みんなのブログ

地域やサポーターの方が、学校や地域の出来事を掲載します。

セミの脱皮 夏の夕暮れ

2010-07-13 | いのち
7月12日、夜、我が家の車庫から玄関に向かうとキンモクセイの木に何やら白いものが・・・・。
近づいてみると、セミさんでした。
「こんばんは! 今、脱皮したばかりなの。もうすぐ、私の弟や妹たちも上ってくるから、よろしくお願いします。」とテレパシーで伝えてきました。
写真ではわかりにくいですが、前足でつかんでいるのが抜け殻です。地面には一つの穴がありました。何年も地下ですごしたのでしょうね。黒川小の子どもたちに見せたいなあと思いました。
13日朝は立派に色変わりしていました。これから精一杯鳴いて良いですよ。  
(黒川のはまぐり)

誕生

2008-12-04 | いのち
「あなたたちもみんな、こんなに大きなおなかの中で大事にだいじにされて、
家族やお友達みんなが誕生を待ったんだよ。」
と、いのちの授業にたってくれたお母さんのあかちゃんが
11月25日無事誕生しました
            
とても元気なあかちゃんで、すでに1ヶ月検診につれてきたように身体もしっかりしていて、抱っこしても安心かわいかったですよ。
            
あかちゃんはそこにいるだけでオーラを放ち、誰もが心が清らかに、元気になりますよね。
お母さん出産おつかれさまでした。これからしばらくは忙しいですが、がんばってくださいね                                                           
 空





気をつけましょう!

2008-11-21 | いのち
この写真は、長尾のバス停付近の写真です。時刻は朝7:30頃。
あたり一面濃い霧に包まれ、とても視界の悪い状況です。
こんな中、子供達は横断歩道を渡りバスを待ちます 季節がらよく見られる光景ですが、やはり親としてはヒヤヒヤしてしまうのが実情です
どうぞ、子供達が安全に登下校できますよう、お車を運転の際は充分お気を付けください 

えれれでした



「いのち」そして誕生

2008-11-18 | いのち
 「いのちを見つめるフォーラム」を参観し、うちでは最初に長女が9歳の誕生日を迎えました。あのフォーラムでは、子供よりも大人が考えさせらることがあったのでは?(うちも、その一つです。)
 フォーラムを経験し、いつもと違う誕生会になりました。まず一つは、ロウソクを吹き消した後に主役に将来の夢を語ってもらうこと。(ちなみに、今回は「美容師」になりたいそうです。)
                 
 そして、もう一つは父母それぞれから手紙を渡すこと。
 「命の授業」でせっかく手紙を書き子供を見つめなおすことが出来たのだから誕生日には毎年手紙を贈ろう!と嫁と話し合いました。
 子供が、どう感じてくれたか分かりませんが、一つずつ年を重ねるたびに何か感じてくれたらと思い、これからも送り続けて行きたいと思います。

 シュナウザー



いのちのセレモニー

2008-11-12 | いのち
先日のいのちのフォーラムの日、私は結婚式に出席してきました。朝からお弁当を作ってからの身支度は、かなりのドタバタ劇でしたが、それでも久々の結婚式ということで、とても楽しみに参加してきました
やっぱり人の幸せな笑顔を見るのって、本当にステキですね 私も20年ぶりにお会いした部活動の先輩などに感激したものです
職場の上司や友人などからの温かいメッセージや余興、だれもが幸せを分かち合えるひとときでした そして、新婦さんのご両親へのお手紙・・・。くろブロのコメントにも載せましたが、「私を産んでくれてありがとう。たくさんの愛情で育ててくれてありがとう」とのコメントには私はもちろん、会場も涙、涙・・・ ここにも「いのち」の尊さを確認する『いのちのセレモニー』がありました こうやって、「いのち」はつながっていくんですもんね 
写真は、お料理の中のデザートの写真です クリスマスのセッティングがお料理を引き立ててました かわいい『ブッシュ・ド・ノエル』でした もちろん美味しく頂きました

えれれでした



手紙Part.2

2008-11-06 | いのち
たった今、次女に宛てた『いのち・誕生』の手紙を書き終えました これまた明日が締め切りでギリギリセーフです 1年生ということで、“ひらがな”で“分かりやすく”書かないといけなかったのですが、まずは、一番分かりやすいように、写真をたくさん貼り付けてみました ・・・が・・・、その写真を選ぶのに見ハマってしまい、かなり予想外の時間がかかってしまいました でも、長女に比べると明らかに数の少ない写真・・・ ごめんねぇ~って感じです 3番目の息子の写真なんて・・・ でも、決して愛情が減っている訳ではないので、今からでもたくさんスキンシップして写真の枚数分を埋められるよう、母の愛情をインプットしていかなきゃですね 
次女への手紙、“分かりやすく”書けたかは分かりませんが、普段なかなか言えない事を私なりに文字にしました。長女同様、喜んでくれると嬉しいですね 
文章が苦手な私なだけに、取りかかるまではかなり気が重かったのですが、久々にじっくり写真も見れたし、娘の生まれた頃の事を思い出したりして、とてもいいきっかけになりました ありがとうございました 明日、忘れずに持たせなきゃ・・・

