ててとの言い訳

適当な日々の言い訳をつらつらと書こうかと

訃報

2023年04月27日 | 日記

先ほど妻の叔父の訃報を受けました。享年69歳なので決して若くはないお歳ですが病が急に進みました。およそ1か月半ほど前に腰が痛いと病院にいったところ膵臓ガンの診断を受け、痛みはどんどん強くなるが鎮痛剤が利かずずっと苦しんでらしたそうです。ですが、亡くなる2時間ほど前に痛みが無くなり、本日穏やかな表情で亡くなられたと聞きました。

妻の叔父、正確には妻の母の妹の夫、という私とはそう近くない関係ですが、生前に何度かお会いしたことがあります。なぜかというと、義父、妻の父の入院、そしてお葬式でお会いしました。義父は4年程前から脳梗塞で何度も死線を彷徨いましたが、そのたびに生還されました。何度目かの発作で脳の半分が機能しなくなっても、両利きだからなのかなんとか意思疎通ができました。ですが、1年ほど前の発作の後は意識を取り戻すことなく、その半年後そのまま亡くなられました。今日は義父の5回目の月命日でもあります。

そして今日は妻の祖父が百寿を迎えた日でもあります。義祖父は多くの逸話を持つ方です。戦争中目の前で僚艦が沈められるのを見たと直接お聴きしました。戦後農業と林業をされていたのですが、ある時木が思いもよらぬ方向に倒れてきたことがあり、足がその下敷きになり義祖父は動けなくなりました。脱出を試みようとしたのですが自力では難しく、山道からも離れており誰の助けもないまま、日が暮れそうになりました。日が暮れたら助からない。そう考えた義祖父は自分の足を鉈で切って脱出し、幸いにも足は手術で繋がったのだと聞きました。尋常の方ではありません。現在義祖父は転倒して骨折し入院中ですが、多少ボケがあるものの意思疎通はほぼ問題がないそうです。

そして義祖父は自分の義理の息子たちが亡くなったことを知りません。周囲が教えていないからです。義父のこともそうですが、自分が100歳になったちょうど今日、もうひとりの義理の息子が亡くなったことも知りません。自分が百寿を迎えたのに、なぜかあまり祝ってもらえないことで少しさみし気とのことです。一番義祖父の百寿を祝おうと計画していた義叔父がそれどころではなくなったからです。

とりとめのないことを書きましたが、生きるということがどういうことなのかを先達から考えさせられます。答えはありません。

義祖父の長寿を祝い、義叔父の冥福を祈ります。


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