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葛飾八幡宮氏子の会・忘年会

2011年12月22日 | エトセトラ
3年に1度の「八幡祭」が今年も(10月2日)盛大に行なわれた。
その地元・八幡の仲間たちとの忘年会!



地元・葛飾八幡宮では、33年ごとに大祭が開催される。
昭和26年がその大祭の年であり、様々な理由により長々と中断される最後の祭りでもあった。

この最後の祭りから長い年月を経て『幻の神輿』といわれるようになっていた葛飾八幡宮の神輿を「八幡の子供たちに見せてあげたい」と有志が集い、八幡祭復活に動きだした。

葛飾八幡宮から近隣の自治会や商店会が大神輿を借りるという形が決まると、渡御の道順を決め、警察に道路使用許可を取ったり、担ぎ手の休憩場所を貸してもらえるよう道中の店にお願いした。
悩みの種だった資金作りも、5千枚のテレホンカードを作って販売し、募金箱も各店に置いた。
準備が整ったかに思えたとき、昭和天皇のご病気で自粛。
1年延期することになった。

そんな苦労が実った平成元年、37年ぶりに八幡の街に「ソイヤ、ソイヤ!」の勇ましい掛け声がこだました。

その後毎年祭りは行なわれたが、平成17年からは、葛飾八幡宮の例大祭として位置づけられ、3年に1度の開催となった。


今年は3月12日に第1回目の実行委員会を開いた。
折りしも大震災の翌日。まだ、被害の大きさが分からなかったこともあり実施を決定。
しかし、被害地の様子が分かってくると、開催をためらう声もあがった。
宮司さんとも相談し、「こんな時こそ一致団結しなければ」と決め、復興祈願の祭りとした。

そもそも祭りとは、農耕民族だった日本人が五穀豊穣を神に願い、農作をするうえで必要な団結力を確認し合う場だった。
本来の祭りの意味に立ち返り、八幡の街の安泰と人々の健康、また日本の復興への願いを込め、皆で1つのものに向かっていく。街の人の協力あってこその八幡祭が今年10月2日に行なわれた。

はじめは試行錯誤だった祭りの運営組織も、今ではすっかり成長した。
パソコンを使って情報を共有できるシステムもでき、確実に若手への継承も進んでいる。

平成29年は33年に1度の大祭の年。
それに向け、新たな一歩を踏み出している。


葛飾八幡宮・八幡祭(千葉県市川市)平成23年10月2日(日)


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