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私の頭の中の爆弾

2015-09-06 22:48:16 | 日記
今日は身体の悩みについて書きたいと思う。人並みに身体にコンプレックスというか負い目は感じていて、肩は最近、常に小人がぶら下がってるんじゃないかと思うくらい凝っているし、眼も常に疲労していて、瞼は重く、常に小人がぶら下がってるんじゃないかと思えるほどだ。立てつづけに小人と書いてきたが、小人という言葉を見ると、手足が短く、成人男性の平均身長に達していない俺こそが小人なんじゃないか、とか思ってきて、自己嫌悪を覚えてしまう。もっというと、肩とか瞼にぶら下がっている小人を想像した時に、それはまさに自分の姿をしていることに思い当たり、とても陰鬱な気持ちになってくる。だから、小人のことは考えないようにしよう。そもそも肩が凝っているのも、眼が疲れているのも、恐らく長時間パソコンを操作しているせいだ。背が低いのは、まぁ先天的なものだ。原因が分かっているものとか、先天的なものについて考えてもしょうがない。ここで書きたいのは、冒頭で身体の悩み、とは書いたものの、身体のことにあたるのかどうかはちょっと微妙だ。原因が分からないが、頭の中で爆発音がするんである。

それは眠りに入る直前にやってくる。重い瞼を閉じて、意識がまどろみはじめた時。覚醒と眠りの中間地点、完全に眠りに入ったかと思う、頭が意識していられる最後の時間。前触れもなくとてつもない轟音が頭の中に鳴り響くんである。日によって違うが、爆発音というより、銃声の音に近いかもしれない。鋭くて、短い轟音だ。一瞬自分が死んでしまったのではないかと思えるくらいの衝撃だが、衝撃を感じたり、死んでしまったと思うことは生きていないとできないことであり、冷静になって考えてみると、なにも自分に外傷もなければ、内傷もないことに気付く。

だが、前述したとおり、原因が分からないだけに、ちょっと怖い思いがする。ネットで調べてみると、どうも「頭内爆発音症候群」という症状であるらしい。日本語で書いてもかっこいい症状名であるが、英語でいうと「exploding head syndrome」というらしく、もっとかっこいい。

とにかく症状名がとてもかっこいいことはネットで調べて分かってちょっと安心した。なぜなら人に話す時に「最近、頭の中の爆発音で悩んでてさ、exploding head syndromeって症状なんだけどね」とか言えば、たぶんちょっとかっこいいと思われるからだ。しかし、症状名がかっこいいことは分かったものの、原因は未だによく分かっていないことが多い。ストレスとかが原因らしい、という記述も見たが、「ストレスが原因」というのは相関はあるのかもしれないが、果たして原因であるのかという疑問も浮かぶ。俺は「ストレスが原因」という言葉がどうも信じられない。

しかし、人は何か物事が起きると、そのことに原因を見つけないと気が済まないこともよくわかっている。それによく使われるのがストレスであるし、もう少しスピった感じにすると、陰謀のせいにしたりすることも多い。この「頭内爆発音症候群」も頭の中、爆弾、という二つの単語から、サイバーパンク的な陰謀論が囁かれているのはは想像に難くない。つまり、ナノテクだ。ナノテクのことはよくわからないが、極小の爆弾が何者かの手によって仕掛けられていると妄想してしまう人がいるらしい。そして人は眠りに入る時に爆発音がするたびに、ちくしょう、これがナノテクの力か、ナノテクには敵わないよ、全くナノテクってのは恐ろしいもんだよ、なんて思うかもしれない。そして、その人は、ナノテク爆弾が存在するとして、誰がどうやって仕掛けたんだ、という疑問を抱くようになる。そして、次の瞬間にその人は陰謀の全てを理解するようになる。最近、急に瞼が重くなったことと、頭の中にナノテク爆弾が仕掛けられている事の関係性。頭の中にナノテク爆弾を仕掛けたのは瞼にぶら下がっている小人だった事に気付いんたんである。ちくしょう、小人の野郎め、とにかく頭の中の爆弾を取り除くためには、まず瞼の重みを取り除かないといけないな…。陰謀とは実に恐ろしいものである。

