土曜日の夜に、大学時代の友人に誘われて、男三人で、ストリップショーを観に行った。横浜は日ノ出町駅から歩いて2,3分の場所に位置する「浜劇」、有名なストリップ劇場、「浅草ロック座」の系列店で、2000年創業、約14年間のあいだ営業をしているらしい。
店の入り口までくると、オーナーと思われる男性が対応をしてくれる。年齢は40代後半から50代前半にみえた。短く刈り上げた堅そうな髪は染髪をしており、メガネをかけた顔は強面だったのだけど、どこか面倒見のよさそうな雰囲気もある。実際に、僕らが初めて来る客であることを認めると、店のシステムについて丁寧に説明をしてくれた。料金は3千円ぽっきりであること、21時からは缶ビール飲み放題のサービスがあること、携帯や撮影機材は場内では使用厳禁であること、初めて行くストリップショーに対する不安や緊張というものが緩和された。
建物の中に入ると小さなロビーがあり、さらに防音扉をあけたところに、劇場がある。ちょうど映画館のような構造だろうか。だから、劇場も映画館のように客席に対して水平になるようにお立ち台であるステージがあるのだと想像していたのだけど、様相はかなり異なるものだった。円形だった。入口から正面に見えるステージから中央にせり出すように円形のお立ち台があり、客席はお立ち台を取り囲むように並んでいる。
劇場に座り、照明が降り、ショーが始まる。すぐに思ったのは、ストリップに対して漠然と持っていたいやらしいというようなイメージや、下卑た雰囲気が、あまり感じられないということだった。何かに疲れてしまった人たちが行き場を求めるように劇場に通い、溜息をつきながら女の子を眺めているというような、そういうムードを想像していたのだけど、音楽と共に踊り子が登場すると、客は手拍子で盛り上げ、中にはかなり器用な手つきで、タンバリンを叩いている男性もいて、凄く前向きなエネルギーに溢れた場であった。まるでアイドルのライブのように。音楽と共に踊り子が服を脱いでいき、ポーズが決まるときには、歓声と共に拍手が巻き起こる。みんなこそこそとしていないで、堂々と、ショーによって生まれる一体感を楽しんでいるように見えた。
それは完璧なショーだった。照明が落ち音楽が切り替わると共に衣装もチェンジするので、同じ踊り子をみているのに、飽きるということがなかった。ある時はラピュタのテーマソングに合わせて、少女のような輪郭が曖昧な服装で柔らかい動きをするかと思えば、ハットを被り、ボディラインの際立つスーツを身に着け、マイケルジャクソンのように踊る。ステージが進み、徐々に服を脱いでいくと、汗ばむ身体に、極彩色のスポットライトが妖しく反射をしていて艶めかしい。しかし、あまり性的な意味でいやらしい感じはしなかった。それは、おそらく踊り子の動きは、単にいやらしさを見せつけるという目的ではなくて、自分の身体の美しいところを最も美しい形で魅せるという目的のもと計算されているからだと思う。かなりの努力の上に成り立っていることが伝わってくるからか、観客の眼差しも真剣でいて見守るような優しさがあった。気付いたら3時間もの時間が経ち、終演の23時になっていた。完璧なショーというものは得てして時間を忘れさせる。
店の入り口までくると、オーナーと思われる男性が対応をしてくれる。年齢は40代後半から50代前半にみえた。短く刈り上げた堅そうな髪は染髪をしており、メガネをかけた顔は強面だったのだけど、どこか面倒見のよさそうな雰囲気もある。実際に、僕らが初めて来る客であることを認めると、店のシステムについて丁寧に説明をしてくれた。料金は3千円ぽっきりであること、21時からは缶ビール飲み放題のサービスがあること、携帯や撮影機材は場内では使用厳禁であること、初めて行くストリップショーに対する不安や緊張というものが緩和された。
建物の中に入ると小さなロビーがあり、さらに防音扉をあけたところに、劇場がある。ちょうど映画館のような構造だろうか。だから、劇場も映画館のように客席に対して水平になるようにお立ち台であるステージがあるのだと想像していたのだけど、様相はかなり異なるものだった。円形だった。入口から正面に見えるステージから中央にせり出すように円形のお立ち台があり、客席はお立ち台を取り囲むように並んでいる。
劇場に座り、照明が降り、ショーが始まる。すぐに思ったのは、ストリップに対して漠然と持っていたいやらしいというようなイメージや、下卑た雰囲気が、あまり感じられないということだった。何かに疲れてしまった人たちが行き場を求めるように劇場に通い、溜息をつきながら女の子を眺めているというような、そういうムードを想像していたのだけど、音楽と共に踊り子が登場すると、客は手拍子で盛り上げ、中にはかなり器用な手つきで、タンバリンを叩いている男性もいて、凄く前向きなエネルギーに溢れた場であった。まるでアイドルのライブのように。音楽と共に踊り子が服を脱いでいき、ポーズが決まるときには、歓声と共に拍手が巻き起こる。みんなこそこそとしていないで、堂々と、ショーによって生まれる一体感を楽しんでいるように見えた。
それは完璧なショーだった。照明が落ち音楽が切り替わると共に衣装もチェンジするので、同じ踊り子をみているのに、飽きるということがなかった。ある時はラピュタのテーマソングに合わせて、少女のような輪郭が曖昧な服装で柔らかい動きをするかと思えば、ハットを被り、ボディラインの際立つスーツを身に着け、マイケルジャクソンのように踊る。ステージが進み、徐々に服を脱いでいくと、汗ばむ身体に、極彩色のスポットライトが妖しく反射をしていて艶めかしい。しかし、あまり性的な意味でいやらしい感じはしなかった。それは、おそらく踊り子の動きは、単にいやらしさを見せつけるという目的ではなくて、自分の身体の美しいところを最も美しい形で魅せるという目的のもと計算されているからだと思う。かなりの努力の上に成り立っていることが伝わってくるからか、観客の眼差しも真剣でいて見守るような優しさがあった。気付いたら3時間もの時間が経ち、終演の23時になっていた。完璧なショーというものは得てして時間を忘れさせる。