こんにちは。釧路芸術館学芸員の井内佳津恵です。去る10月11日(日)、「毛綱毅曠の建築脳」展が幕を閉じました。7月18日(土)に開幕し、76日間で2,841名の方にご覧いただくことができました。
振り返りますと、北海道は、いちはやく新型コロナウイルス感染拡大予防のための「緊急事態宣言」が発出され、当館も2月29日(土)から3月末まで休館。4月1日(水)から開館できたものの、4月18日(土)から感染拡大予防のため再度休館となり、あらためて開館できたのは、5月26日(火)でした。この間、都道府県を越える往来も自粛が求められており、北海道内でも、開催が中止された、会期を大幅に縮小して開催せざるを得ない展覧会が何本もあったのは、皆さんもご存じの通りです。
今回の「毛綱毅曠の建築脳」展は、釧路・道東地域に現存する毛綱建築の写真パネル等による紹介と合わせて、その建築群を支えている建築哲学や世界観に迫ろうとするものであり、その意味で、東京の多摩美術大学美術館に寄託されている毛綱毅曠のドローイングを拝借させていただくことは、不可欠でした。都道府県を越える往来の自粛が求められている間は、広報印刷物の準備等を進めておりましたが、東京との往来解禁後すぐに東京に飛び、6月22日(月)に多摩美術大学美術館に寄託されているドローイングを実際に拝見することができました。展覧会開幕の7月18日(土)まで一か月を切っていましたが、東京との往来解禁により、作品の輸送が物理的に可能になり、展覧会が実現できない恐れが払しょくされたのは、何よりもありがたいことでした。また、一日で予定の調査を終えることができたのも、淵田雄課長、関川歩学芸員をはじめ、多摩美術大学美術館の皆さんが、総出で作品を出してくださったお蔭であり、この場を借りて感謝の思いを述べさせていただきます。
「建築古事記」7件(各4点1組計28点)は、縦1,200×横820m/mのめくり(紙のままの状態という意味)のドローイングですが、当館搬入後、3m/m厚のブック型マット装をほどこして展示させていただきました。本展の最大の見どころだったといえるでしょう。1991年のロンドンでの個展で発表された作品であり、その図録〔リーフレット〕の中で、毛綱自身がこの7件は竜宮(海底)→海岸→地上→人口の大地→山→空中→宇宙という垂直的空間構造によって構想したと述べています。実際に7件の作品がどのようにあてはまるかということまでは述べていないのですが、当館では、<綿津海>→<葦原の中ツ国>→<黄泉の比良坂>→<堅根の国>→<七堂伽藍>→<天の浮橋>→<天の安河原>というように推定しましたが、異論の余地もあるかもしれません。
また本展では、新型コロナウイルス感染拡大予防対策を施しながら、学芸員によるギャラリー・ツアーを9回実施したほか、地域の他の施設やアーティストの皆さんと連携した事業も実現することができました。
9月4日(金)、釧路工業高等専門学校との連携授業として、同校で建築を学ぶ3年生がバスで来館。9時から11時半まで、「毛綱毅曠の建築脳」展鑑賞はもちろん、象設計集団の設計である当館の建築も、外から中まで、バックヤードも含めてじっくりと見学いただきました。




釧路市立美術館と連携して開催した「建築で<めぐる>×<つくる>くしろの街」では、「折り紙建築」に取り組む釧路の一級建築士・シモモトヒデノリさんに活躍いただきました。「釧路市立博物館」「釧路市湿原展望台」「反住器」「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」の折り紙建築台紙を制作いただき、両館で限定1,000名に配布。自分の指先から、あの毛綱建築が立ち上がる!という感動を皆さんに共有していただきました。

10月3日(土)には、東京のBゼミで関根伸夫に学び、毛綱毅曠と親しく交友していた関根を通じて毛綱毅曠の世界観にふれていたという嶋崎誠さん(ガラス彫刻家)、そして釧路湖陵高校で同級生だった羽生輝さん(日本画家)にお話を伺うことができました。建築古事記の<葦原の中ツ国><七堂伽藍>について、羽生さんは「崖のかたちや山のかたちを見ていると、釧路の実際の地形や自然環境が反映されているように感じられる。飛翔している乗物のような構築物も、丹頂鶴や、鷗をほうふつとさせる」という貴重なお話をくださいました。「建築古事記」という壮大な神話的イメージの背後に、毛綱が精神形成期を過ごした釧路という土地の力が確かにかかわっている、というお話はたいへん説得力のあるものでした。
また、10月4日(日)には、「トーク&ウォーク」を開催。毛綱毅曠の親友であり二人三脚のようにして毛綱毅曠の建築作品を撮影された写真家の藤塚光政さんと、毛綱と同世代の建築家で、札幌を拠点に、釧路市の隣町・厚岸町の道の駅「コンキリエ」も手掛けられている圓山彬雄さんをお招きして、本展会場で毛綱建築について語っていただきました。

参加者はその後、徒歩で釧路フィッシャーマンズワーフMOOならびに釧路川対岸の釧路センチュリーキャッスルホテルを見学。釧路市内の方も少なくなかったのですが、普段なかなか足を踏み入れないエリアにも入らせていただくことができ、毛綱建築の魅力を改めて実感されたようでした。


