いま使っている日記帳はあと二日ほどでそのページを終える。この日記帳は2009年の1月22日から使っている。面倒なので、この日記帳のページ数は正確には数えたことはないが、たぶん、毎日書いて1年分に届くか届かないくらいだと思う。5年以上も使っていることを考えると、かなりペースは遅い方だと思う。日記を書く趣味は全くもってなかったのだけど、2009年の文房具店の初売りで福袋を買ったら、たまたま日記帳が入っていたので、手書きで日記をつけることにしたのである。
大学で授業を受けていた時に、誰だったかはもう忘れてしまったが、ある教授が言ったことを思い出した。「…今はパソコンで文章を書く時代ですからね、みなさん中には恐らく手書きだと文章がうまく書けない人が、いると思いますよ」前後関係は覚えていないが、こんな言葉だった。そんな馬鹿な、とその時は思ったが、5年間手書きで日記をつけていて、確かに、手書きで文章を書くことに書きづらさを感じつづけていたと思う。
恐らく、この現象が起きてしまうのは、手書きで文字を書く時に発生する障害にもたついている間に、頭でまとめていた考えが、ばらばらになってしまうことが理由であるような気がする。例えばキーボードだったら、スペースキーを押せばすぐに平仮名は漢字に変換がされるが、手書きだと自分が書こうと思っている字を正確に思い出せなくて、その度に調べたりをする。この前、日記を書いていて驚いてしまったのが、頻繁に目にする「俺」という漢字を自分は書けないことだった。「俺」という字をどう書くのか調べた後に、流石に「俺」が書けないのはちょっとなぁ、もう「俺」っていう一人称を使うのはやめた方がいいかなぁ、と考えているうちに、何を書こうとしていたのか忘れてしまった。こういうことは手書きで文字を書いていて往々にして起こる。
逆にキーボードを打って文章を書くことに意識を集中させてみると、この書いている文章は本当に自分が考えていることなのだろうかという考えも浮かんでくる。考えるよりも先に指が動き、というよりも、指自身が単語のつながりを記憶していて、自分が考えてもいないことを勝手に文章にしているような気がするときがある。もし自分の指が誰かの指と入れ替わったら、全く違う文章になってしまうかもしれない。想像するとちょっとだけこわくなる。
漢字をちゃんと書けるようになりたいし、文章も手書きでも書けた方がいいと思う。日記を読み返すと恥ずかしい気持ちでいっぱいになるが、けっこう字が巧くなってることに気付いたりもして、じ~んとした感動が沸いてくる。もうしばらく、続けようと思う。

2009/1/23の手書き文字

2014/3/2の手書き文字
大学で授業を受けていた時に、誰だったかはもう忘れてしまったが、ある教授が言ったことを思い出した。「…今はパソコンで文章を書く時代ですからね、みなさん中には恐らく手書きだと文章がうまく書けない人が、いると思いますよ」前後関係は覚えていないが、こんな言葉だった。そんな馬鹿な、とその時は思ったが、5年間手書きで日記をつけていて、確かに、手書きで文章を書くことに書きづらさを感じつづけていたと思う。
恐らく、この現象が起きてしまうのは、手書きで文字を書く時に発生する障害にもたついている間に、頭でまとめていた考えが、ばらばらになってしまうことが理由であるような気がする。例えばキーボードだったら、スペースキーを押せばすぐに平仮名は漢字に変換がされるが、手書きだと自分が書こうと思っている字を正確に思い出せなくて、その度に調べたりをする。この前、日記を書いていて驚いてしまったのが、頻繁に目にする「俺」という漢字を自分は書けないことだった。「俺」という字をどう書くのか調べた後に、流石に「俺」が書けないのはちょっとなぁ、もう「俺」っていう一人称を使うのはやめた方がいいかなぁ、と考えているうちに、何を書こうとしていたのか忘れてしまった。こういうことは手書きで文字を書いていて往々にして起こる。
逆にキーボードを打って文章を書くことに意識を集中させてみると、この書いている文章は本当に自分が考えていることなのだろうかという考えも浮かんでくる。考えるよりも先に指が動き、というよりも、指自身が単語のつながりを記憶していて、自分が考えてもいないことを勝手に文章にしているような気がするときがある。もし自分の指が誰かの指と入れ替わったら、全く違う文章になってしまうかもしれない。想像するとちょっとだけこわくなる。
漢字をちゃんと書けるようになりたいし、文章も手書きでも書けた方がいいと思う。日記を読み返すと恥ずかしい気持ちでいっぱいになるが、けっこう字が巧くなってることに気付いたりもして、じ~んとした感動が沸いてくる。もうしばらく、続けようと思う。

2009/1/23の手書き文字

2014/3/2の手書き文字