「いのち」について考える。3回目です。
まず、おことわりしておきます。前回(2回目)のアップは、6月9日となって
おりますが、下書きは6月7日に終わっていたため、6月8日に発生しました
「秋葉原通り魔事件」には一切触れていません。事件に触れていなくて不思議だ
なと思われた方がいたと思いますが、今回触れてみたいとます。
6月8日に発生した、秋葉原通り魔事件について、メディアによって膨大な
情報が流れているので、皆さんもご存じのことと思います。
被害に遭われました方々、並びご親族・友人その他多くの方にお見舞い申し
上げます。その心中は、言葉では言い表せないものだとお察しいたします。
いうまでもなく、この事件の加害者は、とんでもないことを犯しました。
決して許される事ではありません。なぜ、このような事件が起こったのか、
今一度、冷静に考えなくてはいけないのではないでしょうか?
報道によると、加害者の言い分は、要約すれば「自分は悪くない(普通)。
親・会社・社会が悪い」とのことです。これには、多くの方が「自分勝手
過ぎる」などの反論があるでしょう。私も、その一人です。そんなことで、
人を殺すとは、世の中、殺人だらけになりかねません。
ただ、命が大切だといいながら、もし、我が子が被害に遭い、死んでしまったなら、
私の心には間違いなく「加害者を殺してやる(やりたい)」という、強い思いが
こみ上げてくるでしょう。多くの方も、恐らく私と同じ感情を抱くのではない
でしょうか?もちろん、加害者を殺さないとは思いますが、もしかしたら、その
心の叫びが張り裂けて、加害者を本当に殺してしまわないとも限りません。
そしたら、仇を討ったつもりでも、加害者と同じ殺人者となってしまいます。
加害者は、厳しく罰せられなければと思います。しかし、それとは別に、以下の
ことも考えてみていただきたいものです。
原因やつながりによって、結果が得られると思います。
今回の事件、「加害者は悪い人」と思うでしょう。しかし、前述のことを踏まえ
ると、実は誰でもが殺人を犯しかねないんです。今は、そのつながりがないだけであって。
一般的には、「殺人者が特別な人間であって、自分は普通。殺人なんか絶対起こさ
ない」と考えますが、そうではないのではないでしょうか?
仮に、殺人を犯さないにしても、加害者の家族、被害者や被害者の家族になる可
能性があるわけです。一生懸命育てた子供が、犯罪を起こすことも考えられます。
手塩にかけて育てた我が子が、罪を犯す。誰だって、我が子を犯罪者にするために
育てているわけがないですよね。しかし、現にこの世の中、加害者・被害者が存在
しています。みなさんは、どうします?加害者の家族になったら。
ここで、私が一番主張したいことは、「被害者も加害者(各々の家族)も、実は
私たちが誰でもが成り得るということです」。遠く東京で起こったことではなく、
いつでも我が身に降りかかってきてもおかしくないという認識が大切ではないか
ということです。現に加害者の言い分は、生活の中で、誰でもが少なからず心に
存在しているように思えます。
そのためにも、「命の尊さ」そして「命のはかなさ」を、心して子供に伝えなくては
いけないのではないでしょうか。
少なくとも、子は親や家族を見て育っていきます。まずは、親の立場にある我々が、
子供に対して模範となるべき態度をとりたいものです。
今回の事件について、加害者は厳しく罰せられなくてはいけないことに、かわりは
ありません。また、被害者やその家族に対して(もちろん、今までの事件・事故の
家族も)、救済の手立てを充分に行うことが重要です。心の傷は、一生残ると考え
られます。このことも、一人一人が認識しておかなければいけないと思います。
文字にしますと、主張したいこともまとまらず、また長々となりました。
小学校のHPということで、この内容は濃い過ぎとも考えましたが、「いのち」を
見つめるためにも投稿させていただきました。ご了承くださいませ。
Kenkyo