもりで用語を調べたが、無いかもしくは説明不足であったため私なりの説明をしてみたい。

 欲求の二重の一致とは、貨幣において商品と交換(購入)する場合と、物々交換時において交換する場合との比較である。

 貨幣において商品を購入するときは、その商品を買いたい者がなんの躊躇い、または問題も無く商品を持っているものに貨幣を渡し、商品を持ち帰ることができる。だが物々交換においては交換する相手が自分が持っている物を欲しがっているかどうか、他の物との交換を望んでいれば交換するのは至難の業になる。

 例を挙げてみよう。
  仮にAさんが鶏肉を持っておりBさんがリンゴを持っていたとしよう。Bさんは鶏肉が欲しいがAさんは魚が欲しい。この状態では欲求が二重の一致に到達できないことになる。ここに物々交換の市場が大きくなればBさんのリンゴと交換してくれるという、探した結果のZさんが鶏肉を持っていたので交換ができた。何とか二人の欲求の一致が充足され両者が満足したことになる。ただここには大きな市場と探し回る時間が必要になるが。

 では貨幣を仲介とする交換(販売・購入)の場合はどうであろうか。Bさんが鶏肉を欲しかった場合、Aさんのところに行きお金を出し鶏肉を購入する。Aさんはそのお金を持って魚を買いに行く。やがてBさんのリンゴも他の人が買いに来るはずである。貨幣を介した交換は即「欲求の二重の一致」が叶うことになる。
        貨幣を介した交換は爆発的な分業を作り出すことになります。


貨幣社会における貧富の差 Ⅵ

2016-04-04 05:29:33 | Weblog
 
 現在「新年度4月1日」の状況では」経済を立ち上がらせようとした政策が逆の現象となっている。これ以上マイナス金利が積みあがれば人々の不安を増幅させるだけでしかないように思えるが。
そこでこのような状態から脱却する方法はないものだろうかと多くの経済学者は考えていることだと思う。考えなかったらおかしいと言える。

 最近の科学は宇宙の謎に迫ろうとし高額な研究費を使い小さな質量を持つ物質を追っている。その一方で人工頭脳が人間の領域に迫っている。このように最新の科学は目覚ましいスピードで未来に向かっている中で、地球上の万人が影響を受ける、最も身近な経済学では何らかの研究が進んでいるのだろうか。
今こそ本来考えなくてはならない経済としての国債発行のルーズさをこの先どうなって行くのかを考えるべきではないだろうか。なぜ国債をここまで発行し積み上げてしまったのか。

 その結果これ以上発行しても経済は好転しないというところまで追い込まれてしまった。そこで打たれた手は市中にお金は有り余っている、当然個人がその金を持っているはずだと考え、それを使わせればよいという、この社会を守ることを優先し最も簡単な発想に行きついてしまった。しかしそのことは根本的な解決策という理論もないまま突き進んでしまった結果だと言える。これが現在金融政策を任されている高給取りの方々の発想といえるのか。何も知らない無名の私ごときものに言われても腹も立たないのか。

 政策者はとくで考えてほしい先の文で私が引用した。

世界人口の1%にあたる富裕層が持つ富は、2016年には残りの人口の99%が持つ富の合計を上回り、世界全体の富の半分を上回るとする報告を19日、国際NGOオックスファム(Oxfam)が発表した。

本来は富裕層からとらなくてはならないのではないか。どこか間違っている。

 しかし経済がうまくいかなくなれば宇宙を知ること・海底を知ること・人間の脳(人工知能)を知ること全てがダメになってしまう。本来は全てに優先して経済を研究しなくてはならないはずだ。地球上のすべての人間の生活そして未来がかかっているからだ。それを一時のごまかし金融政策でいいものだろうか。

 ではなぜ貨幣、つまりお金の蓄蔵が今の経済をここまで追い込んでしまったのかということになる。方や輸出で稼いでいる自動車関係、他の企業に働いている従業員または公務員の人達は現在の日本の状況に満足しているのか、しかしそのような方々も日銀が採った金融政策としてのマイナス金利政策にはこの先の不安を抱いているのではないだろうか。ベースアップを勝ち取り、ボーナスとして手に入る金額もアップし、そしてマイナス金利政策、その本来としての意図は貯蓄に回してもお金は増えないですよ、安心してお金を消費に回してくださいという金融政策者の心根があるはずであったことだろう。

