前回、「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」を取り上げて批判したわけだが、いささか感情的になってしまったので、解説(というか釈明?)を行おうと思う。
といっても、研究会については現状でこれ以上語ることもあまりないので、最初に性情報と性の低年齢化の関連についての私の見解を述べ、次に私が挙げた「子どものいる夫婦の性行為禁止」の解説、最後にそれに対する有害図書撲滅氏の反論「愛がキーワード」への詳細な再反論を行う。
まず、有害図書撲滅で取り上げられる調査の中にはたまに「幼い頃から性情報に触れた子どもは、性交渉に積極的である」という旨のものがあるが、ここで証明されているのは「性情報に触れた子どもは性交渉に積極的だ」という相関関係であり、「性情報が子どもを性交渉へ駆り立てる」という因果関係ではない。つまりここでは、
1.幼い頃から性情報に触れることで、子どもの性は低年齢化する(性情報が原因)
2.元々性交渉に積極的な子どもは、性情報にも早期に触れようとする(子ども各個人の性質が原因)
3.「性情報に触れようとすること」と「性交渉への積極性」の間に共通する何らかの要素があり、この要素をもつ子どもは両者に属する比率が高くなる(第三者的な原因)
の3つが考えられ、規制が効果を発揮するのは1の場合だけであり、2,3ならば効果はないか、逆に子どもの性を低年齢化させることも考えられうるのである。
次に「子どもがいる夫婦の性行為禁止」について。
元々ゲーム業界にしろ漫画業界にしろ、自主規制は行われていた。例えばゲーム業界の自主規制団体・CEROの制度では、「~歳未満購入禁止」という強制力こそもたないものの、何歳以上を対象にした作品かが明記され、暴力・性表現に興味のない人が誤購入することは充分防げた。
そしてゲーム、漫画等が犯罪の原因となるという明確な根拠は無い。そもそも少年犯罪自体が戦後のピークである1950~60年代と比べて格段に減少し、いまでは終戦直後と大差ないレベルで推移している。
つまり行政がやろうとしていることは「元から規制が行われていた場所」に「何の根拠もなく(というか捏造する?)」より強力な規制をかける行為であり、これが許されるのならば、それこそ子どもの前からはあらゆる性情報、そして性情報に触れる機会を排除しなければ筋が通らないのである。
さらに、神奈川県知事がゲーム規制の理由に「映像技術の進歩によってリアルな残虐表現が可能になったこと」を挙げたように、リアルな表現ほど子どもに強い影響を与えると考える規制論者は多い。
つまり彼らの見解に沿うならば、「現実の性交渉」を見ることは、いかなる「性を扱ったメディア作品」を見ることよりも悪影響が強いはずである。
ならば「子どもへの影響」を第一義に置く以上、「現実の性交渉」にはメディアよりも強力な規制が必要である―――とならなければおかしいのである。
最後に有害図書撲滅氏の「愛がキーワード」について。
撲滅氏曰く、「愛のある性交渉は悪影響ではない、不倫や強姦が子どもに悪影響を与えるのだ」とのことだが(少なくとも私はそう読み取った)、これには以下の疑問点がある。
まず、「アダルト作品でも、愛のあるセックスを描いたものなら子どもに見せていいのか」という問題。
アダルトゲームには「泣きゲー」という、ポルノ的な実用性よりも感動を重視した種類の作品群(代表的なのはKeyの「Kanon」及び「AIR」)があり、ここで描かれるのは多くが「愛のあるセックス」である。
(こう書くと誤解を与えるかもしれないが、少なくともKey作品に関しては性行為の場面はおまけでしかなく、作品自体はそこにいたるまでのストーリーに重きを置いている。)
もちろん泣きゲーだけでなく、エロ重視のアダルトゲーム(なんか変な表現)でも愛を描いたものがないわけではない。