釧路市内や道東地域には今も地域の人々に愛され、大切にされている毛綱建築がいくつも現存しています。これからも、機会をとらえて、毛綱建築の魅力にふれていただく事業に取り組んでいきたいと考えております。
最後になりましたが、毛綱毅曠建築事務所代表取締役毛綱千恵子様、毛綱康三様をはじめ、本展実現のために惜しみないご協力、ご支援をいただきました皆様に、厚くお礼申し上げます。
(井内佳津恵 北海道立釧路芸術館 学芸主幹)
振り返りますと、北海道は、いちはやく新型コロナウイルス感染拡大予防のための「緊急事態宣言」が発出され、当館も2月29日(土)から3月末まで休館。4月1日(水)から開館できたものの、4月18日(土)から感染拡大予防のため再度休館となり、あらためて開館できたのは、5月26日(火)でした。この間、都道府県を越える往来も自粛が求められており、北海道内でも、開催が中止された、会期を大幅に縮小して開催せざるを得ない展覧会が何本もあったのは、皆さんもご存じの通りです。
今回の「毛綱毅曠の建築脳」展は、釧路・道東地域に現存する毛綱建築の写真パネル等による紹介と合わせて、その建築群を支えている建築哲学や世界観に迫ろうとするものであり、その意味で、東京の多摩美術大学美術館に寄託されている毛綱毅曠のドローイングを拝借させていただくことは、不可欠でした。都道府県を越える往来の自粛が求められている間は、広報印刷物の準備等を進めておりましたが、東京との往来解禁後すぐに東京に飛び、6月22日(月)に多摩美術大学美術館に寄託されているドローイングを実際に拝見することができました。展覧会開幕の7月18日(土)まで一か月を切っていましたが、東京との往来解禁により、作品の輸送が物理的に可能になり、展覧会が実現できない恐れが払しょくされたのは、何よりもありがたいことでした。また、一日で予定の調査を終えることができたのも、淵田雄課長、関川歩学芸員をはじめ、多摩美術大学美術館の皆さんが、総出で作品を出してくださったお蔭であり、この場を借りて感謝の思いを述べさせていただきます。
「建築古事記」7件(各4点1組計28点)は、縦1,200×横820m/mのめくり(紙のままの状態という意味)のドローイングですが、当館搬入後、3m/m厚のブック型マット装をほどこして展示させていただきました。本展の最大の見どころだったといえるでしょう。1991年のロンドンでの個展で発表された作品であり、その図録〔リーフレット〕の中で、毛綱自身がこの7件は竜宮(海底)→海岸→地上→人口の大地→山→空中→宇宙という垂直的空間構造によって構想したと述べています。実際に7件の作品がどのようにあてはまるかということまでは述べていないのですが、当館では、<綿津海>→<葦原の中ツ国>→<黄泉の比良坂>→<堅根の国>→<七堂伽藍>→<天の浮橋>→<天の安河原>というように推定しましたが、異論の余地もあるかもしれません。
また本展では、新型コロナウイルス感染拡大予防対策を施しながら、学芸員によるギャラリー・ツアーを9回実施したほか、地域の他の施設やアーティストの皆さんと連携した事業も実現することができました。
9月4日(金)、釧路工業高等専門学校との連携授業として、同校で建築を学ぶ3年生がバスで来館。9時から11時半まで、「毛綱毅曠の建築脳」展鑑賞はもちろん、象設計集団の設計である当館の建築も、外から中まで、バックヤードも含めてじっくりと見学いただきました。




釧路市立美術館と連携して開催した「建築で<めぐる>×<つくる>くしろの街」では、「折り紙建築」に取り組む釧路の一級建築士・シモモトヒデノリさんに活躍いただきました。「釧路市立博物館」「釧路市湿原展望台」「反住器」「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」の折り紙建築台紙を制作いただき、両館で限定1,000名に配布。自分の指先から、あの毛綱建築が立ち上がる!という感動を皆さんに共有していただきました。




10月3日(土)には、東京のBゼミで関根伸夫に学び、毛綱毅曠と親しく交友していた関根を通じて毛綱毅曠の世界観にふれていたという嶋崎誠さん(ガラス彫刻家)、そして釧路湖陵高校で同級生だった羽生輝さん(日本画家)にお話を伺うことができました。建築古事記の<葦原の中ツ国><七堂伽藍>について、羽生さんは「崖のかたちや山のかたちを見ていると、釧路の実際の地形や自然環境が反映されているように感じられる。飛翔している乗物のような構築物も、丹頂鶴や、鷗をほうふつとさせる」という貴重なお話をくださいました。「建築古事記」という壮大な神話的イメージの背後に、毛綱が精神形成期を過ごした釧路という土地の力が確かにかかわっている、というお話はたいへん説得力のあるものでした。
また、10月4日(日)には、「トーク&ウォーク」を開催。毛綱毅曠の親友であり二人三脚のようにして毛綱毅曠の建築作品を撮影された写真家の藤塚光政さんと、毛綱と同世代の建築家で、札幌を拠点に、釧路市の隣町・厚岸町の道の駅「コンキリエ」も手掛けられている圓山彬雄さんをお招きして、本展会場で毛綱建築について語っていただきました。

参加者はその後、徒歩で釧路フィッシャーマンズワーフMOOならびに釧路川対岸の釧路センチュリーキャッスルホテルを見学。釧路市内の方も少なくなかったのですが、普段なかなか足を踏み入れないエリアにも入らせていただくことができ、毛綱建築の魅力を改めて実感されたようでした。


釧路市内や道東地域には今も地域の人々に愛され、大切にされている毛綱建築がいくつも現存しています。これからも、機会をとらえて、毛綱建築の魅力にふれていただく事業に取り組んでいきたいと考えております。
最後になりましたが、毛綱毅曠建築事務所代表取締役毛綱千恵子様、毛綱康三様をはじめ、本展実現のために惜しみないご協力、ご支援をいただきました皆様に、厚くお礼申し上げます。
(井内佳津恵 北海道立釧路芸術館 学芸主幹)