 最近の私の文章、自分で読み返しても点数を付けられるところまで来ていないと自分なりに判断している。来年は80歳という年齢がそうさせるのか、書くことがつらくなってきている。この先書くことの『種明かし』を先にすれば『貨幣の蓄蔵機能が悪であり』交換機能を重視した金融政策をとることが貧富の差を無くし住よい人間社会になる。そのように信念はもっているのだが、どのように書けばいいのか情けない話だが迷っている。

貨幣社会における貧富の差 Ⅴ

2016-04-02 04:31:21 | Weblog
 

 最近の金融政策を見てみるとマイナス金利という前例のないことが行われた、このような政策がなぜ出てきてしまったのかは別の問題として。現在取りざたされているのは結果論として、経済が好転しなければまず銀行が一番追い込まれた状態になるという。そこから銀行自身が銀行を守るという形で上部(中央銀行)に払う分を預金者から手数料という形で預金をマイナスにもっていく。やがて各預金者は金融機関に預けた預金が目減りしていくのでは堪らないということからタンス預金という形で預金を下ろしていく。このような状態になってしまったら金融機関がやっていけるのかということになっている。

 また違う見方としては、預金をしたお金がマイナスになる前に、物を買っていこうという心理状態をうまく利用すれば、人々はお金が減る前に物に変えようということから消費に回していくかもしれない。そのとき商品が売れ、それが持続すれば経済が好転して、やがてマイナス金利政策として行き過ぎとならないうちに、つまりインフレ状態になる前にマイナス金利を解除し徐々に金利を戻していく、そういう状態になれば設備投資が動き出し金融機関が貸し出しを増やし経済が好転していく、今の日銀はこのようなストーリーを描いているのか。

 この二種類のうちのどちらかだろう、後者はバブルを創り出しインフレにもっていく筋といえる、その結果バブル後の経済不況、日本はかつて苦い経験をした。一時的に経済が回復し国民が喜んでいるうちにその付けを国民に負わされてしまう。このような政策を繰り返していいのだろうか、金融政策としてどこかが間違っているという感覚を人々は持っているはずだが。そこには不信感が心の隅にあり、やがてその不信感は拡大していく。

 これまでの状態、景気が落ち込んできたと判断された時頼れるのは国債そのものであった、結果日本の国の借金は国債地方債等合わせて誰でもが知っている金額として1,037兆円あり、一人当たり800万円になると言われている。このようになるまで放任してきた責任者はだれなのか、経済学者なのか。それとも学者が唱えたとしても自己の貨幣の蓄蔵の妨害になることには耳を貸さなかった一部の富者なのか。何せ一部の富者の1パーセントが世界の大半の富を握っていると言われている。私が書くよりも正確な資料を引用してみよう。


     世界の富の半分以上、占めるのは1%の富裕層
        2015年01月19日 17:13 AFP BB NEWS 発信地:パリ/フランス

【1月19日 AFP】世界人口の1%にあたる富裕層が持つ富は、2016年には残りの人口の99%が持つ富の合計を上回り、世界全体の富の半分を上回るとする報告を19日、国際NGOオックスファム(Oxfam)が発表した。
 世界の政財界の有力者が一堂に会する世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)が21日から開幕するのを前に、共同議長を務めるオックスファムのウィニー・ビヤニマ(Winnie Byanyima)氏は「世界的な不均衡の規模は極めて衝撃的としか言えず、世界的議題として持ち上がっているにもかかわらず、富裕層とそれ以外の格差は急速に広がっている」と語った。ビヤニマ氏は、世界の指導者たちに「もっと公平でもっと繁栄した世界への妨げになっている既得権益に挑戦する」ことを呼び掛けている。
 世界人口の1%にあたる富裕層が持つ富は、09年には世界全体の富の44%だったが、14年には48%となり、16年には50%を超えるようになると、オックスファムは報告している。金額換算した富裕層の成人1人当たりの平均資産は270万ドル(約3億1600万円)だという。
 また14年時点で世界の富全体のうち、富裕層が持つ48%を除いた52%の中で、46%までを占めているのは、富裕層以外の人口の中でも比較的裕福な5分の1だという。つまり残り5.5%の富を、富裕層でも比較的裕福な層でもないそれ以外の5分の4で分かち合っており、この層の資産は金額換算で成人1人当たり平均3851ドル(約45万円)でしかない。

