昨日、僕は渋谷に向かうために横浜駅から東急東横線の特急電車に乗っていた。
その家族が乗り合わせてきたのは菊名駅からだった。4人家族だった。10歳前後の娘と息子と、母親と父親の4人家族だった。車内には座れずに立っている人がまばらにいたが、僕はたまたま座ることができた。そして、電車で座れたときに大抵そうしているように、本を読んでいた。先輩に薦めてもらった、ユン・チアンのワイルド・スワンの中巻だ。第二次世界大戦後、中国の共産党が覇権を握り、中華人民共和国の成立後に誕生した著者が体験した激動の時代をかいた本だ。その時は、ちょうど文化大革命が始まる前の頃で、ユン・チアンの幼少期の頃のエピソードを読んでいた。けっこうシリアスな話だ。本を読んでいるときは、大抵の耳にはいる会話が意味のない雑音として処理されるのだけど、ときおり、会話の内容が頭に入ってきて、集中できなくなることがある。その時もそうだった。家族4人の会話の内容がどうしても耳に入ってきてしまう。
菊名でまた人が何人か降りたので、僕の隣の席があき、娘がそこに座っていた。父親と母親と息子は僕を取り囲むような形で立っていた。夕方の時刻だったし、父親と息子はキャスター付きの小型スーツケースを持っていたので、何かの行楽帰りだったのかもしれない。母親がハーゲンダッツの話をし始めた。
母 ハーゲンダッツはね、アメリカが発祥なんだけど、私は、絶対に日本のハーゲンダッツの方がおいしいと思うわ
父 そういえば俺の父親もそんなこと、言ってたよ。ハーゲンダッツは日本製の方が乳脂肪分が多くてさ、味が濃くてうまいんだよ。ハーゲンダッツは日本の方がうまいよ
中国の共産党は1958年頃に鉄鋼の生産を一年で2倍にするというスローガンを掲げていた。ユン・チアン含む児童も学校の行き帰りに鉄くず拾いをするようになり、学校の調理室にこしらえたかまどに鉄くずを放り、鉄を生産する業務に従事させられることになった。1億人近い、食糧生産を支える農民までも、次々と鉄の生産に駆り出され、やがて中国は大飢饉を迎えることになった。ハーゲンダッツはしばらく食べてなかったな、たぶん大飢饉のときには食べられないんだろうな。仮にあったとしても、ハーゲンダッツなんか食べてたら「ブルジョワ的」だと批判されるだろうな。菊名から乗り合わせた少女はハーゲンダッツの話をする。
娘 あたしさぁ、いちどだけでいいからやってみたいって思ってることあんの、温泉あるでしょ、温泉につかりながらね、ハーゲンダッツ一緒に食べんの。でさ、それでさ、温泉の窓からは、富士山がみえて、それで一緒に星もみるの。流れ星だったら最高だなぁ、一回やってみたいなぁ。
母 あんたねぇ、温泉はいってハーゲンダッツ食べるのは百歩譲っていいとして、富士山と星を一緒にみるのは絶対に無理。富士山は昼はみえるけど、夜はみえない、だって富士山はライトアップされないからね、逆に星は夜にしか見えな
いでしょ。だから一緒にみるっていうのはできないのよ。
父 温泉に入るだけでも結構な贅沢なのに、その上ハーゲンダッツまで食べるなんて、「ブルジョワ的」過ぎるよ、僕は反対だな。
電車は武蔵小杉に止まった。武蔵小杉には高層マンションがここ数年で乱立するようになった。
息子 すげー、高層マンション、多すぎじゃない?
母 高層マンションって私、怖いわ。だって、地震が起きたときのことを考えてみて、エレベーター止まっちゃうのよ。30階に住んでるとして、30階から1階に降りるときに、階段を使わないといけないのよ。考えただけでぞっとするわ。
息子 ねぇ、僕いいこと考えたよ。階段じゃなくて、滑り台にすればいいんだよ。エレベーターが止まっちゃった時は、滑り台で一気に下まで降りんの。それだったら楽ちんじゃない?
母 でもそれだと登るのが大変じゃない!階段を滑り台にしたらどうやって30階まで登るのよ、エレベーターも止まってるのよ。
父 それにさ、30階から一気に滑り台で下まで降りたら、おしりが熱くなって、火がついて、みんな火だるまになっちゃうかもしれないだろ?