また未婚者、未成年を描くことが問題であるならば、主役が成人夫婦であればいいのか、という疑問もある。
次に、これが本題なのだが、「愛のある性行為ならば子どもに悪影響はない」という理論は、(情報が悪影響を与えるか否かという以前に)以下の条件が満たされていなければ成立しない。すなわち
・愛には万人共通の定義が存在する
・子どもは他者の性行為から愛の有無を見分ける能力を有する
の2つである。
「愛のある性行為ならば~」を社会全体に当てはまるものとして語る以上、愛自体に人類普遍の法則としての定義が必要であるが、そんなものを私は知らない。私の知る限りもっとも普及しているのは、宗教的価値観のなかでの愛だが、これでさえ宗教によって内容がガラリと変わるような、流動的なものである。
そして「愛のある性行為なら悪影響はない」のならば、性行為を見る受け手側――つまり子どもに、「性行為における愛の有無を見分ける能力」が必要になるわけだが、これもあるはずがない。というか大人でさえ、こんな能力を有する人間は極稀であろう。夫婦間でさえ、そこに愛があるとは限らないのだから。
第一、本当に無垢な子どもなら、性行為を見ても何をやっているか分かろうはずもない。
よって私は、愛の有無は問題にはならず、性行為そのものの是非に論点があると考える。
最後の最後に一言。
当方、実際にエロゲをやったことはありません。
といっても、研究会については現状でこれ以上語ることもあまりないので、最初に性情報と性の低年齢化の関連についての私の見解を述べ、次に私が挙げた「子どものいる夫婦の性行為禁止」の解説、最後にそれに対する有害図書撲滅氏の反論「愛がキーワード」への詳細な再反論を行う。
まず、有害図書撲滅で取り上げられる調査の中にはたまに「幼い頃から性情報に触れた子どもは、性交渉に積極的である」という旨のものがあるが、ここで証明されているのは「性情報に触れた子どもは性交渉に積極的だ」という相関関係であり、「性情報が子どもを性交渉へ駆り立てる」という因果関係ではない。つまりここでは、
1.幼い頃から性情報に触れることで、子どもの性は低年齢化する(性情報が原因)
2.元々性交渉に積極的な子どもは、性情報にも早期に触れようとする(子ども各個人の性質が原因)
3.「性情報に触れようとすること」と「性交渉への積極性」の間に共通する何らかの要素があり、この要素をもつ子どもは両者に属する比率が高くなる(第三者的な原因)
の3つが考えられ、規制が効果を発揮するのは1の場合だけであり、2,3ならば効果はないか、逆に子どもの性を低年齢化させることも考えられうるのである。
次に「子どもがいる夫婦の性行為禁止」について。
元々ゲーム業界にしろ漫画業界にしろ、自主規制は行われていた。例えばゲーム業界の自主規制団体・CEROの制度では、「~歳未満購入禁止」という強制力こそもたないものの、何歳以上を対象にした作品かが明記され、暴力・性表現に興味のない人が誤購入することは充分防げた。
そしてゲーム、漫画等が犯罪の原因となるという明確な根拠は無い。そもそも少年犯罪自体が戦後のピークである1950~60年代と比べて格段に減少し、いまでは終戦直後と大差ないレベルで推移している。
つまり行政がやろうとしていることは「元から規制が行われていた場所」に「何の根拠もなく(というか捏造する?)」より強力な規制をかける行為であり、これが許されるのならば、それこそ子どもの前からはあらゆる性情報、そして性情報に触れる機会を排除しなければ筋が通らないのである。
さらに、神奈川県知事がゲーム規制の理由に「映像技術の進歩によってリアルな残虐表現が可能になったこと」を挙げたように、リアルな表現ほど子どもに強い影響を与えると考える規制論者は多い。
つまり彼らの見解に沿うならば、「現実の性交渉」を見ることは、いかなる「性を扱ったメディア作品」を見ることよりも悪影響が強いはずである。