貨幣社会における貧富の差 Ⅳ

2016-03-28 04:44:38 | Weblog
 前回からの続き
 人はすべて同じ立ち位置であるはずだ。それが貨幣の蓄蔵量から上下関係つまり貧と富という関係が当たり前の社会でもあるかのような刷り込みを行われているのが現在の社会だと言える。

 私は現在の社会が間違っていると思うし、過去の、例えば一万数千年間続いた日本の縄文時代の人々の生き方、精神性が本来の人間の姿であり生き方ではなかったのかと考えている。ただその時代の生き方を現在の社会にもって来ることだということではない。あくまでも生き方の本質であり、方向性だということ。
そこで問題としているのは貨幣が幅を利かせている社会に対し貨幣の蓄蔵こそが問題なのであり。それを是正すれば人々の生き方を変えることができるということを私なりに考えていることになるのだが。

 貨幣が安定して発行できるようになると、商売だけでなく賃金の支払いも現物ではなく硬貨が使われるようになります。ローマ帝国やアケメネス朝ペルシアなど、古代の大帝国でもこの方法が採られていました。交易都市では両替商や銀行も現れ、紀元前のうちにこういった金融業が生まれています。 歴史の授業でおなじみの所から引用

 余談になるが
 例えば自爆テロという行為、その下となっているものは貧困からきていると考えている。社会に対し不満を持っている何も知らない若者達を宗教を通じて救えるという考え、それを創り出したところから始まっている。日本人はそれをよく知っているはずだ、戦時中特攻隊という国のために自己の身を犠牲にするという宗教観が創り出され、多くの若者が死後靖国神社に祀られるという希望だけを心に描き、自爆テロと同じ行為に駆り出された。
それは日本を貧から救えるという考えがもとになっていると言える。アメリカという大国それは富者であり、日本という限られた資源しか持たない小国それは貧であり、そこには国と国の貧富の差が原因となっている。今、世界を観たとき工業的に発達した先進国と資源だけが頼りとなっている後進国、それがアラブ諸国だといえる。そこに宗教的に一つとなった人間社会を創ろうという呼びかけに貧しい若者たちがそれに引かれていく。

貨幣社会における貧富の差 Ⅲ

2016-03-27 05:37:51 | Weblog
          

 私が貨幣を書くにあたって最も知りたいことは、人は何時の時代からお金を貯める(蓄蔵)ことに興味を持ったかということになる。貨幣には改めて言うまでもなく交換機能・保存機能(蓄蔵機能ともいう)がある。そしてもう一つ比較機能ということになるが。書いていくに当たっては最も重要と私自身考えているのが保存機能つまり蓄蔵機能だと言える。歴史を遡った遠い過去の時代、人は物々交換からその中で優れた交換機能を持つことができる希少性と保存性を持つことができる物質を手にすることができた。

 その中で一番ポピュラーな物は何といってもタカラガイではなかったか、この日本列島における縄文時代には遺跡からは装身具用と思われる加工したタカラガイが発掘されている(西広貝塚) だが貨幣(交換材)として使われた痕跡はない。
タカラガイを貨幣代わりに使ったので最も知られているのが最古の貝貨としての中国殷王朝時代のもので保存に適したことと交換価値があったことと言われている。

 キイロダカラなどの貝殻は、アフリカ諸国では何世紀にも渡って貨幣(貝貨)として用いられてきた。特に西欧諸国による奴隷貿易に伴い、モルディブ諸島近海で採集された大量のタカラガイがアフリカに持ち込まれた[2]。現在のガーナの通貨であるセディ(cedi)は、現地の言葉(Akan)でタカラガイ(の貝殻)を意味する。最古の貝貨は中国殷王朝時代のもので、タカラガイの貝殻やそれを模したものが貨幣として使われていた[3]。国内の通貨としてのみならず、タカラガイはインドとの交易にも利用された。漢字の「貝」はタカラガイに由来する象形文字であり、…ウィキぺディアより引用 他に中国の貨幣制度史参照



