〇帰省をしていました。
年末から年始にかけて、四日間のあいだ実家に帰省をしていた。いま住んでいる家は神奈川県の横浜市にあり、実家は埼玉県の上尾市にある。鈍行電車を乗り継いでも二時間もあれば、帰れてしまう距離なので、帰省という表現を使うには少し大げさなのかもしれない。距離はそんなに離れてはいないけれど、一人暮らしをはじめてからというもの、実家に帰る頻度は減った。最後に帰ったのは、夏に入る前だっただろうか。思い出せない。
なかなか帰っていないと、妙な居心地の悪さを感じてしまうというか、自分が今まで生活していた場所なのに、家の中の細かいところに違和感を持ってしまう。風呂のタイルにこびりついた細かい汚れであったり、家の中にある意味のない、捨ててもいいんじゃないかというようながらくた、そういうものがとても気になる。住んでいた時は気になったことがなかったのに、気になってしまい、なんだか少し落ち着かない。社員寮に住んでいた時は、ちょくちょく家に戻っていたので、一年前の年末年始にはこういう違和感を持つことはなかった。大学生の時、一人暮らしをしている友人が、「実家は落ち着かない」というようなことを言っていて、当時は不思議だったのだけど、その意味がすこし分かった気がしたのだった。
〇僕より14歳も年下の母さん。
正月には、今は近くに住んでいる母方の祖父がどこからか引っ張りだしてきた、昔の映像を記録をしたビデオテープを家族で見ていた。母親の実家は岩手県にあり、冬には、祖父は地元の子供たちと一緒によくスキーをしていた。8mmビデオで、その様子を記録として撮ってあるらしかった。その中に母親が映っている場面もあるということで、家族みんなで見ることにしたのである。
映像は、40年以上も前の機器で撮られたこともあり、音声もなければ、画像も粗いものだったのだけど、不思議と目を離せない。記録の大半は、子供たちがスキーを滑っている様子を、遠巻きから映しただけのものだった。子供たちの動きはせわしなく、ところどころ転んでいる姿が目立ち、かわいらしい。youtubeでペンギンの群れの行動を映した映像をみたことがあって、あれに似ていると思った。ペンギンも、氷の上をせわしなく動き、しょっちゅう転ぶのである。
しかし、ビデオも中盤になり、母親が映る場面になるとアンビバレントな気持ちに捉われはじめた。いま一緒にビデオを見ている母さんは、僕より28歳も年上で、映像の中の母さんは小学校4年生だったので今の僕よりも14歳も年下だ。映像の中の母さんは、客観的にみて、ちっちゃくてかわいい。そう思ったのは事実である。しかし、母さんはこの何も知らない子供時代を経て、18年後には僕を妊娠するのである。そういう存在に対して、大人が子供を見て、かわいいと思うような、あるいはペンギンの群れを見てかわいいと思うような気持ちを持つことは、なんだか間違っていることのような気がして、ならないのであった。
年末から年始にかけて、四日間のあいだ実家に帰省をしていた。いま住んでいる家は神奈川県の横浜市にあり、実家は埼玉県の上尾市にある。鈍行電車を乗り継いでも二時間もあれば、帰れてしまう距離なので、帰省という表現を使うには少し大げさなのかもしれない。距離はそんなに離れてはいないけれど、一人暮らしをはじめてからというもの、実家に帰る頻度は減った。最後に帰ったのは、夏に入る前だっただろうか。思い出せない。
なかなか帰っていないと、妙な居心地の悪さを感じてしまうというか、自分が今まで生活していた場所なのに、家の中の細かいところに違和感を持ってしまう。風呂のタイルにこびりついた細かい汚れであったり、家の中にある意味のない、捨ててもいいんじゃないかというようながらくた、そういうものがとても気になる。住んでいた時は気になったことがなかったのに、気になってしまい、なんだか少し落ち着かない。社員寮に住んでいた時は、ちょくちょく家に戻っていたので、一年前の年末年始にはこういう違和感を持つことはなかった。大学生の時、一人暮らしをしている友人が、「実家は落ち着かない」というようなことを言っていて、当時は不思議だったのだけど、その意味がすこし分かった気がしたのだった。
〇僕より14歳も年下の母さん。
正月には、今は近くに住んでいる母方の祖父がどこからか引っ張りだしてきた、昔の映像を記録をしたビデオテープを家族で見ていた。母親の実家は岩手県にあり、冬には、祖父は地元の子供たちと一緒によくスキーをしていた。8mmビデオで、その様子を記録として撮ってあるらしかった。その中に母親が映っている場面もあるということで、家族みんなで見ることにしたのである。
映像は、40年以上も前の機器で撮られたこともあり、音声もなければ、画像も粗いものだったのだけど、不思議と目を離せない。記録の大半は、子供たちがスキーを滑っている様子を、遠巻きから映しただけのものだった。子供たちの動きはせわしなく、ところどころ転んでいる姿が目立ち、かわいらしい。youtubeでペンギンの群れの行動を映した映像をみたことがあって、あれに似ていると思った。ペンギンも、氷の上をせわしなく動き、しょっちゅう転ぶのである。
しかし、ビデオも中盤になり、母親が映る場面になるとアンビバレントな気持ちに捉われはじめた。いま一緒にビデオを見ている母さんは、僕より28歳も年上で、映像の中の母さんは小学校4年生だったので今の僕よりも14歳も年下だ。映像の中の母さんは、客観的にみて、ちっちゃくてかわいい。そう思ったのは事実である。しかし、母さんはこの何も知らない子供時代を経て、18年後には僕を妊娠するのである。そういう存在に対して、大人が子供を見て、かわいいと思うような、あるいはペンギンの群れを見てかわいいと思うような気持ちを持つことは、なんだか間違っていることのような気がして、ならないのであった。