えれれでした





手紙

2008-11-04 | いのち
先日、担任の先生からのおたよりで、子供達に「いのち」の授業をしたいので、子供が生まれた時の喜びや、「いのち」に関わる子供たちへのメッセージをお手紙に書いて、子供達には内緒で回収させてください。とありました。普段からなかなか面と向かっては言えないことなので、頑張って私なりの気持ちを家族を代表して手紙に書きました。そして、先日授業でその手紙を渡されたらしく、娘は「全然気づいていなかったのでびっくりしたけど、とても嬉しかった」と言ってくれました そして昨夜、帰宅して自分のパソコンの前に座ってみると、娘からの手紙が置いてありました。みんなから祝福されて生まれてきたこと、家族みんなで大切に育ててもらったこと、そして、その大事に守ってもらった命を大切にしなきゃいけないということ・・・。娘なりに私たちからのメッセージをちゃんと受取ってくれてました 本当にうれしいお返事でした きっと娘もこんな気持ちで読んでくれたのかな・・・。と、思いました。それでも、朝から顔を合わせると、テレくさくてあまりその事にはふれられず、「お返事ありがとう」というのが精いっぱいでした 今度は、次女のクラスから同じようにお手紙の依頼が来てました もう1度、頑張って書いてあげようと思います 素敵な機会を与えてくださり、ありがとうございました

えれれ


「やまぼうしの樹」智樹へ

2008-11-02 | いのち
「いのち」をテーマにした本を紹介します。
「もしもこの世に叶うことがあるとすれば、もう一度智樹を産み育てたい。智樹の成長を見守りたい。見届けたい。」この文章で始まる。この本は智樹君の十七年の間の生きさまをしっかりと書き留めておきたいと言う思いでお母さんが綴られたものです。あまりにも早く人生の終止符を打ちすぎた智樹君の存在をしたためて、活字にしておきたい思ったそうです。
*家族で黒髪山へ
           
*県内一周駅伝の最終ランナーとして
           
 17才という若さで天国へ旅立ってしまって、たくさんやりたいことがあっただろうなあ~と思うと、生きている私たちは今を大切にしていかないといけないと思いました。
 智樹君の新たな旅立ちの意味で「やまぼうしの樹」を植えられたそうです。
*自宅横にある「やまぼうしの樹」
             
この木がすくすくと成長することを、せめてものささやかな喜びに変えてみまもっていきたいというお母さんの思いが綴られていました。

私も4児の母親として毎日を大切に生きたいと思いました。

     小梅ちゃん


確かにそうだ。

2008-10-30 | いのち
先日、仕事移動中の車内で、NHKラジオの「いのちの対話」という公開生放送
番組を、たまたま聴きました。ホスト・ゲストの話を聴いていと、「なるほど」
「そうなんだ」などと思い、帰路の車中でも、再び聴いていました。

番組の最後に、ゲストの方が、『私の座右の銘は、「なにげなく生きている
今日という一日は、昨日亡くなった人が強烈に生きたいと思った日」という
言葉です』ということを聴き、「ハッ」とさせられた気がしました。

日々、生活をしていると、喜怒哀楽の日を何気なく送っている私であるが、
この一日一日は、実はとても貴重な一日であるのだな、と改めて感じました。
現実に惰性で送る日もあるわけですが、本当は貴重であると気づかぬまま過ごし
ている時間に過ぎないのだな、と省みることができたラジオ番組でした。

ありがたいことに、聴こうとして聴いたラジオ番組ではないのに、時間帯・
周波数の状況が、私に聴かせてくれたという「ご縁」を、感謝せずにはいられ
ないと、つくづく思いました。

わたしのいのち、ありがたいいのち。


KENKYO


守られているいのち

2008-10-09 | いのち
佐賀市内のバイパス、ずらーーっと続く自衛隊の車の列。 べつに珍しいことでもありません。 このロケットも実弾じゃないと頭っから信じています。 
ところがこの日は何だか気持が重たくなりました。 数日前見たDVDが頭をよぎったのです。
 
それは大和町のある小学校でのこと・・・
「ゴスペル♪とは人生を歌うこと。 じゃあ人間にとって一番大事なことって何ですか?」とたずねられた6年生が 「生きること」 「自分のいのちを大切にすること」 「みんなを大切にすること」と答える場面。  
ゴスペルを通し、いろんな人に守られ、出会い、つながっていくことを知り、またその歌で感謝の気持ちを伝えることを体験していく、というドキュメンタリーだったのです・・・・・。