 貨幣の歴史を調べてみると最初の貨幣となった物はタカラガイだということがすぐ分かる。ただどのように使われたのか詳細は分からない。私が知りたいのはその当時の人々の間で通貨(物と物との交換材)として使われたのかということであると同時に自己の懐にしまい込む蓄蔵という行為が人の間に芽生えたことかだ。

 例として現在の貨幣社会といえるもの、人は金の亡者の様相を呈し貨幣を増やすことに専念している。例えばコンピュターを使い他の投資家より0.00?秒の差で相手を読み取り売りもしくは買いを入れ逆にそのわずかな差で自己が先に買ったものを相手に掴ませ失敗のない形で利益を上げていく。

 私から言えば今までの経済学者といえる人は、人が貨幣を蓄蔵していくことを善として捉えその上で経済学を組み立ててきた。今まで貨幣の蓄蔵を悪という経済学は組み立てられてこなかったと言えるのではないか。過去の歴史を遡ってでも言えることだ。

貨幣社会における貧富の差 Ⅱ

2016-03-22 06:32:30 | Weblog
 現在の状況を見てみると世界経済自体がデフレスパイラルに陥っていく過渡期であるような気がしないでもない、その状況を作り出してしまった原因は何なのか、根本となる問題があるはずである。それははるか歴史をさかのぼった時点に問題があったのではないかと思われる。

 現在流に一つ言えることは国の政策として経済が停滞していくと一つ覚え的に国債を発行して市中に金をばら撒いていく。だが銀行はその金を借りる人は逆に不良債権にならない人だと判断された人(企業)に限られていく。そのような中で国債だけが積みあがっていく。そして政策に携わっている人は他に方法があるのか、あれば教えてくれ。と開き直るのが今の政策ではないだろうか。
景気を盛り上げて税収を上げれば財政赤字を改善できる。しかし税収に頼れば可処分所得なるものが減少し税収で取った分消費が減少してしまう。

 1として思うには世間に物が行渡っているのになおも製造をしていること、供給が需要を上回っている。

 2としては人々の心の中にできれば余分な物を買わなくても良いという心理が働いている。

 3として省力化という方向に技術革新が進み雇用が閉ざされている。少しでも生き残るためにはコストを下げていかなければならない。人材が不足していると言われる反面企業は少しの労働力で乗り切ろうとするために過重労働を強いることになる。

 4月を迎える今、売り手市場という労働環境の中、夢を持った会社に入社しながら、現実という壁を先輩社員の中に見ることになる。
資本主義社会という中での各自の労働は人間とは何かという中での回答ではないだろうと気が付く人もいれば気が付かない人もいることは確かだと言える。
ただせんじ詰めればお金のために働くということになる。

 人間の歴史を遡ったとき現在のようなお金のために働くという行為があったのだろうか。人間の歴史の中では働いた分(労働を売った分)お金を貰ったということではなく土地を分け与えられそこで耕作をし、年貢という形で徴収された。
いつ頃から給与という形で生活するためのお金を渡されるようになったのか。

貨幣社会における貧富の差

2016-03-14 07:23:04 | Weblog

 このような題名を付けたとしても、この題名の説明をすることもなく今の社会を見渡せばあまりにも分かり切ったことだと言える。国名をあげることなく世界中が貨幣経済の下貧富の差が蔓延している。なぜこのような富める者と貧しき者が拡大してしまったのか、またその一方で世界中の政府が経済の停滞の中、どのようにデフレを食い止めるかに頭を悩ませている。このままでいけばデフレスパイラルに陥り製品を作っても売れず企業倒産から多くの失業者を出してしまう。それはこの先より多くの貧富の差を作り出してしまう。どこで歯車が狂いだしてしまったのか。

 貧乏人にとってデフレは物価が下がることで歓迎すべきだが、力(資本)のない中小産業者にとっては商品が売れないことと、競争の中値下げをしなければならず倒産一歩手前まで追い詰められ、やがて倒産ということになる。結果巷に失業者が溢れることになるのであるが、溢れるのは低賃金の非正規社員ということになっている。低賃金イコール買いたくても金がなく日々ぎりぎりの生活を余儀なくされている。