娘 でもそれってちょっと流れ星みたいじゃない?大地震が起こってさ、武蔵小杉の高層マンションに住んでる人たちは、エレベーターが止まっちゃって、滑り台で一気に下まで降りてんの、それでみんなおしりに火がついて、スピードもどんどんあがって、ビルの壁を突き抜けて、そのまま、火だるまになりがら、空に向かって飛んでっちゃう。あたしはその光景を温泉の中から見ているの、もちろんハーゲンダッツを食べながらね、あぁ流れ星はみれたけど、富士山はやっぱり見えないんだなぁ、あとちょっとで夢が叶ったのに、なんて思いながらね。
この家族はいつもこんな話を続けているのだろうか。家族は自由が丘で降りていったが、どうしても本を読む気になれなかったので、ページを閉じたまま渋谷までいくことにした。
その家族が乗り合わせてきたのは菊名駅からだった。4人家族だった。10歳前後の娘と息子と、母親と父親の4人家族だった。車内には座れずに立っている人がまばらにいたが、僕はたまたま座ることができた。そして、電車で座れたときに大抵そうしているように、本を読んでいた。先輩に薦めてもらった、ユン・チアンのワイルド・スワンの中巻だ。第二次世界大戦後、中国の共産党が覇権を握り、中華人民共和国の成立後に誕生した著者が体験した激動の時代をかいた本だ。その時は、ちょうど文化大革命が始まる前の頃で、ユン・チアンの幼少期の頃のエピソードを読んでいた。けっこうシリアスな話だ。本を読んでいるときは、大抵の耳にはいる会話が意味のない雑音として処理されるのだけど、ときおり、会話の内容が頭に入ってきて、集中できなくなることがある。その時もそうだった。家族4人の会話の内容がどうしても耳に入ってきてしまう。
菊名でまた人が何人か降りたので、僕の隣の席があき、娘がそこに座っていた。父親と母親と息子は僕を取り囲むような形で立っていた。夕方の時刻だったし、父親と息子はキャスター付きの小型スーツケースを持っていたので、何かの行楽帰りだったのかもしれない。母親がハーゲンダッツの話をし始めた。
母 ハーゲンダッツはね、アメリカが発祥なんだけど、私は、絶対に日本のハーゲンダッツの方がおいしいと思うわ
父 そういえば俺の父親もそんなこと、言ってたよ。ハーゲンダッツは日本製の方が乳脂肪分が多くてさ、味が濃くてうまいんだよ。ハーゲンダッツは日本の方がうまいよ
中国の共産党は1958年頃に鉄鋼の生産を一年で2倍にするというスローガンを掲げていた。ユン・チアン含む児童も学校の行き帰りに鉄くず拾いをするようになり、学校の調理室にこしらえたかまどに鉄くずを放り、鉄を生産する業務に従事させられることになった。1億人近い、食糧生産を支える農民までも、次々と鉄の生産に駆り出され、やがて中国は大飢饉を迎えることになった。ハーゲンダッツはしばらく食べてなかったな、たぶん大飢饉のときには食べられないんだろうな。仮にあったとしても、ハーゲンダッツなんか食べてたら「ブルジョワ的」だと批判されるだろうな。菊名から乗り合わせた少女はハーゲンダッツの話をする。
娘 あたしさぁ、いちどだけでいいからやってみたいって思ってることあんの、温泉あるでしょ、温泉につかりながらね、ハーゲンダッツ一緒に食べんの。でさ、それでさ、温泉の窓からは、富士山がみえて、それで一緒に星もみるの。流れ星だったら最高だなぁ、一回やってみたいなぁ。
母 あんたねぇ、温泉はいってハーゲンダッツ食べるのは百歩譲っていいとして、富士山と星を一緒にみるのは絶対に無理。富士山は昼はみえるけど、夜はみえない、だって富士山はライトアップされないからね、逆に星は夜にしか見えな
いでしょ。だから一緒にみるっていうのはできないのよ。
父 温泉に入るだけでも結構な贅沢なのに、その上ハーゲンダッツまで食べるなんて、「ブルジョワ的」過ぎるよ、僕は反対だな。
電車は武蔵小杉に止まった。武蔵小杉には高層マンションがここ数年で乱立するようになった。
息子 すげー、高層マンション、多すぎじゃない?
母 高層マンションって私、怖いわ。だって、地震が起きたときのことを考えてみて、エレベーター止まっちゃうのよ。30階に住んでるとして、30階から1階に降りるときに、階段を使わないといけないのよ。考えただけでぞっとするわ。
息子 ねぇ、僕いいこと考えたよ。階段じゃなくて、滑り台にすればいいんだよ。エレベーターが止まっちゃった時は、滑り台で一気に下まで降りんの。それだったら楽ちんじゃない?
母 でもそれだと登るのが大変じゃない!階段を滑り台にしたらどうやって30階まで登るのよ、エレベーターも止まってるのよ。
父 それにさ、30階から一気に滑り台で下まで降りたら、おしりが熱くなって、火がついて、みんな火だるまになっちゃうかもしれないだろ?
娘 でもそれってちょっと流れ星みたいじゃない?大地震が起こってさ、武蔵小杉の高層マンションに住んでる人たちは、エレベーターが止まっちゃって、滑り台で一気に下まで降りてんの、それでみんなおしりに火がついて、スピードもどんどんあがって、ビルの壁を突き抜けて、そのまま、火だるまになりがら、空に向かって飛んでっちゃう。あたしはその光景を温泉の中から見ているの、もちろんハーゲンダッツを食べながらね、あぁ流れ星はみれたけど、富士山はやっぱり見えないんだなぁ、あとちょっとで夢が叶ったのに、なんて思いながらね。
この家族はいつもこんな話を続けているのだろうか。家族は自由が丘で降りていったが、どうしても本を読む気になれなかったので、ページを閉じたまま渋谷までいくことにした。