あたたかい血の通った人間が・・・ 見えない不思議な糸でつながっているいのちが・・・
鉄の塊に守られているということもまたいなめない事実。 子どもたちはこんな現実をどう受け止めているのだろう・・・。  いろんなことに蓋をして、私はいのちと向き合っているようです。 


    ぱんだ  




3ヶ月検診

2008-09-29 | いのち
 9月25日に伊万里市民センターで赤ちゃんの3ヶ月検診がありました。6月生まれの赤ちゃんが大集合で40人くらい参加がありました。
*会場の様子
           
 この検診で山代中学の3年生が体験学習に来ていて赤ちゃんを慣れない様子で抱っこしてくれたり、お母さんたちとお話したりお手伝いをしてくれました。
 手紙の交換もあって、中学3年の金子君がみことちゃんのお世話をしてくれましたよ。話をしていると、「自分の妹は双子で少し病弱でお母さんは大変そうです」とかいろんなことを話してくれて私も楽しい時間を過ごす事が出来ました。
*ありがとう金子君
           
 中学生は、思春期で反抗期であまり話したりしないんじゃないか心配でしたが、金子君はよく話してくれて抱っこも上手でほんとに助かりましたよ。いい体験だな~と思いました。
 最後には、「ブックスタート」といって伊万里図書館の方がかわいい赤ちゃんの「くっついた」という絵本をプレゼントしてくれましたよ。早速、今夜読んであげたいと思います。


   小梅ちゃん


生んでくれてありがとう。

2008-08-10 | いのち
 真夏の結婚式に出ました。 二人のゆるぎない愛の誓いに、チャペルはますます熱く暑くなって・・・。 でもしあわせな光景に出会えることはうれしいものです。
 先日は小梅ちゃんさんちの次女誕生の知らせに、とてもうれしくなりました。 「私達家族のところに生まれてきてくれてありがとう!」という、しあわせ一杯のメッセージが添えてありましたが、この日二人も自分たちの家族へ、まったく同じ感謝の言葉を言っていました。 「私を生んでくれてありがとう!」 「僕をこの家族に生んでくれてありがとう!」と。 生まれてきてくれたことを喜び、生んでもらったことに感謝する。 人はしあわせになるために生まれてきたんだなぁ・・・とあらためて強く実感しました。 

 しあわせの中にあって自分を否定したり、人をあやめたりすることなどありえませんよね。 しあわせな人たちはこんなにも生まれてきたことを喜び、いのちに感謝しているんです。 日々の平穏なしあわせを、こういう形でつよく感じ、確認していくことも大切なことなんだなぁ。
 
 しあわせになるため・・・それは誰かと出会うこと? 「会うべき人に出会えることを、人は幸せと呼びます」 二人が選んだ披露宴の入場曲は、こんな歌詞でしめくくられる曲でした。 今度はこの二人が「生まれてきてくれてありがとう!」というんでしょうね。  

   ぱんだ  


元気に生まれてくれてありがとう!!

2008-08-06 | いのち
 先月、6月24日に女の子の赤ちゃんが誕生しました。
           
「心響(みこと)」と名づけました。家族みんな大喜びです。
お姉ちゃん、お兄ちゃんも抱っこしたり、時にはオムツまで替えてくれてとてもかわいがってくれます。
           
 お風呂に入れるときもみんな一緒でとってもにぎやかです。
かわいい家族が増えて、毎日が楽しいです。みんなの笑顔がまた増えたようです。
これからも、家族みんなで大切に育てていきたいですね。私達家族のところに生まれてきてくれてありがとう!

    小梅ちゃん



まあるいいのち

2008-07-19 | いのち
日曜日のこと、母娘(4才・1才)3人買い物へ出かけていきました。
お昼、帰ってくるなり、上の娘が母親に「さっきの歌、なんだったっけ?」と
尋ねている。どうやら、本屋さんへ寄った時、母親が口ずさんだ歌を、私(父親)
へ聞かせたいらしい。

なんでも、母親が口ずさんだ歌を、娘が知ってたらしく、私を驚かせたいと思って
いるようだ。しかし、天然ボケの母親(つまり、私の妻)は、なかなか思い出せな
いでいる。私に、「お父さんも知ってる歌で、CMにも使われている」とのこと。
「それだけで、分かるかい!」と内心思いつつも、
♪「この木なんの木、気になる木」♪ 
と歌ってみるが、「違うよ。分かんなくなるから、歌わないで」と言われる始末。
結局、すぐには分からなかった。

夜、寝る時になって、また娘が「お母さん、思い出した?」と聞いている。よほど、
私に聞かせたいんだなぁと思いつつも、私は昼間歌った♪「この木なんの木、気に
なる木」♪を再び歌うと、「うるさいと」とダメ出しをくらった。トホホ。