 このような状態で経済が好転するわけがない。だが最近数か国の政府が取る方法としてマイナス金利なる金融政策にこの日本も方向を転換した。預金は無いが家のローンを支払っている層にとってはありがたい政策かもしれないが、これでデフレが止まるわけではなく会社が立ちいかなくなれば倒産となり失業という憂き目を味わうことになる。

 最近大手家電会社がリストラを発表した(大手企業のリストラ参照)当然大手に就職しているからということでその信用で金融機関から家のローンを借りている社員もあることを考えるとマイナス金利という海外をまねた(EUは0・4パーセントに上げた)政策から住宅ローンの拡大を通して経済をバブル時代にもっていくという政策でこの日本を救えるのか。

貧富の差の起源 Ⅳ 書き足りなかった部分

2016-03-09 14:42:33 | Weblog
 なぜこのような人によっては原始社会といえる縄文時代を取り上げたのかというと、1万年前後継続した社会にかかわらず貧富の差のない社会(住居址もほぼ同じ大きさ)
 ある意味考えてみれば人間の本質的な性質が平等(貧富の差のない)な社会生活を望んでいるのではないかということを訴えたかった。
 
 いくばくかの副葬品があったとしてもそこに階級社会という段階で考えるのはおかしいと思われる。それは家族関係の頂点としての長老に対する敬意であり、階層社会といえるものだと考えられる。

 海を間にして大陸から隔絶された社会、そこをより深く探っていけば貴重な問題提起、未来社会はこう生きるべきだという回答が出てくると思われる。

 これから貨幣を書いていくが今の時代日々食う事に事欠いている人々がいる半面、貨幣をゲーム感覚で操り資産に、より多くのゼロが並ぶこと(共和党候補のトランプ氏)に快楽といえるものを感じている人もいる。
 

貧富の差の起源 Ⅳ

2016-03-09 06:52:07 | Weblog

 前の文章からの続き
なぜこのようなことを書くのかと言うと、今まで言われているのは余剰生産物があって、そこから自然発生的に上に立つ者と、生産に従事する者が分かれてきた。そのことが階級社会に移行していった。つまり上に立つ者が現在流に言えば資本家ということになり。生産に従事する者が現在流にいうところの労働者ということになる。

しかし日本列島に生活していた縄文人。彼らが生活していたことが理解できる縄文遺跡といわれる場所には、いたるところ食物を保存していた大きな貯蔵穴がある。そこから余剰生産物がこの日本列島に豊富にあったと考えられる。しかし貧富の差といえる階級は発生していない。

 そこで考えられることは家族関係の延長線上でその社会がピラミット形式の社会構造を作っていたと言える。平たく言えば最初一組の夫婦がいて、やがて子供ができその子が成長して孫ができる。そこに最初の夫婦の子供たちを入れた、その子供たちの子供、つまり孫たちを入れた何家族かの人々が今では老人になってしまったが最初の夫婦の父親をその家の家長としてその集落を構成していく。

 現在の家においても核家族化が進まなければ子供たち、孫たちがおじいさんといえる老人を長として一家を構成していく。その姿は数十年前には当たり前のことだった。経済優先社会が誰でも長期ローンを組めば家を持てるということから核家族化が進んでしまったが、かつての社会では長となるものを頂点として家族関係を構成していた。当然そのような構造の下では。上に立つものが私利私欲で家族を纏めるということは考えられない。それが大きな集落になったとしても家族関係の延長線であり個人の私利私欲でトップに立とうなどと考える者はいなかったと言える。逆に呪術者なり一部の者が装飾品を持っていたということは限られた生産物であったとしても交易があったということになる。しかしその交易が階級社会(他の者の労働の生産物を私的に利用する層)のために行われていたということはあり得ない。

 このように考えていくと狩猟採集社会では家族関係の延長線上の社会があり、そこには他の者の労働を私的に所有することはなかったと言えるのではないか。この日本列島においては余剰生産物を私利私欲のために動かし、富を個人的な物として私有していった痕跡は認められない。今まで読んできた中では階層と階級が理解されていないのではないかと思われる。

