釧路芸術館で2024年12月8日まで開催された特別展「自然へのまなざし 天と地と」は、当館の作品収集方針の一つである、自然にまつわる美術作品を中心に、身近な大地の描写から、自然を様々な文脈で象徴化した表現まで、多様な作品をご紹介するものとなりました。
岩橋英遠〈彩雲〉 1979(昭和54)年 北海道立釧路芸術館蔵
岩橋英遠(1903―99)の〈彩雲〉は、当館コレクションを代表する作品の一つです。 彩雲とは、太陽が大きな雲の背後に隠れた時、太陽光が水蒸気で屈折し雲の周りが虹のように輝く気象現象のことを指します。作者は雲の描写について、以下のように語っています。
――どんどん変化していって結局消えてしまう雲なんです。他に雲がなくてポカンと浮いているんですが、あの雲を考えて描いたら描けないですよ、どうにでも描けるんですから。写生だからこそ描けたんです。 「岩橋英遠 風土と自作を語る」より 『三彩』414 1982(昭和57)年3月
画面上にあらわれた、大空の劇的な一瞬のドラマと荘厳な光景は、作者が日頃から光や空、雲のイメージに注目し続け、自然への深い敬意を常にもっていたからこそ描き得たことがうかがえます。 〈虹輪〉も、天空で眼にした劇的な一瞬を捉えた作品でした。
岩橋英遠〈虹輪(極圏を飛ぶ)〉 1982(昭和57)年 北海道立近代美術館蔵
氷塊の漂う海面の上に、光輪と呼ばれる円形の虹が浮かんでいます。光輪はブロッケン現象とも呼ばれ、霧や水滴を通って散乱した日光が、虹状の光の輪を作る現象です。この現象は山や飛行機など高所で目にすることができます。
画面は上下の空間的な広がりを強調した構図で、虹輪が繊細な色彩の諧調であらわされました。 この作品は、作者が北極海上空を飛ぶ飛行機の窓から目にした光景に着想を得て、円形の虹を見下ろす視点で描かれています。
こうした視点は、旅客機での移動が普及した20世紀後半になり、ようやく多くの人々が目にすることが可能になった眺めです。科学技術の発達により、人類は視覚と視野を大きく広げましたが、この作品は、北極の上空で体験した視覚を単なる現代的な景色として描いたものではなく、日常の次元を超えた自然界の深遠な神秘として表現されています。虹の描写への探究について作者は以下のように述べました。
――ようやく網膜に写ることと見たこととは全く別なのだと解ったように思う。有縁とは自分にそれを識る用意があったと言う事であろう。ブロッケン現象だけでなく虹は一人一人のもので、人は自分の虹しか見る事ができない。「虹」より『第三回日本画の十人展』図録 山種美術館 1978(昭和53)年
個人的な視覚体験を描写し、普遍的な表現として多くの人に伝えることについての、画家の覚悟を伺い知ることができる言葉です。 天空のドラマを描いた作品に加えて、この展覧会では英遠が大地のドラマを描いた作品も出品されました。〈誌(一) 〉、〈誌(二) 〉は有珠山の噴火を描いたものです。
岩橋英遠〈誌(一) 〉、〈誌(二) 〉 1982(昭和57)年 北海道立近代美術館蔵
有珠山は北海道、洞爺湖畔の南麓にそびえる活火山で、1977(昭和52)年に噴火し周辺地域に被害をもたらしました。二つの画面では噴煙や溶岩と閃光が観る者に迫るかのように描かれています。山体よりもむしろ噴火現象自体がクローズアップされ、まさにその場に立ち会うような視点と構図で自然の神秘と猛威が表現されています。
この山はこの23年後の2000(平成12)年にも再び噴火しましたが、恐ろしい災害の源であると同時に北海道有数の温泉地を形成するという恩恵ももたらしています。噴火を正面から見据える視点は、画家のまなざしのみならず、火山活動の産物を観光資源として火山と共生を続ける、地域の人々の視点を連想させます。
日本画家・岩橋英遠は北海道の江部乙(現・滝川市)生まれ。尋常高等小学校高等科卒業後、農業に従事しながら油彩画を描き始め1924年に画家を目指し上京、日本画家の山内多門に学び、後に安田靫彦に師事しました。34年、日本美術院展(院展)初入選(53年院展同人)し、戦前は前衛表現に取り組み戦後は自然の神秘を独自の感性でとらえた、花烏風月の枠を超えた壮大なスケールの作品により評価を受け、94年には文化勲章を受章しました。