とにかく人の誕生日が覚えられない

2015-08-23 21:52:07 | 日記
記憶力には自信がある方だと思っていたが、最近はそんな自分に対して懐疑的な気持ちを抱くことも多い。行ったこともなければ行きたいと思ったことのないスリランカの首都がスリジャヤワルダナブラコッテという名称だということも中学生くらいの頃からずっと覚え続けているし、円周率を覚えるのに挑戦したことはないが、職場でよくかける相手先の電話番号だったりはそらで覚えていたりする。しかし、まだ少年時代だった頃は、自分が知っていたり、覚えていたりすることが世界の全てだったことに対して、大人になるにつれて、知らないことに対する恥とか、忘れてしまったことに対する申し訳ない気持ちといった感情が生まれてくる。そのため、どうしても、自分が覚えていないことに思いを馳せる機会が増え、自分の記憶というものに疑いを持つようになってきている。

「とにかく人の誕生日が覚えられない」

覚えられないんだ、人の誕生日が。天気とニュースの話とまではいかなくても、誰々の誕生日がいつだったか、というような話になることがたまにあって、そういう時に、一緒に話している人が、共通の知人の誕生日をやけに覚えていたりして驚くことがある。誕生日はとてもめでたい日だ。自分の誕生日に誰かから声をかけてもらったりメッセージをもらったりすると、とてもうれしい気持ちがする。だからこそ人は、知人の誕生日を覚えると思うのだけれど、自分は人の誕生日を覚えるということが中々できない。しかし自分が、スリジャヤワルダナブラコッテに行ったこともなければ、行きたいと思ったこともないのに、その名称を覚え続けていることと似たような話で、知人にこういう人がいる。

「メッセージとかは特に送らないが、人の誕生日をとにかく覚えている」

人の誕生日を聞いたら忘れないようである。そして、いざその人の誕生日がやってきても声をかけたりメッセージを送ったりはしないそうだ。ただ考えるだけだ。平日ならば仕事の合間なのかもしれないし、休日なら朝にめざめた時かもしれない。「今日はそういえばあいつの誕生日だったな」。しかし、ただ考えるだけだった。自分がスリランカという単語を見るたびにスリジャヤワルダナブラコッテの事をただ考えるように。

恐らく記憶力には相性というものがあるのだろう。俺だってスリジャヤワルダナブラコッテのことを考えたいわけではないのに覚えてしまっているのと同じように、誕生日をとにかく覚えている知人も、人の誕生日を覚えたくて覚えているわけではないのかもしれない。裏を返せば、覚えたくても覚えられない物事というものが個人個人の世界に存在している。俺がそのことを最近で実感したのは、日本大通り駅付近にあるギリシャ料理屋に後輩と行った後のことだ。
料理屋で何品か頼んで食べた後というのは、往々にして、どの料理がいちばんうまかったか、という話をするのが常ではあるのだが、俺は、肝心の一番うまかった料理、一口たべた後に思わず「マスターピースだ…」という言葉が喉から出てしまったほどの「ヨミスタ」という料理の名称を店を出てすぐに度忘れしてしまった。


ズッキーニのヨミスタ

「いちばんうまかったのは、あれかな、あのズッキーニに肉と米、詰めたやつ。名前なんだっけ。ヨ…、ヨ…ヨセミテだっけ?」

完全に忘れていて「ヨ」で始まる四文字の単語ということしか頭に残っていなかった。

「自分が一番うまかったのはサガナキですが、ズッキーニに肉詰めしたのは名前、忘れちゃいました。でも、少なくともヨセミテはなんかアメリカの国立公園の名前かなんかだったので、違うと思いますけど」

後輩も忘れていた。でも、それはいちばんうまかったと思ったのが「サガナキ」であるので仕方のないことなのかもしれない。

「あれ、ほんとに思い出せない。気持ち悪いなあ。ヨシナニだっけ?」

「それはもう日本語じゃないですか」

「ヨサコイ」

「よさこいは、夜さり来い(夜にいらっしゃい)という古語が変化した言葉で、高知県の民謡であるよさこい節、よさこい祭りの略であって、ちなみに高知県のよさこい祭りの形式を取り入れた、各地の祭り・イベント・踊り等もよさこいと呼ぶ場合もあるみたいですよ」

