12月30日から埼玉県にある実家に帰ってきている。
いまは、というか普段は横浜市に居住していて、距離的に帰ってこようと思えばいつでも帰ってこれるのだけど、そのいつでも帰ってこれる、という意識があるからこそ、なかなか帰ってくることができない、というのが人間というものである。職場は川崎にあるから必然的に横浜市と川崎市を往復する生活をしているが、ひどいときは川崎から埼玉方面にちょっと向かった、例えば品川などにいる時に、
「俺はいま実家に近づいている、これはもう帰ったといってしまっても差し支えがないのではないだろうか」
と、意味不明なことを思ってしまうのである。自分でもわけがわからないが、横浜市と埼玉県というのはそういう距離関係にあるということだ、つまり帰っていないにも関わらず常に帰っているような気になるのである。
そういうわけで、去年の年末年始から一年振りに実家に帰ってきているのである。
まぁ実家に帰ってきて思うことは「長く住んできた場所なのになぜか違和感を覚える」ということに尽きると思う。これはうまく言えないのだけど、自分の生活の基盤、生活の匂い、というべきものは横浜のワンルームマンションにあるのであって、実家には自分の匂い、というものが失われているのである。それは居心地の悪さを意味するのではない。自分が20数年間育ってきた家である。だが、そこからは明らかに自分の生活の基盤、自分の匂い、というものを感じ取ることができないのである。例えばこんなことがあったのである。
「学生のころ弾いていたギターが部屋の隅に押しやられ埃をかぶっている一方で、ギタースタンドには代わりに掃除機が立てかけられてあった」
正直に言って、ろくすっぽギターをまじめにやっていなかったので、何も言うことができなかった。母ちゃん、俺はまじめにギターをやってたんだよ、あの頃は確かに迷惑をかけたかもしれないけどさ、その大事なギターを押しやって、掃除機ってのは流石にあんまりだよ、流石にさ、なんてセリフは吐けないし、ロックは死んだんだ、なんて悲観に暮れる資格もない。ただ感じることは自分の生活というものがここでは既に失われている、ということだ。そのことに怒りを感じる資格は自分にはない。なぜならこの家で生活しているのは間違いなく、父と母の二人であり、そこでは二人の必要であり、都合なりが最優先されるべきであると思うからである。
しばらく、僕はギタースタンドを呆然と見つめていて、そして僕の目は次第に奇妙な円盤へと移ってゆく。大きさはちょうどレコード盤とか体重計と同じくらいでヒト一人が乗れるくらいだ。それは僕の知らなかったもので、ふんばばのように、健康サンダルのように、足つぼを刺激する突起がついている。どうやら健康グッズらしい、母親がそれに乗り、右に左に身体を捻りながら、ギタースタンドに立てかけられた、掃除機について説明をするのだった。
「あぁそのギタースタンドね、それは掃除機を立てかけるのにちょうどよかったのよ、そんなことよりこの健康グッズを見てよ、こうやって乗っかって身体を捻って、こうやって、こうやってね、アハハ…」
そして僕は部屋の隅に押しやられたギターのことはいったん頭の隅に追いやって、右に左に身体を捻り続ける母親を見ていた。身体を捻る母親も自分には記憶がなく、そこに違和感を覚えながら、でも楽しそうに右に左に身体を捻っていたとしても母親は大事にしないとな、なんて思いながら。学生のころ、真剣にギターをやっていたのなら、あの埃をかぶったギターは俺だ、俺なんだよ!なんて怒りにも似た熱い気持ちが沸いてきたのかもしれない。でも、自分はそんな学生ではなかったし、ただ違和感を覚えることしかできない。つまるところ、世の中は熱い気持ちがあろうとなかろうと、「ちょうどよさ」というものが優先されて動いてゆくんである。それがたまたま「掃除機に立てかけるのにちょうどいいギタースタンド」という形で僕の前に顕現しただけのことだ。僕が普段の生活をしているあいだ、きっと母親はわけのわからない健康器具の上で、身体を右に左に捻り続けるのだろう。そしてギタースタンドに立てかけられた掃除機を手にこの家を掃除し続けるのだろう。僕は何が言いたかったのだろうか、とりあえず、品川にいるだけで帰ったような気になるのはやめよう、いや、品川だけじゃなく、上野でも赤羽でも、どこでもである。