そこから階級発生はこの日本列島の縄文社会からではなく、海を隔てた大陸において発生したと言える。そこから最初一人のもしくは少数の人間が何らかの口実を付け他人の労働を私有していった。それが貨幣以前の貧富の差を作り出した源だと言える。

 階級と階層は違うということ。例えてみれば部長がいて課長がいて係長がいてヒラがいる。それなりに上下関係が成立している。それは階層といえる。階級とは部長の上にいる社長他株主ということになる。資本を投じたとしても部長の上に存在している社長なり資本家のために利益を得るという目的を持って会社を動かしている。部長といえども社長や株主に使われている身であり、やがては定年を迎えてその地位を去らなくてはならない。つまり現在の社会(資本主義社会)は階級社会ということになる。

 それが過去の人間社会でほんの少数の者が他人の労働で得たものを私的に利用したという小さな出来事から始まりその社会を継続するがため、臭いものには蓋をしてきたのが現在の階級社会ではなかったか。やがては主権在民、民主主義がそれらを壊していく。

 次回は貨幣社会の貧富の成り立ちを書いていきます。

貧富の差の起源 Ⅲ

2016-03-07 11:09:14 | Weblog
 日本の縄文時代には貧富の差が無かったということが言われている。その中でカギとなるのが労働によって得た収穫物の余剰生産ということが大きなポイントになるという。

 余剰生産物ができるとそれ等生産されたものを交易を通して一部の者が交易で得た品物を私物化していった。やがてそこから上に立つものが欲にかられ多くの私有物を作り出し、同時に権力を生み出していったと考えられる。それを端緒として貧富の差が発生する土壌ができたと言っても過言ではない。その時代は狩猟採集で生活の糧を得てきた時代から大きな飛躍としての農耕を取入れだし、今まで自然に頼っていた食生活を人為的な生産物としてより多くの余剰を作り出し、その生産物を交易を経てその社会が豊かになると同時に生産物を利用した上下の関係がやがて出来上がっていった。
ここに書いたものは日本列島以外の大陸での出来事と考えても良いだろう。

 そこで縄文時代に余剰生産物は発生していたかどうかということになる。縄文時代は一般に狩猟採集社会と言われ余剰生産物は発生していないと言われている。それは階級のない社会であり貧富の差の無い社会であった。

 そこで私が言いたいのは貧富の差、もしくは階級発生は余剰生産物の多寡からではなく人間の欲望がふとしたきっかけから生まれやがて拡大していった。その元凶となったのが農耕生産による土地の必要性から今まで互いに守っていた縄張りを破壊し、やがて土地争いへと拡大していった。   

 長く続いた縄文時代において観てみると余剰生産物という観点から階級発生・貧富の差を考えるのは無理があるかと思われる。それは縄文遺跡での貯蔵穴の大きさとなる。
各住居の小さな貯蔵穴の他に集落の中には大きな貯蔵穴も各地の遺跡で見つかっている。それ等は余剰からくる生産物を保存していたものといえる。大きさは直径45~180cm、深さ30~100cmと大きさは様々だが、1カ所の遺跡に何十基もまとまって発見されることが多い。 

 以下引用
 
   深い縄文時代の貯蔵穴b 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財
www.saimaibun.or.jp/h25/3082.htm/.../深い縄文時代の貯蔵穴b
縄文時代の遺跡で、「どんぐりの貯蔵穴」(ドングリピット)が全国のあちこちで見つかっている。縄文人の主食は植物食で、植物の採集・半栽培は重要な生業であった。クズ、ワラビ、ヤマノイモ、ヒガンバナなどの半栽培を行う一方、クリ、クルミ、トチノミ、そしてどんぐりなどの堅果類を収穫、さらに越冬に備えてそれらを貯蔵していたという痕跡が「どんぐりの貯蔵穴」というわけだ。
 縄文時代の貯蔵穴は設置場所によって、大きく2つに分けることができる。地下水の影響を受けるところや低湿地に設けられたものを「低湿地型貯蔵穴」といい、西日本を中心に分布する。また、台地や丘陵上など乾いたところに設置されたものを{乾燥地型貯蔵穴」といい、東日本を中心に分布する。