段々と話題が「ヨミスタ」から遠ざかっていくのを感じていた。ヨセミテ国立公園には行ったこともなければ行きたいと思ったこともない。よしなに、という日本語も使ったこともない。よさこい祭りにはちょっと行ってみたいが、よさこい節の踊り方を俺は知らない。考えたかったことは「ヨミスタ」のことなのに頭に浮かんでくるのはヨセミテであり良しなにでありよさこいだ。記憶というものはやはり気持ちとは裏腹に存在するものであり、疑ってかからねばならない。

楽園の夜を泳ぐ

2015-08-02 21:24:26 | 日記
夜の7時半、ドヤ街を抜けて、石川町駅方面へ歩いていた。思い立ったように昼間に個人経営のスポーツ用品店で買った、2000円くらいのタイトな水泳用パンツをリュックの中に忍ばせて。8月の最初の日曜日、昼間に暖められた、アスファルトから身体に向かって熱気が立ち上る。風はなく、歩いているだけなのに、汗がじっとりと滲んでくる。石川町駅を超えて、元町の通りを抜けてゆく。さっきまで歩いていたドヤ街とは打ってかわって、スタイリッシュなバーが立ち並んでいる。月曜日のちっぽけな朝が来る前の最後の夜、それをゆっくりと楽しもうとグラスを傾ける大人たちが横目に入る。自分もその中に加わりたいと思った。でも、今夜は酒を飲むことよりも、スポーツ用品店で買った水泳用パンツを早く試してみたくてしょうがなかった。考えていたのは水泳用パンツのことだけだ、と言っても過言ではないくらいの速度で、元町の飲み屋街を通り抜ける。元町中華街駅の付近に来たところで、右折をし、小高い丘を登ったところに、そこはある。元町公園、そして元町公園プール。暗闇の中に佇むスタジアムのよう?人をわくわくさせる、ナイター営業につきもののカクテル光線。元町公園プールのことは大学の後輩から教えてもらった。自宅から2kmほど歩いたところにある、曰く、地上の楽園。もしくは天国。ナイター営業をしていて、夜の21:00までの間、泳げるということ。水泳用パンツを買ったのは、ここで泳ぐためだった。



料金は1時間で300円だった。複合型プールのように、水が流れるプールとか、波が打ち寄せるプールの類は一切ない。50Mのレーンが、8つあるだけの、だだっ広い空間。都会の中にいるのが嘘なような静かな夜と、公園の木々と、そこに住むセミの鳴き声、そしてカクテル光線の光、熱くも冷たくもない、ほどよい温度のプール、それだけなのに、最高に贅沢に感じられた。最高の夏が始まる予感が、胸の中に湧き上がってくる。水着を着た女たち、プールに入らずにベンチに座って、密やかな時間を過ごすアベックたち、浮き輪につかまって漂う子供、外国語を話す人たち、規則的なリズムでクロールをする、水泳帽を被った中年の男、ウォーキングをする腹のたるんだ人たち、そして黄色い服を着た監視員。色んな人がいた。夜の公共プールというと猥雑な場所なのではないかと、ケツの穴が引き締まる思いがあったことも否定できないが、健全な場所に思えた。ある時はベンチにぼーっと座って、人の数をただただ、数えていた。レーンごとに人数を数えていくのがコツだと思った。間違っていなければ、そのときは63人の人間がいたはずだ。あまり混み合っていないのがこのプールの楽園であることの理由の一つだ。