いまは、というか普段は横浜市に居住していて、距離的に帰ってこようと思えばいつでも帰ってこれるのだけど、そのいつでも帰ってこれる、という意識があるからこそ、なかなか帰ってくることができない、というのが人間というものである。職場は川崎にあるから必然的に横浜市と川崎市を往復する生活をしているが、ひどいときは川崎から埼玉方面にちょっと向かった、例えば品川などにいる時に、
「俺はいま実家に近づいている、これはもう帰ったといってしまっても差し支えがないのではないだろうか」
と、意味不明なことを思ってしまうのである。自分でもわけがわからないが、横浜市と埼玉県というのはそういう距離関係にあるということだ、つまり帰っていないにも関わらず常に帰っているような気になるのである。
そういうわけで、去年の年末年始から一年振りに実家に帰ってきているのである。
まぁ実家に帰ってきて思うことは「長く住んできた場所なのになぜか違和感を覚える」ということに尽きると思う。これはうまく言えないのだけど、自分の生活の基盤、生活の匂い、というべきものは横浜のワンルームマンションにあるのであって、実家には自分の匂い、というものが失われているのである。それは居心地の悪さを意味するのではない。自分が20数年間育ってきた家である。だが、そこからは明らかに自分の生活の基盤、自分の匂い、というものを感じ取ることができないのである。例えばこんなことがあったのである。
「学生のころ弾いていたギターが部屋の隅に押しやられ埃をかぶっている一方で、ギタースタンドには代わりに掃除機が立てかけられてあった」
正直に言って、ろくすっぽギターをまじめにやっていなかったので、何も言うことができなかった。母ちゃん、俺はまじめにギターをやってたんだよ、あの頃は確かに迷惑をかけたかもしれないけどさ、その大事なギターを押しやって、掃除機ってのは流石にあんまりだよ、流石にさ、なんてセリフは吐けないし、ロックは死んだんだ、なんて悲観に暮れる資格もない。ただ感じることは自分の生活というものがここでは既に失われている、ということだ。そのことに怒りを感じる資格は自分にはない。なぜならこの家で生活しているのは間違いなく、父と母の二人であり、そこでは二人の必要であり、都合なりが最優先されるべきであると思うからである。
しばらく、僕はギタースタンドを呆然と見つめていて、そして僕の目は次第に奇妙な円盤へと移ってゆく。大きさはちょうどレコード盤とか体重計と同じくらいでヒト一人が乗れるくらいだ。それは僕の知らなかったもので、ふんばばのように、健康サンダルのように、足つぼを刺激する突起がついている。どうやら健康グッズらしい、母親がそれに乗り、右に左に身体を捻りながら、ギタースタンドに立てかけられた、掃除機について説明をするのだった。
「あぁそのギタースタンドね、それは掃除機を立てかけるのにちょうどよかったのよ、そんなことよりこの健康グッズを見てよ、こうやって乗っかって身体を捻って、こうやって、こうやってね、アハハ…」
そして僕は部屋の隅に押しやられたギターのことはいったん頭の隅に追いやって、右に左に身体を捻り続ける母親を見ていた。身体を捻る母親も自分には記憶がなく、そこに違和感を覚えながら、でも楽しそうに右に左に身体を捻っていたとしても母親は大事にしないとな、なんて思いながら。学生のころ、真剣にギターをやっていたのなら、あの埃をかぶったギターは俺だ、俺なんだよ!なんて怒りにも似た熱い気持ちが沸いてきたのかもしれない。でも、自分はそんな学生ではなかったし、ただ違和感を覚えることしかできない。つまるところ、世の中は熱い気持ちがあろうとなかろうと、「ちょうどよさ」というものが優先されて動いてゆくんである。それがたまたま「掃除機に立てかけるのにちょうどいいギタースタンド」という形で僕の前に顕現しただけのことだ。僕が普段の生活をしているあいだ、きっと母親はわけのわからない健康器具の上で、身体を右に左に捻り続けるのだろう。そしてギタースタンドに立てかけられた掃除機を手にこの家を掃除し続けるのだろう。僕は何が言いたかったのだろうか、とりあえず、品川にいるだけで帰ったような気になるのはやめよう、いや、品川だけじゃなく、上野でも赤羽でも、どこでもである。