娘が、一所懸命(一生懸命の間違いではありません)思い出している。そして、♪「みんな」
と口ずさむと、私がハッとして♪「同じ」と歌うと、母親もハッとして♪「生きているから」と
歌い始めた。3人で思い出せたのである。娘が通う幼稚園のお隣さん(ミナ先生のすみれ組)
が歌っていたのを覚えたらしい。題名も分からなかったが、サビの部分だけ分かったので、
歌いながら寝たのでした。

翌日、「YouTube」で検索したら、下記がヒット。確かにCMで耳にしたことはあったが、
こんな長い歌詞だったんだ、との驚きと、その内容に「娘に教えられたいのちかな」と感じ
たのでした。早速、娘に見せながら、歌の練習をしてみました。

http://jp.youtube.com/watch?v=RBC1WE-J6sY&feature=related


Kenkyo



人ごとではありません。

2008-07-04 | いのち
「いのち」について考える。3回目です。

まず、おことわりしておきます。前回(2回目)のアップは、6月9日となって
おりますが、下書きは6月7日に終わっていたため、6月8日に発生しました
「秋葉原通り魔事件」には一切触れていません。事件に触れていなくて不思議だ
なと思われた方がいたと思いますが、今回触れてみたいとます。


6月8日に発生した、秋葉原通り魔事件について、メディアによって膨大な
情報が流れているので、皆さんもご存じのことと思います。
被害に遭われました方々、並びご親族・友人その他多くの方にお見舞い申し
上げます。その心中は、言葉では言い表せないものだとお察しいたします。

いうまでもなく、この事件の加害者は、とんでもないことを犯しました。
決して許される事ではありません。なぜ、このような事件が起こったのか、
今一度、冷静に考えなくてはいけないのではないでしょうか?

報道によると、加害者の言い分は、要約すれば「自分は悪くない(普通)。
親・会社・社会が悪い」とのことです。これには、多くの方が「自分勝手
過ぎる」などの反論があるでしょう。私も、その一人です。そんなことで、
人を殺すとは、世の中、殺人だらけになりかねません。

ただ、命が大切だといいながら、もし、我が子が被害に遭い、死んでしまったなら、
私の心には間違いなく「加害者を殺してやる(やりたい)」という、強い思いが
こみ上げてくるでしょう。多くの方も、恐らく私と同じ感情を抱くのではない
でしょうか?もちろん、加害者を殺さないとは思いますが、もしかしたら、その
心の叫びが張り裂けて、加害者を本当に殺してしまわないとも限りません。
そしたら、仇を討ったつもりでも、加害者と同じ殺人者となってしまいます。

加害者は、厳しく罰せられなければと思います。しかし、それとは別に、以下の
ことも考えてみていただきたいものです。

原因やつながりによって、結果が得られると思います。
今回の事件、「加害者は悪い人」と思うでしょう。しかし、前述のことを踏まえ
ると、実は誰でもが殺人を犯しかねないんです。今は、そのつながりがないだけであって。
一般的には、「殺人者が特別な人間であって、自分は普通。殺人なんか絶対起こさ
ない」と考えますが、そうではないのではないでしょうか?

仮に、殺人を犯さないにしても、加害者の家族、被害者や被害者の家族になる可
能性があるわけです。一生懸命育てた子供が、犯罪を起こすことも考えられます。

手塩にかけて育てた我が子が、罪を犯す。誰だって、我が子を犯罪者にするために
育てているわけがないですよね。しかし、現にこの世の中、加害者・被害者が存在
しています。みなさんは、どうします?加害者の家族になったら。

ここで、私が一番主張したいことは、「被害者も加害者(各々の家族)も、実は
私たちが誰でもが成り得るということです」。遠く東京で起こったことではなく、
いつでも我が身に降りかかってきてもおかしくないという認識が大切ではないか
ということです。現に加害者の言い分は、生活の中で、誰でもが少なからず心に
存在しているように思えます。

そのためにも、「命の尊さ」そして「命のはかなさ」を、心して子供に伝えなくては
いけないのではないでしょうか。

少なくとも、子は親や家族を見て育っていきます。まずは、親の立場にある我々が、
子供に対して模範となるべき態度をとりたいものです。


今回の事件について、加害者は厳しく罰せられなくてはいけないことに、かわりは
ありません。また、被害者やその家族に対して(もちろん、今までの事件・事故の
家族も)、救済の手立てを充分に行うことが重要です。心の傷は、一生残ると考え
られます。このことも、一人一人が認識しておかなければいけないと思います。


文字にしますと、主張したいこともまとまらず、また長々となりました。
小学校のHPということで、この内容は濃い過ぎとも考えましたが、「いのち」を
見つめるためにも投稿させていただきました。ご了承くださいませ。


Kenkyo