ならば「子どもへの影響」を第一義に置く以上、「現実の性交渉」にはメディアよりも強力な規制が必要である―――とならなければおかしいのである。
最後に有害図書撲滅氏の「愛がキーワード」について。
撲滅氏曰く、「愛のある性交渉は悪影響ではない、不倫や強姦が子どもに悪影響を与えるのだ」とのことだが(少なくとも私はそう読み取った)、これには以下の疑問点がある。
まず、「アダルト作品でも、愛のあるセックスを描いたものなら子どもに見せていいのか」という問題。
アダルトゲームには「泣きゲー」という、ポルノ的な実用性よりも感動を重視した種類の作品群(代表的なのはKeyの「Kanon」及び「AIR」)があり、ここで描かれるのは多くが「愛のあるセックス」である。
(こう書くと誤解を与えるかもしれないが、少なくともKey作品に関しては性行為の場面はおまけでしかなく、作品自体はそこにいたるまでのストーリーに重きを置いている。)
もちろん泣きゲーだけでなく、エロ重視のアダルトゲーム(なんか変な表現)でも愛を描いたものがないわけではない。
また未婚者、未成年を描くことが問題であるならば、主役が成人夫婦であればいいのか、という疑問もある。
次に、これが本題なのだが、「愛のある性行為ならば子どもに悪影響はない」という理論は、(情報が悪影響を与えるか否かという以前に)以下の条件が満たされていなければ成立しない。すなわち
・愛には万人共通の定義が存在する
・子どもは他者の性行為から愛の有無を見分ける能力を有する
の2つである。
「愛のある性行為ならば~」を社会全体に当てはまるものとして語る以上、愛自体に人類普遍の法則としての定義が必要であるが、そんなものを私は知らない。私の知る限りもっとも普及しているのは、宗教的価値観のなかでの愛だが、これでさえ宗教によって内容がガラリと変わるような、流動的なものである。
そして「愛のある性行為なら悪影響はない」のならば、性行為を見る受け手側――つまり子どもに、「性行為における愛の有無を見分ける能力」が必要になるわけだが、これもあるはずがない。というか大人でさえ、こんな能力を有する人間は極稀であろう。夫婦間でさえ、そこに愛があるとは限らないのだから。
第一、本当に無垢な子どもなら、性行為を見ても何をやっているか分かろうはずもない。
よって私は、愛の有無は問題にはならず、性行為そのものの是非に論点があると考える。
最後の最後に一言。
当方、実際にエロゲをやったことはありません。
最近は時間がないのと面倒くさいというのが相まって、積みゲーが増えるという状況ですが…。
統計データ―ではなくあくまで個人的な意見ですが、アダルトゲームの主流が純愛をテーマにしたもの、そうでなくとも殆どが『和姦モノ』です。
TVなんかじゃ陵辱モノしかないような報道してるけど、違うってば。まあ、ロリが中心なのは否めないが。
「愛とはなにか?」ということに関しては、私ははっきりと「普遍的な愛はある」と思っています。
この言葉をなんらかの定義に押し込める行為が間違ってると思うし、一般的には(哲学的な思考をしなければ)、まあ、普通にあるものでしょう。
ただ、「じゃあ、愛があれば問題無いか?」と言われれば、そんなわけもない。
「不倫が悪」で「夫婦は正義」なら、たくさんの「セックスフレンド」と関係を持っている人はどういう位置になるんでしょうかね?
いや、あるいはそういった概念すら存在しようも無い、単なる写真や絵の場合は?
愛の有無はやはり関係ないでしょうね。
「子供に見せるな」ってのは、私は賛同します。それは親の指導なり行政の規制なりである程度してしかるべきだと。
ただ、作る行為まではしめるな。
そもそも俺の場合はエロゲ―(ロリゲ―)やりだしてからロリ趣味になったわけじゃないしね。
ろりっこと付き合ってたら、気付いたらエロゲーもそっちが多くなったという始末。
やっぱり現実の方が影響デカイですなw
ちなみにその子には先月振られましたが、なにか?
