大好きな番組の一つにNHK-Eテレの「100分de名著」ってのがあるんです。
伊集院さんがMCになってから俄然面白くなったような気がするんですが。(前回シリーズの司会の方が面白くないって訳じゃないいですが。アナウンサーの方だったんで)
9月はチェーホフの名作「かもめ」を取り上げていました。
その最終回からの発言。
「悪意は人間をクールダウンさせる」というゲストの柄本明さん。
「僕は思うんですけど…悲劇ってあるのかな(存在するのか?という意味)?って」
「あー。そこまで行きますか?」と伊集院さん。
以下柄本さん
「人が死んじゃうから悲劇なのかなって。死ななくていいんだ、って思うんです。
全部喜劇だろって。
多分そこの問題にからめ取られちゃうと思うんです。
でも問題は、そんな所にあるんじゃないと思うんです」
以下伊集院さん
「ルール違反だと思うんです。面白いものを見ようという気持ちになってる時に、酷いものを見せられたりする、ってのが。
凝り固まった考え方ではダメで、先入観…笑いとはこうゆうもの、ドラマとはこうゆうものという先入観から解き放たれないと多分これの(かもめ)楽しさは最後まで分からない。
僕は。反応は解き放たれたと思うんですけど。やっぱりどこかでこれをいきなり見て‘おもしろい’と思うには修行が足りてないな、と。
おじいちゃんのお葬式の時に。飼っていた猫が下痢をして。
それが可笑しくて笑いたいけど、おじいちゃんの死が悲しくないわけじゃなくて。
でも…そうゆうもんですよ」
以下柄本さん
「笑うと泣くって多分一緒だから。
そのどっちを選ぼうと。
つまり‘悲しい’だけでは満足できないから。
人間ってのはいつも不満を言いながら死んでいくわけでしょ?
チェーホフの本(脚本の意味だと思う)なんかも。人間が満足なんかしてないわけで。
我々はそうゆうもんなんだ…と。
チェーホフっていう人は’人を観察する見方はシャープなんです。
必ずある一定の距離を置いてますから。
だから悲劇をして描けるものが、彼も目には喜劇として映る…と。
最後に柄本さん。
「僕としては、笑えるんだけど、ものすごく泣ける。泣ける。うん。泣ける」
話の内容としてはだいたいこんな感じだったような気がします。
なんかすごい分かる。
中学1年の頃。祖父の葬式があった。で、みんなで神妙な顔して座って。お坊さんが読経を始めたんです。
そしたらこれが。
可笑しくて可笑しくてたまらない。
そのお経の音の感じが、聞いた事の無いお経だったもので。
もう、笑いのツボに入ってしまい、必死に笑いを堪えてたんです。
で、ふと見ると。
前列に座っている母と叔母、つまり自分の父親の葬式に列席している当事者二人が。
必死に笑いを堪えて、身をよじらせて耐えているのを目撃し。
こちらも更に可笑しくなる、という大変しんどい思いをした記憶があるのです。
悲しいのに可笑しい。
悲劇と喜劇は表裏一体。
悲しいだけでは満足しないし。
可笑しいだけでも満足できない。
人間はなんと贅沢な存在なのか、と。
そんな事を思った番組でした。
伊集院さんがMCになってから俄然面白くなったような気がするんですが。(前回シリーズの司会の方が面白くないって訳じゃないいですが。アナウンサーの方だったんで)
9月はチェーホフの名作「かもめ」を取り上げていました。
その最終回からの発言。
「悪意は人間をクールダウンさせる」というゲストの柄本明さん。
「僕は思うんですけど…悲劇ってあるのかな(存在するのか?という意味)?って」
「あー。そこまで行きますか?」と伊集院さん。
以下柄本さん
「人が死んじゃうから悲劇なのかなって。死ななくていいんだ、って思うんです。
全部喜劇だろって。
多分そこの問題にからめ取られちゃうと思うんです。
でも問題は、そんな所にあるんじゃないと思うんです」
以下伊集院さん
「ルール違反だと思うんです。面白いものを見ようという気持ちになってる時に、酷いものを見せられたりする、ってのが。
凝り固まった考え方ではダメで、先入観…笑いとはこうゆうもの、ドラマとはこうゆうものという先入観から解き放たれないと多分これの(かもめ)楽しさは最後まで分からない。
僕は。反応は解き放たれたと思うんですけど。やっぱりどこかでこれをいきなり見て‘おもしろい’と思うには修行が足りてないな、と。
おじいちゃんのお葬式の時に。飼っていた猫が下痢をして。
それが可笑しくて笑いたいけど、おじいちゃんの死が悲しくないわけじゃなくて。
でも…そうゆうもんですよ」
以下柄本さん
「笑うと泣くって多分一緒だから。
そのどっちを選ぼうと。
つまり‘悲しい’だけでは満足できないから。
人間ってのはいつも不満を言いながら死んでいくわけでしょ?
チェーホフの本(脚本の意味だと思う)なんかも。人間が満足なんかしてないわけで。
我々はそうゆうもんなんだ…と。
チェーホフっていう人は’人を観察する見方はシャープなんです。
必ずある一定の距離を置いてますから。
だから悲劇をして描けるものが、彼も目には喜劇として映る…と。
最後に柄本さん。
「僕としては、笑えるんだけど、ものすごく泣ける。泣ける。うん。泣ける」
話の内容としてはだいたいこんな感じだったような気がします。
なんかすごい分かる。
中学1年の頃。祖父の葬式があった。で、みんなで神妙な顔して座って。お坊さんが読経を始めたんです。
そしたらこれが。
可笑しくて可笑しくてたまらない。
そのお経の音の感じが、聞いた事の無いお経だったもので。
もう、笑いのツボに入ってしまい、必死に笑いを堪えてたんです。
で、ふと見ると。
前列に座っている母と叔母、つまり自分の父親の葬式に列席している当事者二人が。
必死に笑いを堪えて、身をよじらせて耐えているのを目撃し。
こちらも更に可笑しくなる、という大変しんどい思いをした記憶があるのです。
悲しいのに可笑しい。
悲劇と喜劇は表裏一体。
悲しいだけでは満足しないし。
可笑しいだけでも満足できない。
人間はなんと贅沢な存在なのか、と。
そんな事を思った番組でした。
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