最後までファンキーな生き様だった母は
3月22日に90歳の天寿を全うし旅立ちました。
皆様に応援して頂きながらご報告が遅れました事お詫び致します。
入院した当初2日間位はわりと元気に会話も出来ましたので
母娘で色々な会話をしました。
抗生剤の投与治療をして頂いておりましたが徐々に弱って行き
一週間で力尽きました。
数年前に主治医に延命治療についての考えを文書にして伝えてありましたので
最期には苦痛緩和の治療をして下さいました。
体を動かすのも儘ならないというのに「おしっこ」と訴え、
「おばあちゃん、管が入れてあるから大丈夫よ」と言いますと
「そうか、良かったな」「シーツ汚してへんか?」「パンツ濡れてへんか?」と
腰の辺りを手で触って確かめていました。
母の中では覚悟のようなものがあったと思われます。
「アンタには、ほんまに世話になり、はばかりさん(ありがとう)やったなぁ」と。
皆様には温かい言葉や励ましを頂き本当に有難うございました。
ブログを通じて私自身がとても癒されたのを感謝致しますし
夫が細かい事を言わず母の介護にあたらせてくれた事が
何よりもありがたい事でした。
長い間の色々なお世話本当にご苦労様でした。
人は「充分お世話したのだから」って慰めてくれ
ますが後悔はどんなにしてもあります。
親を亡くしてもう20数年たつ今でもそれは消えません。私なんか親不孝だったので京さんとは事情が少し違うかもしれませんが・・・
今はまだお寂しいでしょうがいつか良い事でも何でも
ああだったね~って思い出話をして楽しく暮らすのが
一番の供養だと思います。介護させてくださったご主人への感謝の気持ちも夫へ不満ばかりの今の私としては大反省です。長くなりましたがお母様のご冥福を心よりお祈りします。
親孝行の京さんもさぞかし力を落とされたことでしょうね。
高齢になりますと何がきっかけになるか分からないので、何で、という気持ちになりますね。
昨年の夏、亡くなった母も数えで90歳でした。
亡くなる一週間前には、子供たちと孫達に囲まれてはしゃいでいただけにこの度の京さんのお気持ちも良く分かります。
しばらくは何かと大変でしょうが頑張ってくださいね。
あらためて心からのご冥福をお祈りいたします。
精一杯がんばってこられた京さん。
天寿を全うされたお母様は、大往生だったと思います。
お母様のご冥福をお祈りします。
お母様ともう会えないのはお辛いことですが...
お母様はご覧になりたかった「三月花形歌舞伎」にもいらして
最後に楽しい思い出を京さんに残してくださいましたね
いつも京さんが書かれるお母様のこと
息がぴったり合った仲良し母子ならではの阿吽の呼吸を言葉の端々から感じておりました
これからは・・
京さんご一家、秋に誕生される曾孫さんを天空から見守ってくださることでしょう
改めて、心よりお母様のご冥福をお祈り申し上げます
私も親孝行というものを見せていただき良い勉強になりました、ちょっと遅かったけど・・・
今度は京ばあちゃんにバトンタッチ!親孝行出来た分きっと京さんにも良いことが待っていますよ。
お母さまのご冥福をお祈りいたします。
最後の親孝行をなさっていたのですね。お母様もお幸せだったと思います。
京ちゃんの介護の様子を見せていただいて、反省しなくてはいけないことばかりです。
京ちゃんのように優しい娘にならなくてはと思います。
お母様のご冥福をお祈りいたします。
お母さま 旅立たれてしまって お気持ちをお察し申しあげます。
お母さまの看病、お疲れさまでした。
お母様さま、京さんに感謝されて旅だって逝かれたと思います。
親孝行の京さんは私のお手本ですね。
お力落としのことと思いますが お疲れの心身を十分にご自愛なさってください。
心からご冥福をお祈りいたします。
生まれる喜びもあれば 別れの悲しみもありますね
まずはお母様のご供養と同時に お京さんの疲れた身体と悲しみが癒されます事を願っております
お京さんもお母様もよく頑張られましたね。
私も、
>「京さんご一家、秋に誕生される曾孫さんを天空から見守ってくださることでしょう」
と思います。
最後に、心よりお母様のご冥福をお祈り致しております。合掌
お母様は90歳まで長生きなされ、娘に看病され見取られて幸せだったと思います。
大往生ですね。
看病のお疲れを早く癒されますように・・・・。