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北海道立釧路芸術館

北海道立釧路芸術館のブログです。北海道釧路からさまざまな情報をお届けします。

【展覧会出品作品紹介】身近な自然へのまなざし―羽生輝と中江紀洋

2024年12月03日 17時45分52秒 | 日記

釧路芸術館では特別展「自然へのまなざし 天と地と」を12月8日まで開催中です。本展は当館の作品収集方針である自然に関連した美術作品を中心に、身近な大地の描写から自然を様々な文脈で象徴化した表現に至るまで、コレクションをご紹介するものとなりました。

さて、釧路に立地するミュージアムの展覧会ですので、身近な自然景観を描写した作品もご覧になれます。釧路に拠点を置き、北海道を代表する日本画家である羽生輝(1941年生)の〈北の浜辺(床丹) 〉は別海町の海辺の集落を題材にした作品です。

羽生輝〈北の浜辺(床丹) 〉 1999(平成11)年  北海道立釧路芸術館蔵

 

 凍てつく冬空に冷たく輝く満月に照らされた海沿いの集落には、吹き付けた雪が張り付き、肩を寄せ合うように家々が密集して描かれています。家屋の窓に小さく漏れる光は、かすかな温もりを感じさせる色調で描かれ、この地で力強く生き抜く人々の姿を暗示します。極寒の夜空の威圧的な存在感は、同時に過酷な環境に暮らす人々の芯の強さを強調する効果をもたらしました。この作品のように、羽生輝の作品は道東一体の海辺の光景を題材に、時にはそこで暮らした人々の粘り強さを感じさせる描写が特徴です。

 ところで、釧路地域を代表する自然景観としてまず挙げられるのは釧路湿原でありましょう。ところが、画家が釧路湿原の光景を本格的に描くようになったのは60代の半ばを過ぎてからのことでした。作品〈冬日(悠々釧路湿原)〉では、湿原と雲は同じ色調が用いられ、地平線は控えめに描かれています。

羽生輝〈冬日(悠々釧路湿原)〉 2015(平成27)年  北海道立釧路芸術館蔵

  この作品では、天地の境界を意図的に曖昧にすることで、蛇行する川筋と冬枯れの湿原の広がる荒涼とした大地の存在感が強調されています。同時に夕景のまばゆい色彩に染められた空と大地からは、冬の厳しさのみならず温もりも伝わり、作者の郷土への想いがうかがえます。このように、練り上げられた構図や筆致と色彩表現を特徴とする作品ですが、茫洋としてとらえどころのない湿原の光景を表現することは、画家にとって容易ならざる挑戦でありました。羽生輝が2010年代に釧路湿原の四季を描くことに挑んだ作品のうち、冬景色は当館に、秋景を描いた作品〈晩照(悠々釧路湿原) 〉は北海道立帯広美術館に収蔵されています。

 

  同じく釧路を拠点に、北海道を代表する彫刻家・立体造形作家として活躍した中江紀洋(1943-2021)が身近な自然に向き合った時期も、年齢を重ねて自身の表現を深めてからのことでした。作者が69歳の時に制作された〈けもの道への扉〉は、ステンレス板の土台の上に木彫を組み合わせた立体作品です。

中江紀洋〈けもの道への扉〉 2012(平成24)年  北海道立釧路芸術館蔵

   作者によると、横縞状に彫られた凹凸が並ぶ二つの板状の造形は扉や門をイメージするものであり、自然を破壊し続ける人間への警鐘と、扉を開くことによってもたらされる恐るべき運命を示唆しているといいます。扉状の板のすき間から姿を見せる量塊性を強調した木彫は、別世界から現れたものたちでありましょうか。

  中江紀洋は20代から、自身のルーツと重なる北海道入植者の苦闘の記憶や、古代の美術から現代までの歴史的事象を主題に抽象的な造形を発表し、歴史の中での人類の感性と知性に想いを馳せる表現をつくり続けてきました。彫刻家は渓流釣りを好み、自然に親しむ生活を送っていましたが、湿原をはじめとした身近な自然は畏怖の対象であり、簡単に作品の題材には出来ないものと考えていたといいます。

【参考】 中江紀洋〈回帰(終章)〉(部分) 2010(平成22)年  北海道立釧路芸術館蔵

中江紀洋は地域の自然の中で回遊する魚の群れを抽象化した造形も制作しました。

※本展未出品

   釧路に長年制作の拠点を置いて活動し、北海道を代表する美術作家になった二人は、地域を代表する自然を作品の題材とするにあたり、十分な時間をかけた末に取り組みました。

素材も表現も異なる二人がこの点で共通していることは、大変興味深く思われます。

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