たぶん4年振りくらいだろうか。俺は泳ぐ人用のレーンに移動して、クロールで、50Mくらい泳いでみようと思った。よく泳ぎ方と自転車の乗り方は時間が経っても忘れることはない、という話を聞く。確かにクロールをすることはできた。しかし、思うように身体は前に進んでいかない。手と脚が、まるで違う目的の為に勝手に動いているようだった。エネルギーの効率が酷く悪く、たぶん端から見たらもがいているように見えていたのではないかと思う。ちょうどレーンの中腹に差し掛かったあたりで、人の手が、もがいている自分の肩に触れるのを感じた。泳ぐのをやめて、水中から顔を出す。黄色い服を着た女性だった。黄色は監視員の色だ。俺はとっさに、何かヤバいことをしてしまったのではないかと思って、自分の尻のあたりに手を持って行った。

過度に透けている水着を着たり、露出しすぎている水着を着用するのはこのプールでは禁止されています。ルールを守っていただかない方には、貸出用の水着を着用して頂く場合がございます。

それが今日、このプールで見た唯一のルールを示す看板であった。俺が履いていた個人経営のスポーツ用品店で買ったばかりの水泳用パンツは過度に透けているわけでもなければ、露出だって激しくはない。なぜなら膝のあたりまで、ゴム質の繊維がカバーしているのだから。だとすればなぜ呼び止められたのだろう。もしかしたら途中で脱げてしまったのかもしれない。そう思って自分の尻のあたりに手を持って行ったが、そこにあったのは人肌の感触ではなく、ゴムの感触だ。俺はルールを守っていた。

すみません、俺、自分が何をしたのか分かっていなくて、なんで呼び止められたのか
も分からなくて…スピード出し過ぎてたとか、そんな感じですか、もしかしてこのプールに制限速度があったり?ごめんなさい、冗談です。自分が泳ぐのが遅いってことは自覚しています。初めて来たので分かってなくて、ただ後輩にこのプールを教えてもらって泳ごうと思って。楽園だって聞きました。自分も実際に泳いでみて、そうだと思います。夜に泳ぐのって自分は初めてなんです。

セミの鳴き声と右隣のレーンで規則正しくクロールをする男が立てる手で水を弾く音がする中、わけのわからない戯言を吐いていた。中年の男はあまり足をばたばたはさせないんだな、うまいこと泳ぐもんだ。監視員の女が口を開く。

このプールには制限速度はないし、あなたの水着は、過度に透けているわけでも、露出しているわけではないの。ただ、進行方向は存在しているの。あなたは逆走をしてしまっていた。申し訳ないけれど、このレーンは向こう岸からこっちに向かって泳いでくるって決まっているのです。あなたは右隣のレーンで泳がなければならなかった。だから私は注意をしているというわけです。

確かに、右隣のレーンでクロールをしている中年の男は向こう岸に辿りついた後に、俺がいるレーンに移動していた。プール監視員は物凄いスピードで泳ぎ、自分の持ち場に帰っていった。俺もああいう風に泳げたらいいなと思った。そして隣のレーンに移ってそのまま進むか、それとも来た道を引き返すか、3秒くらい悩んだ後に結局のところ引き返すことにした。理由は特にないけれど。プールに使われている薬剤が、目に染みる。ゴーグルが欲しいと、その時はただ考えていた。あの個人経営のスポーツ用品店にまた行かなければいけない。そしてゴーグルを買うんだ。そうしたら思いっきり泳ごう。そして、できるだけ早く泳げるように練習しよう。あの黄色い服を着た女の監視員よりも早く泳げるように。何しろ制限速度はこのプールには存在しないのだから。

ビンゴカードはポケットティッシュにもならなかった。

2015-07-20 21:29:33 | 日記
その昔、自分がまだ大学生だった頃、麻雀をやった後だったと思うのだけど、その場にいたメンバーが、それぞれどこの場所にいなさそうか、という話題になったことがあった。人にはそれぞれいると似合う場所とか、似合わない場所があって、麻雀をしていた女性の人が、「ワタシって雀荘にはいなさそうな感じだよね」というような発言をしたことがきっかけであった。自分はどちらかというと、雀荘にはいそうな感じだと思った。そして、自分がどこにいなさそうか、という話になったかというと、4年以上も前のことなのに、今でも鮮明に覚えていて、それは「結婚式場」ということだった。雀荘にいなさそうな女性の方によると、ドレッシーな服装が似合わなさそう、というのが主な理由とのことだった。結婚式場に、記憶が確かになってから、行ったことがなかったが、確かにその発言は的を射ていると思っていた。