あ、あと、僕も三年生です。『5年生』確定ですが(泣)。
性表現を含むメディアへの接触が与える影響が少ないようだ、と調査結果はまとめている。
という結論付けがなされていますね。都合の悪いところがカットされています。
http://www.asahi.com/culture/enews/RTR200604030059.html
あと、この記事の「性表現を含む媒体に多く触れていた子供」の「多い」「少ない」の線引きがどこにあるか、という点も気になるところです。
意地悪に考えると、「14歳から16歳の間に初体験を迎えている可能性が2.2倍」になるような場所を持って「多い」「少ない」の線引き箇所にした、ということも考えられます。
勿論、1017人という全サンプル数において、「多い」「少ない」というカテゴライズされた子供達がどの程度いるのか、また、「14歳から16歳の間に初体験を迎えている」子供が全体のどのくらいの割合いるのか、というところもポイントになるでしょう。「少ない」のうちの1%、「多い」のうちの2,2%が性交渉を持っていた、でも、「2,2倍」になりますが、普通に考えて、これは誤差の範囲内ですから。
この記事だけでは、調査の妥当性からして、わかりませんので、結論付けることは不可能だと思いますね。
恐らく100人に「愛とは何ですか?」と聞けば、全体的なイメージとして「こういうもの」という共通項は出てくるんじゃないか、とは思います。
ただし、100人が100人、全員、全く同じ定義になることはありえないでしょう。「イメージとしてはわかるが、具体的に定義できない」というのが、「愛」という言葉じゃないかと思います。
というか、私自身、この「愛」って言葉に嫌悪感があるんですよね。
日本において、こういう言葉は、犯罪行為などの隠れ蓑として使われてきた歴史がありますし。
例えば、児童虐待なんかの場合も「お前を愛しているから」とか言ったりしますし、また、学校などで教師などの暴力行為なんてものも「愛のムチ」なんていう言葉で正当化されていたわけですから。
有害氏自身は、そのようなことをしないとしても、「愛」がキーワードです、なんて形になると、かならず「愛」という言葉を隠れ蓑にして犯罪行為に走る人間が出ると思います。
そういう意味でも、私は「愛」などという曖昧な言葉をキーワードにすることには反対ですね。
おそらくは不倫と動議に扱われるのでしょう。叶○子とかこれにあたりますね。
>ただ、作る行為まではしめるな。
件の研究会は、悪くすればこの部分にまで規制を求めてくるでしょうね。ああ、嫌だわ。
>ろりっこと付き合ってたら、気付いたらエロゲーもそっちが多くなったという始末。
何があったのかとんでもなく気になりますが・・・聞かないでおきます。
>あ、あと、僕も三年生です。『5年生』確定ですが(泣)。
がんがれ
いやむしろ、アメリカでは未だに人種間の格差があることのほうに軽いめまいを覚えましたが。
愛についても、たとえば私の小学校のときの担任は、体罰と暴力の区別ができない正真正銘のバカ教師でしたし、また送り手が愛を持ってやっていたとしても、受け手に理解されないことなどザラなわけで、白黒はっきりつけられないのは、まあ分かりきったことですよね。
性教育とかやってても理解できない人っているけどな。そして最近のできちゃった婚の多さは何故なんでしょう?性の低年齢化より無知な人間が親になる方が心配なんですが…。
私も勉強しますWW
ちょっと歳の離れた子で、しかも実年齢以下に見えたというお話です。
下手したら、中がk(検閲)。
振られたけどな!別れたけどな!
>柵さん
はじめまして。
できちゃった婚の多さには、僕も正直呆れてます。特に芸能人の多さといったら(単に報道の関係でそう見えるだけかも知れませんが)。
しかも「おめでとうございます」なんてコメントまで寄せられるし。
>不倫のセックスにも愛がある場合はあると思う
不倫と浮気の定義について、村上春樹の本か何かで読んだ記憶がありますが、とりあえずは置いといて。
これは矢張り例外事項ではないでしょうか?
確かにそういう事態もあるかと思いますが、基本的には不倫は配偶者に対する裏切り行為、不貞行為かと思います。
これも、そもそも増加しているのでしょうかね・・・?
とりあえず、増加しているという前提で話しますが、前にも申し上げたとおり、日本では昔と比べて子どもを教育する余裕が増えた=子どもが自立する時期が遅くなったので、結婚する年齢も全体的に高くなっています(これは晩婚化とは違います)。
私の祖父母くらいの世代なら、結婚当日まで相手の顔を知らないなんてこともあったはずですが(テレビから得た知識なので偏っているかもしれませんが)、今は普通なら数年、短くとも数ヶ月の交際期間の後に結婚するのが一般的です。
この交際期間中というのも、普通に考えれば性交渉はあるわけで、いくらかの確立で妊娠もするでしょう。私はこの部分が増加分なのではないかと考えています。あくまで憶測ですが。
もちろんできちゃった結婚の是非についてはまた別に問われるべきところですが、少なくとも結婚する側の精神面に実質的変化があったとするのには懐疑的です。