雀荘は麻雀をする場所なので、麻雀をやりたくなければ、特に行かなくても良い場所であるが、結婚式場は、呼ばれると行かなくてはいけない、という点で雀荘とは異なる。麻雀をしたことがある人と、結婚をしたことがある人の、どちらが多いのだろうか、という疑問が浮かぶ。疑問は解決されないまま、時だけが流れていき、気が付けば人は麻雀をやらなくなっていて、雀荘に行く機会は減っていき、その反面、気が付くと、友人が結婚をするというので、結婚式場に呼ばれることになっていた。

結婚式場がある赤坂のホテルで、自分は道に迷っていた。エレベーターで同じ階を行ったり来たりを繰り返していた時に、そんな昔のことを考えていた。結婚式用のネクタイを買い、ポケットチーフも身に着けていたが、やはり、自分はいなさそう、という考えが頭について離れなかった。それは何故だろう、ということを考え続けているうちに、新郎新婦は誓いの言葉を述べ、気が付くと披露宴が始まっていた。

考えていたのは友人の結婚のことであり、結婚式場になぜ自分がいなさそうかということだった。麻雀と披露宴の決定的に違うところの一つは、テーブルに座る人数だった。麻雀では卓に4人の人間しか座らないが、結婚披露宴では、9人の人間が座っていた。それだけ人と喋る内容というものも考えなくてはならなかった。ウェディングケーキが新郎新婦によってカットされる。料理が運ばれてくる。前菜を食べていると、隣に座っていた友人が自分にマナーについて警告をしていた。ナイフとフォークは外側から使っていくのよ。コース料理では、肉とか魚とか、提供される料理を切るのに適したナイフとフォークが順番に合わせて、予め並べられているらしい。自分は既に誤った順番でナイフとフォークを使ってしまっていた。その時に、自分の頭の中で、閃いた気がした。そうか、自分が結婚式場にいなさそうだ、ということは、これのことだったんだ、と。マナーであり、進行のルールを理解していないこと。進行の仕方を理解していないと、やはり場の流れ、というものが掴むことができなくて、早い話が置いて行かれているような気持ちがするのである。雀荘にいなさそう、と、いつか発言した友人も、恐らく麻雀のルールを完璧に理解していなくて、場の流れを掴むことができなかったからそう思ったのではないだろうか。結婚式の流れを掴めていないことは、確かに恥ずかしいことかもしれないが、それはしょうがないことだと思った。なぜなら学校も親も、そんなことは教えてくれなかったから。これから徐々に覚えていこうと思う。

披露宴が終わり、二次会の会場ではビンゴゲームが始まっていた。ビンゴゲームをするたびにいつか見た演劇での一コマ、パーティでビンゴゲームに興じる登場人物の心情を吐露した独白を思い出す。

その時、俺はビンゴゲームをする人間の中には、4種類のタイプがあることを悟った。一つ目は、早々とリーチをかけ、すぐにビンゴをしてしまう者。二つ目はリーチはかかるが、いつまでもビンゴにならない者。三つ目は数字が読み上げられるたびに、全くマスが開かなくて溜息ばかりついている者。最後に、ビンゴゲームの流れについていけず、ゲームに参加することを諦めてしまった者。

自分のビンゴカードはリーチすらかからなかった。3つ目のタイプだった。しかし、ビンゴゲームの流れについていけなかった人たちがきっと会場に何人かいたに違いない。その人たちは自分がビンゴゲームの場所にいなさそうだと感じていたのだろうか。もしできれば、伝えてあげたいと思った、あなたはビンゴゲームの場にいなさそうな人ですね。そして、もし可能ならば、早々とビンゴを決めた後に、そのゲームについていけない人にカードを見せながら。しかし、自分のビンゴカードは景品に変わらなかった。ポケットティッシュにもトイレットペーパーにも変わらなかったまま、部屋に無造作に投げ出されている。しかし、それは、まばらに穴があいていて、確かにビンゴゲームという場を自分が掴んでいたことを証明している。

阿修羅にキスをした

2015-07-05 23:11:55 | 日記
住んでいるマンションから最寄駅へと歩いていると、毎日、「アシュラ」という文字が目に入る。ただの塀に書かれた落書きである。その時にいつも考える事は、誰がどんなことを思い、この落書きをしたのだろうか、ということだった。不良少年などが、「夜露四苦」などと、やけに難しい漢字を当て字にした文字を残すことはよくあるが、「夜露四苦」が、「ヨロシク」と片仮名で書かれていたら、間抜けな印象を残すように、「阿修羅」も「アシュラ」と書かれると、なんだか気の抜ける感じがする。しかし、片仮名で書かれていようと、漢字で書かれていようと、自分は詳しくはないのだが、「アシュラ」は仏教における修羅の道の主であり神である。修羅という言葉をタイプして、殺伐、といったことが思い浮かぶ。
殺伐ということについて考える。住んでいるマンションの住民はゴミの収集日を守らずに、ゴミを出し続けている。そのため、マンションのゴミ集積場が片付いている姿を見たことがないし、匂いだって結構する。それは一種の殺伐だ。日曜日はいつも、マンションの正面の通りに軒を構えている、B系ファッションのショップが鳴らしている大音量のロックミュージックで目が覚める。もうちょっと寝かせてくれよ、という殺伐とした気持ちになってくる。
しかし、このB系ファッションショップに対する殺伐とした気持ちは長くは続かない。B系ファッションのショップはHPを持っていて、のぞいてみると、店員がブログを書いていた。ついついブログを読んでしまう。そして、知りたくもないことを知ってしまうのだった。店員が美容院に行って、リーゼント・ヘアをセットしたことを書いていたりする。会った事のない他人がリーゼント・ヘアにしようが、坊主頭にしようが、どんな髪型にセットしようが、自分は特別な感情は湧いてこないが、その後に続く文章には特別な感情が湧いてしまった。

「久しぶりにfacebookの日本リーゼント保存協会に写真をアップしてみました」

リーゼントまたはリーゼント・スタイル (英語: Regent style) とは、ヘアワックスやポマードなどの整髪料を利用し、両側頭部から髪を撫で付け後頭部でIの字型にぴったりと合わせる髪型の一種で、日本の理容師による和製英語である。ポンパドールという髪型と混同される場合があるが、リーゼントと組み合わせてセットされることがあるものの、これらは本来個別のスタイルである。

そんな協会があることは全く知りたくないのだった。しかし、殺伐とした気持ちは徐々にさめていく。ネットにリーゼント保存協会なるものが存在する限り、その集会があるのではないかと考えたからだ。オフ会といってもいい。日曜日の晴れた日にマンションの入り口を出ると、数十人にも及ぶ、リーゼントヘアの男が、B系ファッションショップの前に集結をしていた。リーゼントヘアの男たちは、集まってなにをするのだろうか。写真を撮り合ったりするのかもしれない。動物が愛情を表現するように、ポマードで固めたリーゼントヘアを、お互いにつつきあったりしているのかもしれない。リーゼントの男たちは自分の住んでいるマンションを見て、ゴミが散らかっているとか、文句を言うかもしれない。リーゼントヘアは硬派の象徴であるような気がするし、やはりルールを守らないことに関しては厳しいのだと思う。自分はゴミの収集日にゴミを出すようにしているので、そのことについてはありがたいが、やはり、白昼堂々とリーゼントヘアが仲睦まじく、そのヘアを突きあっている場面を見たら、恐らく間が抜けた気持ちになってしまうと思う。
その時に塀に書かれた「アシュラ」に考えを巡らすのだった。「阿修羅」と漢字で書かれると、殺伐としたムードが漂うが、だからこそ「アシュラ」と片仮名で書かれると間抜けな印象がぬぐえない。この文字を見ていると、リラックスした気持ちになってくる。会社に行く途中にこの「アシュラ」の落書きにキスをした。殺伐とした気持ちを落ち着けてくれると祈って。